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毎日読書メモ(153)『東洋の至宝を世界に売った美術商: ハウス・オブ・ヤマナカ』(朽木ゆり子)

父の本棚にあった、朽木ゆり子『東洋の至宝を世界に売った美術商: ハウス・オブ・ヤマナカ 』(新潮文庫)を読んだ。大阪で古美術を扱っていた山中家が、明治中期頃からアメリカやヨーロッパへ打って出て、山中商会(YAMANAKA & CO.)を名乗る。日本政府の万国博覧会への出品や、日本から帰国した外国人たち(オールコックとかフェノロサとか)が持ち帰った日本美術が話題になったりとかをきっかけに、日本の美術品が欧米で人気を博して行ったのを見て、機を見るに敏な商人たちが明治初期から欧米の大都市に店舗を構えていたことに驚かされる。林忠正などは有名だが、山中商会は、海外進出の中心となった山中定次郎については若干の資料が残っているものの、会社としての資料が散逸して(というか、日本国内での商いよりもアメリカでの商業活動の方がずっと大規模で、それらが第二次世界大戦中に営業停止となり、日本には資料が殆ど残らなかった模様)その活動の全貌をとらえるのが極めて難しく、今では殆ど知られなくなっていた。

作者はアメリカのアジア美術蒐集家たちの書簡などから、戦前山中商会という会社が、世界有数の美術館や大コレクターたちに大量の日本美術、中国美術を納入していたことを知り、アメリカの公文書館に残っていた、インボイスや電信の控えなどを丹念にあたり、山中商会の活動について調査していく。この本は厳密には学術書ではないが、出典を丁寧に記し、研究者が参照することが出来るだけの情報を開示している。

関係者の手記・日記類が残っていないため、残念ながら、世界に打って出た美術商たちの気持ちとか志とかを知ることは出来ないが(残された書簡の中に、息吹は感じ取れて興味深かった)、北京に買い付けの拠点を持ち、日本美術の後に来た中国美術のブームにも対応し、ニューヨーク、ボストン、シカゴの3拠点以外にも、お金持ちの避暑地に夏場限定のお店を出したリ、盆栽を扱ったり、廉価な扇子などを大量に販売したり、残っている資料だけの中からでも、手広くアメリカ市場に入り込んでいる山中商会の様子がわかる。ロックフェラー保有のビルの中に、ゴージャスな展示室をいくつも作り、そこで販売したり、写真を多数おさめた立派なカタログを顧客に送ったり。

そして、日本軍が真珠湾を攻撃し、日米が開戦する。アメリカ西海岸では日系人たちが財産を没収され収容所に送られたりしていたことが知られているが、東海岸は状況がちょっと違ったようだ。会社はAPC局(敵国資産管理人局)の管轄下に置かれたが、残っている資産は元からいた社員たちが引き続き販売し続けた。その売り上げは国家に接収されてしまうが、会社は日本人を含むスタッフたちに給与を払い、会社として家主(ロックフェラー)に家賃を払い(ロックフェラーとの家賃交渉の経緯の記録も、戦前から解散の時期までずっと残されている)、引き続き顧客たちにカタログ(この製作費もばかにならない)を送って丁寧に販売を続け、最後の最後になって、在庫処分的な競売を行って、会社を解散させる。しかし、ボストン店の解散が1944年10月、ニューヨークが1946年1月、シカゴは時期がはっきりしないが1946年頃...って、それもう戦争終わっているし。会社は解散したが、競売にかかった商品の多くは関係者(店員だった人など)が購入し、戦後、独立して古美術商を始めた人も多いらしい。日本の山中が戦後、接収された資産の返還を求めたが、戦時下接収された日独の資産は、アメリカ人戦争捕虜ならびに民間人捕虜への補償に使われたため、日本に戻ることはなかった(山中だけでなく、今も残っている銀行や商社などもみな)。日本の山中はささやかに古美術商として経営が続いているようだが、アメリカで華々しく営業活動をしていたYAMANAKA & CO.は、姿を消し、忘れられてしまった。

断片的に残された資料からだけでも、山中商会がアメリカの蒐集家たち、そして名だたる美術館に及ぼした影響の大きさがよくわかる。そんな大きな組織が、戦争によって消えてしまった(しかし、ニューヨーク店の戦時下の営業の様子を見ても、そこには不思議なくらい戦争の影はないし、日本人たちが当時のニューヨークで差別的な待遇を受けていたのかどうかの気配すら感じられない)。日本美術も一部は日本に里帰りしているし、中国美術も、今勃興してきた中国の富裕層によって買い戻される動きが出てきている。巻末に、芸術品の流動性は、異文化交流の中の必然、という作者の私見が語られている。異国に運ばれブームになったおかげで、浮世絵とか、伊藤若冲とかがまた日本でも評価されるようになった(少なくとも再評価が早まったのは外国でのブームがきっかけ)のではないか。そういう意味で、進取の気性に富んだ美術商たちは、民間の文化外交官的な存在だったのではないか、と本書は締めくくられている。

文庫で450ページある大著で、今まで全く知らなかった人たちが、明治初期から外国に出て、商売を通じて日本文化を広めるのに大きな役割を果たしていたことを知ることが出来た。人のたくましさとかダイナミックな流動性とかを感じ取れ、また時代に翻弄された様子も伝わってきて、ただひたすら感嘆。


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