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個人的な経験/大江健三郎(2)


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主人公のバードは、アフリカ旅行を夢見ていた。けれども赤ん坊ができたのでそれを諦めかけていた。
けれども。
生まれてみるとその赤ん坊は脳ヘルニアだった。
脳みそが飛び出ていて、ちょうど頭がふたつあるように見える、らしい。

なかなか大変そうだなあなんて思っている暇もなく、医者や看護婦(古い本なので婦という表記)はバードを嘲笑する。可哀想とか大変そうとかではなく、あんな子どもを発生させたなんて恥ずかしいこと、みたいに。お産に立ち会った医者だって、「あんな子どもは早く死ぬのがいい」とか言う。そんな時代なのかなあ。
もちろんといっていいのか、バードもその赤ん坊がはやく死んでくれればいい、くらいの発言をする。特児室に赴いて赤ん坊がまだ生きていると知ると落胆し、そこにいたまだ少しまともそうな医者に、赤ん坊を緩慢に死に導くことをそれとなく頼む。

ほとんど皆が皆、赤ん坊のことを恥ずかしいと思っている。
私は違和感を覚える。残念ながら悲しいとか憤りとか、そういうマトモっぽい感情が沸くわけではないけれど。赤ん坊だからといって、殺してはいけないとかそういう倫理教育みたいなものをされてきているので。
でも、昔は間引きみたいなものもあったらしいし、戦争中は泣き止まないから殺すとかしてたって聞くし、みんなが仕方のないことって思えばなんでも仕方のないことになるんだろうなあって、改めて思うよねーー。
同調圧力とでもいうのか、まともそうな医者だって、仕方ないって感じで緩慢な殺しに加担するわけだし。

現代でも妊娠中に染色体異常があったら堕ろすとかの「生命の選択」が問題になってるけど、決定的に生死を決めるところが問題じゃなくて、生まれてきても生きられないみたいな、そんな環境をどうにかするのが大人のやるべきことなんだろうなあ、とか。
生まれてきても死んだように扱われるならそりゃ死んでるのと変わりなくない?とか感じて、だったら生まれる前に堕ろせばよくない?みたいに考えちゃうのもごく当たり前じゃない?

生きなきゃいけないならちゃんと生きていたいよ私は。

今日はすごく疲れました。
時間と体力とお金をたくさん費やさないと私は私の思う普通になれないんだなあとか、なんかほんと疲れる。
明日は唐揚げ定食を食べるんだ!!!

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