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ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』(毎日読書メモ(399))

昨年(2021年)の本屋大賞翻訳小説部門第1位をとった、ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』(友廣純訳、早川書房)をようやく読んだ。
アメリカでも刊行直後から1年以上ベストセラーリストに入り続け、日本でも多くの書店員の注目を浴び、本屋大賞までとった作品だ。読んで、その吸引力に強く感じ入ったが、この小説を発見した多くの読者それぞれの慧眼にも感じ入る。

舞台は、アメリカ、ノースカロライナ州の海沿いの湿地帯だ。これまでにノースカロライナ州を舞台にした小説を読んだことがあっただろうか? アメリカ合衆国独立時の最初の13州に入る、伝統のある州であり、地理的に南方に入り(ヴァージニアのすぐ隣だけど)、南北戦争でも、アメリカ連合国側に入った、奴隷制を是認してきた州。
小説は、1969年と1952年、2つの視点を行ったり来たりしながら、それぞれの時代を少しずつ進んでいく。1952年、湿地帯の中で家族と暮らしていた7歳のカイア(キャサリン・クラーク)は、母が出奔する姿を見る。酔いどれて、妻に手をあげる父に耐えられなくなって出て行ったのか? 誰もカイアには説明せず、年の離れた姉や兄たちも一人また一人と、父との暮らしに耐えかね家を出ていく。
一方、1969年の世界は、湿地に近い町の有力者の息子、チェイス・アンドルーズの死体が沼地に浮かんでいたのが発見されたところから始まる。
冒頭に、登場人物一覧がついているが、これいらんやろ、と思う位、カイアを取り巻く世界は狭く、濃密である。登場人物の大半は、チェイスの死の真相を解明しようとする、保安官と裁判所の関係者。登場人物一覧には時として、これ書いたらあかんやろ、と思う位やばいネタバレが含まれていることがあるが、今作はその心配はなかった(読了後の結果論だが、これから読む人も心配せず登場人物表見て大丈夫です)。

父による、人間関係からの切り離しにより、カイアは学校にも通わず、傷痍軍人の父の年金でかつかつの暮らしを強いられる。一時は和やかな親子関係が築けた時期もあったが、あるきっかけで、父もカイアを置いて出て行ってしまう。しかしカイアは音を上げず、湿地帯の中で自立する道を探る。彼女のコンタクトポイントは、父が残したモーターボートに給油してくれる燃料店の黒人ジャンピンとその妻のメイベルだけ(町の人々の黒人に対する差別的言動に、これが南部の小説であることを感じさせる)。民生委員みたいな人の促しで一日だけ学校に行くが、他の生徒たちに白眼視され、その後二度と学校には通わない。
お金の計算も出来なければ字も読めないカイアに、水辺で知り合った少年テイトが勉強を教え、二人は鳥の羽や貝殻を集め、博物学的な好奇心を満たす(作者は元々動物行動学者で、博物学的な知識が深いので、コレクションのワクワク感がよく伝わってくる)。
また、カイアの強い倫理性も、心の中にすとんと落ちてくる。字を覚えたカイアは、家にある詩集を読み、多くの詩を暗誦する。カイアの美への探求心も、この物語の大きな柱となっている。

カイアの成長譚はじっくり描かれ、それだけにまだるっこしい部分も多いが、それをじっくり読み進めることで、読者はカイアに感情移入していく。幾つかの幸福な出逢いと、不幸な別れ。

そして、並行して、チェイス・アンドルーズの死の真相の追及が進んでいく。街から離れた火の見櫓で、チェイスは何をしていて、なんで転落死したのか? 誰かに突き落とされたのか? その謎解きもまたゆっくりと、まだるっこしく進む。

1952年に始まった物語は少しずつ1969年の物語に近づいていく。証拠は何もなく、かつアリバイまであるのに、町の人々は、「湿地の少女」と呼んで蔑んできたカイアを殺人犯だと決めつける。

この辺りから物語は加速度を高め、読んでいても、1ページ先の展開が全く読めない状態でどんどんページをめくっていくようになる。怒涛のような結末を迎えた、と思ったら、わたしたちは最後の「ホタル」という章で、本当に本当に驚かされる。ホタルのことは、もっとずっと前からカイアが分析し、言及していたのに、こんな形で物語の幕をホタルが引いてくれるとは。

読み終わると、本を抱えたまま放心する。大きな旅路が終わった、そんな感覚。

訳者の友廣純さんのことば。

この作品がどんな話なのかというのは、なかなか説明が難しいです。そして、説明する必要もないのだろうと思っています。ひとつには、この物語にはたくさんのテーマが重層的に含まれていて、なにが心に残るかはそのときどき、読む人によって変わるというのもあるのですが、それだけではなく、この作品は言葉で語るよりも、まずは読者ひとりひとりが体験をするような作品だと思うからです。

https://www.hayakawabooks.com/n/n93fc37b19c11

カイアは、わたしからとても離れた場所にいるようなのに、この本を読むことで一緒に生きたような感覚があった。カイアの魂の美しさに触れた。小説が自分をどこかに連れて行ってくれるような感覚を味わえた幸福が、多くの人の支持を集めてきた所以だろう。

この小説は、ディーリア・オーエンズが70歳にして刊行した初の小説とのこと。この先どんな世界を見せてくれるか。アメリカでは今年映画化もされたらしいが、これは映像で先を急ぐような小説ではないぞ、という気もする。

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