見出し画像

生命科学を学ぶ、というよりは科学的思考について学び、その延長線上で、細胞とその中身について考え、自分のこれからの生き方をよくすることも考える―吉森保『LIFE SCIENCE 長生きせざるをえない時代の生命科学講義』(日経BP社)

突然思い出した。わたしの高校時代の生物の教師はミジンコだった。
仁子、という名前で、旧姓が「み」で終わる苗字だったらしい。小泉だったか福富だったかそんなような。
なんでそんな苗字の家で娘に仁子なんて名前つけるかね、また、その名前を背負って生物教師になったミジンコもすごいね。
で、そのミジンコに1年間生物を教わったはずだが、ほとんど何も覚えていない。
1学期の中間試験の時に、ノートを見返して、動物細胞と植物細胞の絵を描きなおし、核と細胞膜は共通だけど、植物の細胞には葉緑体が含まれていて、とかそんなことを覚えようとしていたことだけがそこはかとなく記憶に残っている。じゃあ、1学期の後半以降は何をしていたんだろう? 授業さぼったりしたことはないので、授業受けてノート取っていた筈なのに、定期試験も5回受けた筈なのに、何一つ覚えていない。国立大学でも受験したのであれば共通一次試験では理科も2つ受けなくてはいけなかったので、たぶん生物と地学を勉強しなおしたと思うのだが、早々に諦めて私立文系になってしまったわたしは本当に生物を含む理科科目を勉強しなおすということがなかった。わたしが理科の授業を受けていたあの時間は、一体どこに行ってしまったんだろう?

職場の回覧で「Newton」とか「日経サイエンス」が回ってくるのをぱらぱら見ていて、動物学的な記事は結構面白く、その延長で川上和人『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)とか、前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)とかは面白く読んだ。でもそれって生物学とは違うよね。Googleロゴでロザリンド・フランクリン生誕93周年を取り上げていたことがあり(検索してみたら2013年7月25日でした)、その時にロザリンド・フランクリンの伝記と、ワトソンの『二重らせん』を読んだりもしたが、でも、じゃあそのDNAは細胞の中にどうやって入っているのよ、ということが理解できない。わたしの中の細胞観は、高1の生物のノートで止まっているのである。

昨年知己を得た大阪大学の吉森保先生が、こういう生物オンチの人にもわかる生命科学の本を書かれた、というので、『LIFE SCIENCE 長生きせざるをえない時代の生命科学講義』(日経BP社)を読んでみる。まさにわたしなんかが対象読者となる訳だけれど、そんな読者は、こういう本が刊行されても「待ってました!」なんて思っていない。だって、細胞とか生命科学のことなんて考えなくてもこれまで五十年以上平和に生きてこられて、そのまま平和に(いや本当に平和かどうかはわからないが)死んでいくんだと思っているんだもの。なので、この本は読者を掴みに行かなくてはならない。

東京工業大学の大隅良典先生がノーベル生理学・医学賞を受賞されたのが2016年。その時にオートファジーという言葉が人口に膾炙したけれど、結局のところどういうことなのかはっきりとは理解しないままだった。オートはAutoでいいみたいだけど、ファジーは、一時家電製品によく使われていたFuzzyとは全然違う、phagy、日本語で「自食」? 食べるって何?、程度の知識。
吉森先生は大隅先生と一緒にオートファジーの研究をしてきた研究者だ。本の後半で、まだまだ研究途上にあるオートファジーという現象について、現時点でわかっていることを詳しく述べているが、本の前半には、科学的思考を身につけることの重要性が、じっくり書かれている。

このコロナ禍の中で書かれた著作であるため、様々な知見が日々出てくる新型コロナウィルス及びその感染拡大に翻弄されるわたしたちは、何を信じ、何を選び取ればいいのか、という、正解のない問いにどう向かい合えばいいか、その指針が示される。
いや、勿論正解は誰にも分かっていない。ぱっと出てきた断定的な論説を闇雲に信奉することの危険を意識すべきである、とこの本は伝えている。今わかっていることの中から自分で何かを選び出し、それに基づいて行動していかなくてはならない、その時に大切なのが科学的思考だ。
科学は、真理を追究することだが、世の中には実際のところは真理は存在しない、出来うる限り真理に近づくための仮説を立て、それを検証することが科学だ、と吉森先生は言う。それは時間のかかる作業であり、だからこそ、短期的な検証で見えてきたものを絶対だと思い込んでしまうことは危険だ。
勿論、悠長にしていて、罹患したり亡くなったりしてしまっても元も子もないので、そうした状況も加味して、現在たてられている仮説の中に、道筋を探さなくてはいけない。毎日が難しい選択だ。

科学の基本は相関関係と因果関係である、と、この本の中では繰り返し語られる。相関(目に見える関係)と因果(確実な、原因と結果の関係)を混同しないことが科学である。目に見えた相関から仮説を立て、それを実験等できちんと検証し、因果関係を導き出すのが科学という行為だ。
「科学は真実かどうかを判別する便利な装置ではなく、真実に近づくための仮説をつくる営みです」(p.69)
肝に銘じ、細胞について、オートファジーについて学ぶ。

人間は約37兆個の細胞で出来ていて、ひとつひとつの細胞すべてに、一人の人間をつくるすべての遺伝情報が入っている。これって、わたし、高校時代に教わったんだろうか? ミジンコはきちんと言葉で説明してくれたか? 専門家は自分にとって明らかであることを生徒が理解していないことに気づいてなくて、説明できていない場合があるのではないか? ワトソン=クリックの(或いはロザリンド・フランクリンの)二重らせんが、ひとつひとつの細胞に入っているの? あのわたしがノートに描いていた細胞の図のいったいどこにそのらせんが?
(#ヒトの細胞の数が約37兆個であることがわかったのは2013年らしいので、数については当時は教わっていないが)

細胞の中にオルガネラ(細胞小器官、ミトコンドリアなどのこと)があり、それより細かい超分子複合体があり、更に細かい単位のタンパク質がある。細胞の中の核(これもオルガネラ)の中にDNAが入っている。身体の部位により、細胞が入れ替わる頻度が違うが、新しい細胞が分裂により出来た時にまた核の中にDNAが入っているということになる。わたしは結局ここのところを知りたかったのに、40年遅れて知ることになったようだ。
そこを通り抜けたらわたしはなんだかとてもすっきりしてしまった(ここはこの本の肝でもなんでもない部分なのに)。
妙にすっきりした気持ちで、今の新型コロナウイルスの感染拡大を念頭に置いて、免疫のこととか、抗体のこととかを学ぶ。
ウイルスは生物と無生物の間の存在だよ、というのは昔福岡伸一さんの本で読んだ。宿主が死んでしまえば自分も存在できなくなってしまうので、ウイルスはバランスいい生存戦略で版図を広げていかなくてはならない、というのをおさらいする。

世界には死なない動物がいる(ベニクラゲ、という生き物だそうだ)。しかし死なない生き物は進化しにくい(腑に落ちる説明)。
アホウドリは老化しない。そして寿命が来たら突然死ぬ。哺乳類ではハダカデバネズミが老化しない。一口に生命と言っても色々なありかたがある。
そんな中、ヒトは、老化する方が種として存続しやすいから老化して死んでいく、らしい。
こう書いていくと確かにそれは絶対的真実ではなく、真実に近づくための仮説なんだな、と考えさせられる。

そして、老化していく個体であるヒトが、より善く長く生きようとするヒントとなっているのがオートファジーだ、と、話は展開していく。
オートファジーという現象は、原理を解明する動きが盛んになったのは最近のことだけれど(といっても1963年にはオートファジーと名付けられる現象が確認されている)、勿論昔からすべてのヒトの(ヒトだけでないね)身体の中で起こっていたことで、突然それが始まって老化を食い止めるようになったということではないけれど、仕組みを理解して、それを促進させる手段を考えることが、わたしたちの生の質を上げることに結びついていくのだと考えられる。
オートファジーによって、細胞内のアミノ酸が再利用される。リサイクルすることで、飢餓状態になっている細胞に栄養を補給したり、細胞の新陳代謝を行ったり、細胞内の有害物を除去したりする。書いているとすごい自己完結のように見えてくる。
知らなくてもしていたことを、発見(厳密にはオートファジーに必要な遺伝子の発見)したことで、その先の医学・生理学の大きな手掛かりが出来る。
基礎研究の醍醐味だろう。
何かの役に立とうと思って研究していた訳ではないところに、生命科学の大きなヒントがあり、病気の予防とか老化の鈍化とか、ヒトがこうありたいと思える未来に結びついていくのだから。

オートファジーにかかわるタンパク質の遺伝子は、今では30個以上発見されているということだが、吉森先生は逆にオートファジーの働きを止めるルビコンというタンパク質を発見し、ルビコンが制御することで、オートファジーにどのような影響が及ぼされているか、ということも研究している。
ルビコンが働かないようにすることで、オートファジーの働きが悪くなることを抑え、結果として老化を食い止めることが出来ることを検証し、一方で、だったらルビコンは何のために存在するのだろう、ということも検証する。両面性で科学的思考を深めている。
また、オートファジーは細胞を活性化させる作用があるため、がんになってしまった場合、オートファジーによってがん細胞が活性化して大きくなってしまう、という側面もある。その場合オートファジーをどう制御するか、というのもまた別の研究課題になっている。

巻末で、オートファジーを促進するための生活態度について書かれているが、結局、身体にいい、と人が本能的にわかっていることが、つまりは体内のオートファジーを促進することとなっている。でもまぁ意識的であることは大切かと。

本書全体で、日本の科学者たちのおかれた研究環境についても章間のコラムなどを用いて紹介している。今の日本研究環境は、地道な基礎研究を続けるのが難しい、というのは近年つとに言われていることで(研究活動以外に費やされる時間をかなり取られることや、基礎研究に予算がつきにくい今の国の予算方針など)、大隅良典先生も、ノーベル賞を受賞されたあと、様々な場で基礎研究の重要性について口にされてきているが、当事者以外の人には伝わりにくいことかもしれない。それがこの本を通じて一人でも多くの人に伝わるといいな、というのも思う。

やけに長い紹介文となった。というか、梗概書くことで(誰にも頼まれてないのに)、結果的にもう一度最初から最後まで本に目を通してしまったが、門外漢のわたしは、この位しないと、これだけわかりやすい入門書でもきちんと咀嚼出来てない、ということが、書いていてわかった。
たぶんもう1回読めば更に更に理解が深まる場所があるだろう。

昔、生物の教科書を放り投げてそれきりになっている、多くの人に捧げられた、吉森先生のメッセージをしっかりと受け止めたい。


#読書 #読書感想文 #吉森保 #LIFESCIENCE #ライフサイエンス #オートファジー #大隅良典 #生物 #細胞 #日経BP社 #タンパク質


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?