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日常の美を、見逃さないように。


今日も暑かった!

きっとどこも同じだろうし、言ってもしょうがないないのだけれど……でも今日一日で、暑いと何度口にしたかわからない。

今日の試合会場は、今まさに最盛期を迎えたぶどう畑のあいだを抜けて少し山に近づいたところ、(ふさふさすぎる)天然芝のグラウンドだった。
隣の田んぼでは稲刈りが行われ、トンボがうじゃうじゃ飛んでいた。

のどか。だけど…

日陰がまったくなく、必死に日傘で全身を日差しから守る。
風は少しひんやりしているくらいなのに、それを打ち消してしまうくらいの日差しの鋭さ。
ジリジリ、と音がしそうなくらいの。


日傘がないと立っていられないくらいなのに、その中でボールを追いかけて走り回る子どもたちは、本当にすごい。


昨日食べたぶどう。名前は知らない。


結局今日も二人で4セットのユニフォームと臭いソックスを洗濯して、そんなこんなで一日はほぼ終わり。

庭が日陰になってから暗くなるまでがあっというまなのも、焦る。
私の大事なリセットの時間…。
今日も、花壇を広げる準備を少しと草とりをしていたら、あたりはすっかり暗くなっていた。


最近、とても素敵な写真集が手元にあり、毎日眺めている。(図書館で借りたもの。)

以前から興味があって、この本の存在も気になっていたのだけれど、先日のフランチェスカさんの記事を読んで、あぁいいな、今すぐ見てみたい、と思ったのです。
(素敵な記事、ありがとうございます。)


遠くへの旅の記録やどこかの絶景の写真も、非日常を感じさせてもらえたり、憧れを持って読んだり見たりすることができて、大好き。

でもこの写真集を眺めていると、それらとは違う、心の中に小さな光や希望がわいてくるような、そんな感覚がある。


窓越しに眺める街並みや行き交う人。
ガラスや鏡に映り込んだ風景や人物。
そんな、日常の中のふとした視線が捉えたものが、こんなにも魅力的だということ。

その写真を見ていて私が感じたこと、そのままソール・ライター自身の言葉で、ページのあちこちに散りばめられていた。

忘れないように、メモしておこう。


私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。
神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。


重要なのは、どこで見たとか、何を見たとかということではなく、どのように見たかということだ。


写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時々提示することだ。







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