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これが求道者のあるべき姿

今回、ちょっと毛色の違う話をしてみたいと思いました。
きっかけは、私の両親に関すること。

少し今後こちらについても、皆さんからまた知恵をいただければと思いますが、私の両親は現在も健在ではあるのですが、如何せん高齢になってきました。やはりなかなか身体も思うように動かず。休みの日を使いながら、時間に戻りつつ、少しなるべく時間をとれるように意識をしています。

特に、母親に関しては、認知症が進み始め、少しずつ進んでいる状態なのか…という感覚もあります。
・同じ話・質問を繰り返してしまう。
・部屋の片づけがどうしてもできない。
・捨てることが出来ない。
これも私が少しずつ携わりながら、解決に向けて動かなければならない内容です。

それを私の父は上手く支えていますが、やはり身体にもガタが来ています。
そんな父が以前、身体に負担を抱えてしまい腰を痛めてしまいました。
どうも父は身体を触られるとか、マッサージを受けるということを嫌がる人だったのですが、そんな父が「ここ行ってみようかな」というところを私に紹介してきました。

衝撃的でした。

それがこちらです。

実は、以前からこの「兼子ただし」さんのクリニックに興味があり、Youtubeも登録をしていました。何故ならば、本当にこの方の持っているマインド・コンセプトが
「ストレッチを医学に」
を体現するかのように、多くの人の困りごとを動画の中で改善させ、そしてそれに基づく根拠を明確に示しつつ、そして一番素晴らしいのが、それをどのように「一般化させるか」「広く業界の発展につなげるか」をずっと考えてらっしゃるところでした。
※実際に私も施術を受けてみたいと思ったことも何度もありますが(笑)

今回、その中でも少し古い動画になりますが、これが求道者のあるべき姿だなと感じたものがありましたので、紹介いたします。

結論から言うと、二人とも素晴らしい。
山の昇り方が違うだけで、目指すべき頂上は一緒なのですが、途中経過が違う。それをしっかりと対談をして、批判の部分や違いの部分を埋めたうえで、何をしていきたいかが明確になっている。

これが本当にあるべき姿の「対談」なのだと思っています。
つまり最終的に双方への敬意を感じられる内容だったなと思いました。
※最初の段階では、どういう話に展開するのかな…というドキドキ感もありましたが。

この話の中で、やはりすごいなと一番共感したのは
「学び続ける姿勢」
です。
そして何を学び続けるのかというのが、一方面からではなく、多方面からのアプローチ。しっかりと相手のことも調べる(学ぶ)し、神経だけ・筋肉だけ・骨だけではなく、人体としての学びを継続される…
素人が表現するには、難しいのですが、私は学問ということについては、その分野のみを学ぶのではなく、色々なものを学んでからの総合的な見地からの学びが”本当の学び”であると考えています。

例えば、個人的には…ですが、
教師という仕事に就くときに、結構考えたことだったのですが、どんなスキルが必要なんだろう…ということを考えたのです。
その時、私はいわゆる「授業屋」、講義をすることに全力を注いでいたといっても過言ではない状態です。
英語であれば、本当に本屋と友達になっていました。問題集や参考書を見て、何か指導に使えないかな?というような。
次の段階で、他の人の授業実施を見て、技を盗む。いわゆる「守破離」の守から破へ向かうためのステップですね。

ここで一つ気づき、立ち止まります。
自分は英語という科目を使って、何を教えたいんだ…?
専門科目でもないのに、何を知識をたくさん得ようとしているんだ…?

現段階での私の結論は
論理的思考の練習と、文化理解、ひいては多様性の理解です。

そうしたら、英語という科目を使って、何を教えるかが変わってきたのです。そうすると学ぶべき内容が、もっと変わります。
本屋で見るカテゴリーが、文化人類学になったり、音声学になったり…。
ということは、目的によって、自分が学ばなければならないことは、本当に変わるわけで、「一生勉強」なのです。

先人の知識を学べる本、経験…もっともっと得たいことが多いですね。
求道者ってそういうことなんじゃないかと思います。
※たしか、現代最強マーケターと呼ばれる森岡さんも、実際にマタギになった経験をされたなんていう話もありました。

さて、父を連れて行こうかな。



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