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#8 外にも出よ、ふるゝばかりに

今日は散歩に出た。

朝、目が覚めるとなんとなく憂鬱な気がして、これはよくないと思って、午前中に仕事をあらかた片付けたら、散歩に行こうと決めた。

行くあては、漠然と頭のなかに浮かんでいた。隣町の公園まで行こう。そして、今日はチートデイということにして、モスバーガーでテリヤキバーガーを買って、公園のベンチで食べよう。そう考えると、楽しみになった。

仕事を終えて、モッズコートを羽織って、ポケットにはモレスキンノートとジョッターのボールペン、アルコール消毒ジェルと、ハンカチ、財布を入れた。

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久しぶりに長めの距離を歩くのはなんだかわくわくした。少し曇っていて鈍い色をしてはいるが、街のなかは静かだった。住宅街の細い道を歩いていく。アスファルトの音だけが響いていく。

歩いていると、見慣れないものも多く飛び込んでくる。徒歩だとそういうものにいちいち足をとめることができる。そして、ノートにおかしなものをメモしていく。

隣町の駅周辺に着くと、人で賑わっていた。「緊急事態」はいったいどこに行ってしまったのかはわからないが、それでも、こうしている人々を見ると、世界が大きく変わってしまったのだと思う。

マクドナルドに人がたくさんならんでいる。ラーメン屋には人がたくさん入っていて、みな隣り合わせでラーメンを啜っている。モスバーガーに行くと、テイクアウトのみになっていた。ネットで注文をする人々や、注文でまごつく人たちなど、さまざまいて割合時間がかかった。ぼくはテリヤキバーガーとポテトSセットを注文した。ドリンクはコーラだ。

テイクアウト用に包装をし続けているおじさんがすごく忙しそうだった。出来上がると、おじさんがスタスタと持ってきてくれた。思っていたよりも袋は重かった。

それから、公園の方へ歩いていった。一度だけ来たことがあったのだが、今日はもっとゆっくり回ってみようと思った。たしか梅園があったなあと思いながら、丘のようになっている公園の階段をあがっていく。

当然、梅の季節は過ぎてしまっているが、梅のまわりを取り囲むようにつつじが植えられていて、つつじの道ができている。

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白やピンク、真っ赤なつつじが満開になっていた。蜜蜂たちが忙しそうに蜜を集めていた。働き者たちだ。とてもおなかがすいていたので、ぼくはベンチを見つけてつつじのなかでモスバーガーを食べた。もちろん、アルコールジェルで手を念入りに消毒した。

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やはりテリヤキバーガーがおいしい。残ったタレをポテトにつけて食べるとまた絶品だ。つつじをながめながら食べていると、となりに蠅が止まった。

他にも、家族でお弁当のようなものを食べている人たちもいた。お父さんが立ち歩きながら弁当を箸でかっこんでいるのを見てお行儀が悪いと思ったが、こんなところでモスバーガーを食べているのも、そう変わらないかと思いながらコーラを飲み干した。

ゴミ箱に容器を捨てて少し歩いて回ることにした。すると、野草などをよくよく見てみると美しいかたちをしていることに気がついて、ぶらさげてきたカメラを構えて、たくさん撮っていった。

野草の造形美1「待ち伏せ」

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野草の造形美2「厭う恋」

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野草の造形美3「構造主義」

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野草の造形美4「めざめ」

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ああ、すごいなあと思いながら、いや、他にはだれもいなかったから、声に出しながら、しゃがんだり、空を仰いだりしながらシャッターを切っていった。ただの野草を撮ることになろうとは思わなかったが、その構造の美しさにあらためて気づくことができてよかった。

「野草」という言葉を使っているが、通常「やそう」と読んで、なんとく「夜想曲」などの「yasou」という音が美しい。しかし、今日は「のぐさ」の方が、この植物たちにはあっているような気がした。「nogusa」の方が力づよく、たくましく、しぶとく生きているさまがある。

ただ、これらは「野草」というほど「野草」ではないようだった。少し隠れて、こんな表記があった。

「愛情」

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「野草」のなかにあらわれた「大切に育てています」という言葉が、「詩」のように感じられた。きっとそう感じたのは「野草」も「喩」となり、さらにこのなんてことのないフレーズも「喩」になっていったからだろう。「野草」たちが一つの文脈を形成し、「大切に育てています」という言葉に力を持たせたのだ。

さらに行く。雪のようなつつじ。

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そして、句碑が目の前にあらわれる。

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「そとにも、でよ、ふろ、いや、ふるる、ばかり、に、はるのつき、、、女?」

誰の句かな、と思ってスマホですぐに調べると、

外(と)にも出よふるゝばかりに春の月 中村汀女

という句だった。なるほど、と思った。

「とにもでよ ふるるばかりに はるのつき」

何度か碑のまえで口にすると、今日はこの言葉に導かれてここにやってきたような気がした。自粛要請が出ているなかで、部屋の外に出ることに多少の罪悪感のようなものがあるなか、「外にも出よ」と誘うこの言葉には不思議な魔力が宿っている。これが「文学」の力だなあと思った。まさに「外」に出ていく力だ。

そんなことを考えながら、帰り道を歩いた。いい気分で、帰り道もまた迷いこむようにして細い道を歩き、見たこともないものを探して歩いた。

最後に、他に撮った写真をあげて。

「遠ざかる青春」

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「侵食蟲」

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「侘び花」

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「トロッコ問題」

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「帰路」

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