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私は私でいることを放棄するのを放棄する

小三のAちゃん。

私はその子のことがもともと、初めて会ったときから、なんとなくの雰囲気でそんなに得意ではないのだけれども。

Aちゃんにたまに聞かれる「先生って、自分のお母さんのこと好き?」が私を毎回えぐる。

大人だから嘘つけばいいとか、そういう気にはぜんぜんならなくて、親のことを必ずしも好きでいなくちゃいけないとか、そんな考えを植えつけるのもおかしいよなとか、そういう私なりの考えがあって、私は素直に答える。

「嫌いだよ」と。

ときには「好きじゃないよ」くらいにしたりもするのだが、Aちゃんはいつも「じゃあお父さんは?」とか「えーなんで?おかいしよ」とか「親不孝だねー」とか言ってくる。
べつに本心とか、本気でそう思ってるとかではなく、明らかにおちょくってる感じなのもまた少し私をえぐる。

Aちゃんはどこからそんな思想をとりこんだの?やっぱりまだまだ世の中的にわたしは隠れておかなくてはいけないような存在なの?子どもには幻想や理想だけを与えるべきなの?わたしはやっぱり親不孝なの?どんなにひどい親でも嫌ったらいけないの?

そんな渦に放り込まれても、最近はわりと苦笑いで逃げられるようになった。
それでもえぐられることには変わりがなくて、結局今日もお風呂で悲しい気持ちになっている。


旅の件で、母親から久々に連絡がきて、もっと久々に、正確には二年ぶりに返事をして、それだけで今週のわたしはすごく疲弊していた。


私だって親に会いたいよ。
だけど、母親と会ったら殺されるかもしれない。もう大丈夫だと思っていても、今度こそほんとうに死ぬかもしれない。怖い、私が、みんなが、壊れるのが。

どちらかといえば話の通じる父親とでも、今でも会う前にすごく構える。
「大丈夫、今の私はもう大人、あの人ももうかなり老いている、殴られないし、怒鳴られない。」って、自分に呪文をかける。

母親と会いたくない以上に、両親そろった状態を目にしたくない。壊れていくのも見たくないし、壊されたくもない。自分の無力さを思い知るから。

母親が悪いとはもうあまり思わなくなってきた。
弱いんだな、と思わなくはないけれど、私だってそうなってたかもしれないし、この先ならないとも限らない。

でも、それでも、誰も悪くないなら、どうして。どうしてわたしも親もまわりもみんな、こんなに苦しいの?って。

素直に会いたいと思えてそのまま会いたいと言える、そんな親が欲しかったな、といつまでも続くないものねだり。

写真は私の街の美味しい焼き鳥屋さんでいただいた万願寺とうがらしの肉詰め……!

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