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自己管理の正論を振りかざす

何度か書いているけれども、私は幼い頃からの習い事で、中学生の頃から50g単位で体重を管理されていた。制限もあって、毎日いつでも脳内では体重の計算をしていた。
加えて親も容姿に厳しい人たちで、特に父親は街で見かけるあまり美しくない人のことを当たり前のようにディスったりしていた。

それらが影響しているのか、私自身が勝手に作り上げた概念なのかはわからないけれど、小学校高学年になる頃には完全に「デブは害悪」だと信じきっていた。太ったら何もできないんだ、だから太っちゃダメなんだ、太った人間に価値なんてないんだ、みたいな。

クラブでは「体重制限が守れないなんて、自己管理できてなさすぎ!やる気なし!価値なし!死んだ魚の目!腐ったりんごは出ていけ!そんなんだからあんたの親は!」みたいに人格否定をされるのがわりとまかり通っていたというか、代々みんな言われてきたので、不快だけどこんなもんか、と思っていたし、親に関してはもう完全に洗脳だから私も「美しくない人が楽しそうに生きてるなんておかしい!嘘だ!まやかしだ!ありえない!ブスは不幸になってしかるべき!」くらいトゲのあることをもう小4くらいで考えていた。それが影響してイジメに繋がったりもした。私が加害者の方。これはまた後日書きたいとずっと思っている。しんどくて書けない。

高校卒業と同時にそのスポーツは辞めて、だらだらしてから大学生になって、そのあいだにいろんな友達ができて、いろいろ遊んだり考えたりしているうちに、すこしずつだけどそれらの考えが間違いだったかも、なんて思えるようになって、でも許せないところもあったり、心が片付かなかったり、今でもけっこうぐちゃぐちゃだけど、とにかく最近は人生色々だなって感じる。



ただ、やっぱり「痩せたい」とか言うくせに痩せようとしてないとか自分に甘いだとか、やってるつもりになってるのとか、そういう人をみるとほんとうにやるせなくなる。
あなたが勝手に太ってるのはいっこうに構わないけど、そこまで本気で痩せたいと思ってないなら「痩せたい」なんて口にするな、みたいな。私や私の周りはみんな死にものぐるいで体重の管理をして、痩せるとか太るとかに捕らわれる子も少なからずいて、そうやってなんとか痩せてる自分を保ってきたのに、まったくやる気のない、本気度の低すぎる「痩せたい」を聞くと泣きたくなる。
本気じゃないなら痩せたいなんて言うな、そこまでして痩せたくなんてないんじゃん、痩せる必要性を感じてないんじゃん、みたいな。

部屋が片付いてないのも同じように感じちゃって、片付けないと〜とか言うわりに片付けないとかそういうのもかなり落胆しちゃう。
片付けられないなら協力を求めればいいし、求められれば手を貸すのにそうしないのはつまるところ片付ける必要性を感じていないからでは?なのに口ばっかりそれっぽいことを言ってごまかして、そんなハッタリだらけで取捨選択のできない人生、片付かなくて当然だわ!ってなってしまいます。

両方まとめると、できない約束をする人は信用ならないよほんとうに。ってことでしょうか。恩師の言葉を借りると「『やってるつもり』と『やろうとしてる』は似てるようで全然ちがうんだからな」みたいなことでしょうか。
私の思想は過激ですか?ゆるやかに穏やかに生きられたらいいのに、とは思うのですが。

私も体重が増えたり部屋に物が増えすぎたりすると自分自身でも「あーいまデブの栄養失調だなあ」と感じます。不必要なもので溢れかえって身動きがとれなくて、ああ重たい、エネルギーがない、動けない、みたいに。
いらないものを見極める力をもっともっと養いたいです。


写真は前々回の記事の料理!

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