通常のタイプ6(これで近頃の日本を説明する)

 今回は、通常のタイプ6を、ドン・リチャード・リソとラス・ハドソンの『性格のタイプ 増補改訂版―自己発見のためのエニアグラム』から引用しながら感想を書きます。

 主に今日のタイプ6国家日本に当てはめて感想を書いています。

 通常とは、段階1~9の内、ちょうど真ん中の段階4~6(レベル4~レベル6)のことを指します。詳しくはレベルの説明をご覧ください。

 以前『国のレベルと「レベルを上げる条件」』において、日本はレベル6あたりと書いたので、今回はその詳細を説明することになります。
 結論を先に言ってしまうと、必ずしもレベル6という訳でもなく、レベル4にも該当箇所がありました。

 では、以下に引用していきます。

段階4 (略)段階4では、より健全な<段階>にいるタイプ6に見られる自己への信頼は消え始めており、(略)通常のタイプ6は、自分自身で決定を下さずに、文書資料、権威のある印刷物、規則・法令 ─── 何らかの「聖典」─── などに前例か答えを求めるようになる(指導者として働く通常のタイプ6は、特にそうすることが多いようで、自分で決めることはせずに、委員会などをつくり、総意によて運営するようになりがちである)。(略)友人や権威者に約束を取って、自分の解釈が「正しい」ことを確かめる。(略)その人たちが規則を解釈していれば、自分は批判や罰を受ける可能性を避けられると感じる。

 このニュースが該当しそうですね。答えを外に求めています。権威に頼っています。

「財政赤字減に消費増税は逆効果」 ノーベル経済学賞受賞の米教授指摘(2017年3月15日 東京新聞)』より引用

 政府は十四日、経済財政諮問会議を開き、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ米コロンビア大教授から経済情勢に関する意見を聴いた。


 「委員会をつくり」で思い出したのですが、
 タイプ6の安倍首相がたくさんの委員会?(私的諮問機関?)を作っているという記事を以前新聞で見たような気がします。ですが、今回、該当する記事を見つけることができなかったので、これは、不確かな情報です。

 「自分自身で決定を下さずに」「自分は批判や罰を受ける可能性を避けられる」
 この記述を読むと、単なる責任逃れにも見えるのですけどね。
 これ、タイプ6組織である官僚もそうですけど、同様にタイプ6の安倍首相も同じことをしていますね。
 最近、安倍政権では、シムズ理論を使い始めていますけど、これも例え失敗してもノーベル賞経済学者のクリストファー・シムズ米プリンストン大学教授が言った通りにしただけであって「自分は批判や罰を受ける可能性を避けられる」から、この理論をもってきたのでしょうね。この理論を実行するのは日本が始めてで、ある意味「人柱」なんですけどね。

※人柱 (ひとばしら) パソコン用語として 最新の製品や部品などを真っ先に試して、自ら犠牲者になっている人のこと。あるいは、規定外の使い方を試して、自ら犠牲者になっている人のこと。(NTTPCコミュニケーションズ より)

 引用を続けます。

 重大な決定を下すときには、いつも以上に心に葛藤を感じたり、自己不信に陥るということである。

 日常でよく見るタイプ6は判断が嫌いですからね。内面的には、このような葛藤を避けているのかも知れません。

 自分自身より大きな何かに属することで、自分は一人ではないと感じるし、持続しそうなものの一部なのであるからこそ、より強く、より安全でいられると感じることができる。

これは、『「教育勅語」を愛する人々(小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」:2017/03/17;日経ビジネスオンライン)』に書いていた内容とつながります。

(略)「個」よりも「集団」を重んじ、「私」よりも「公」に高い価値を置き、個々人の自由よりも社会の秩序維持に心を砕く社会(略)任侠でも暴走族でも体育会の野球部でもブラック企業でもお役所でも同じことなのだが、要するにわれらが日本の「強いチーム」(略)

 「自分は一人ではないと感じる」ほうがタイプ6にとっては重要なのですよ。
 あと、個人的に言うなら「チーム」では無く「組織」ですね。私的解釈(距離感のエニアグラム)で言わせていただければ、チームという数のとらえ方は、ハートセンターのとらえ方です。アメリカなんかがそういった数のとらえ方をします。

 リソ&ハドソンの本を読むと、この「自分自身より大きな何かに属すること」は、通常のタイプ6を感情面で満足させるそうですが、これには、二つの重大な欠点もあるそうです。その一つは責任感からおこなっていることが、本当はしたくもない労役であることに、気が付いてしまう点。もう一つは、集団や組織と自己を一体化させることで、世界を視野の狭いものの見方で見ることが助長される点だそうです。

段階5(略)自分は利用されているのではないかと疑ったり、他者は本当に自分に敬意を払っているのかどうか心配するようになる。

 読んでいて思い出したのは、「そういえば、タイプ6って意外と冷めているよね」ってこと。組織に所属してしがみついているのに、組織を冷めた目で見ていたり、割を食わないように用心しながら世間を渡ろうとしていたり・・・、それは、「自分が利用されているという疑い(もしくは確信)」から来ているのでしょうね。

独力で物事をすること、独力で意思決定するとこ、あるいは、頼まれたとしても他者を指導することがむずかしい。

 これは、段階4(=レベル4)のように、「自分自身で決定を下さずに」「 ─ 何らかの「聖典」─ などに前例か答えを求めるようになる」ことより、さらに精神レベルが低くなって、もはや聖典に頼っても「独力で意識決定すること」「独力で物事をすること」が難しくなっているということで、これは私が過去に書いてきた「判断を嫌がる」「思考停止」の日本人像と重なります。一人で物事もできない、意識決定もできないは、いわゆる「指示待ち人間」でもあります。そして、それはまた「グライダー人間」でもあります。
 官僚はレベル4で聖典を使って仕事をして、一般的な社会人は、もう少しレベルが落ちてレベル5が増えて指示待ち人間と言われることになる。ということになります。「お上に頼る庶民」と言ったところでしょうか?

 こうして見ると、段階3より上の「健全なタイプ6」は、己を信頼し、自分で判断ができるのに対し、段階4から始まる「通常のタイプ6」は、己を信頼できず、自分での判断が難しくなり、
 段階4では判断能力が無いので聖典に頼り、
 段階5に落ちると、今度は、聖典の中から探し出す判断能力すら無くなるということが分かります。そのために独力で意識決定することが難しくなるということです。
 「自分で判断するのなんて簡単でしょう?」なんて言うなかれ。それは違うタイプだから言えること。これこそタイプ6にとってのハードルなのです。

 あと、
 私には、この引用文の「頼まれたとしても他者を指導することがむずかしい。」がよく分かりませんでした。この感覚がつかめません。他者を指導することなんて段階に関係無く簡単なことでしょう?というのが私の感想です。本当にそうなんですか?タイプ6のかた。確かに思い起こせば、レベルが低くなって部下に対して理性的に対応できず、会話の途中から「いい加減にしろ」とばかりに大声になったりしているタイプ6を見たこともあるので、そういうことを言っているのでしょうかね?これを読んでいるあなたは。他者を指導するのは簡単なことですか?

段階6(略)自分の協力者だけでなく敵にまで自分の力と価値を証明しようとして(略)攻撃的な面を強く表に出す。

 ネットを見ていると、「敵にまで自分の力と価値を証明しよう」とする人が散見されますよね。

 通常のタイプ6は、集団と地位に一体化するが、この<段階>では、極端に党派的かつ権威主義的であり、他者を「自分に従う」人と「自分に逆らう」人とに厳密に分ける。すべての人が、われわれ対彼ら、部外者対部内者、友人対敵というように遠慮会釈なく二つの分岐にくくられる。「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」というのが彼らの態度である。誰かが彼らの信念に異議を唱えれば、自分の生き方そのものへの攻撃とみなす。

 「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」「誰かが彼らの信念に異議を唱えれば、自分の生き方そのものへの攻撃とみなす。」こういう人は、以前書いた『「たしかに、裏切られたと感じたことはあった。でも、支持し続ける。」』に出てくる人と同じ人たちです。
 学校法人「森友学園」の問題があっても、安倍内閣を支持する人たちの多くは、「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」「たしかに、裏切られたと感じたことはあった。でも、支持し続ける。」になっているわけです。
 残業が36協定で定める労働時間上限の月45時間の2倍以上になっても、「たしかに、裏切られたと感じたことはあった。でも、支持し続ける。」となるわけです。

 右翼左翼の違いなく、政治信条の違いなく、所属組織の違いなく、立場の違いなく、
 何か問題が起こっても、何か不適切なことが起こっても、何らかの権力が、その力を悪用していることを察知しても、「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」となる段階6(=レベル6)な動きが日本には蔓延しています。

 それと、この記述からはタイプ6の安倍首相の心の内が垣間見れます。自衛隊を「わが軍」と言ったのは、「集団と地位に一体化」した状態だったと見ることができます。

 段階6になると、タイプ6は何かの「ために」働くことが非常にむずかしい。彼らのエネルギーは、人や物事に「反対する」ことで刺激を受ける。

 人や物事に反対する人たちは、炎上を起こしている人たちと重なります。
 炎上を起こしている人たちは、同じエネルギーで何かの「ために」働くことをしているのでしょうか?
 そんなことを言うと、相手は「自分の生き方そのものへの攻撃とみなす」かも知れませんね。

 また、本によると、段階6になるとタイプ6は「やり場のない不安を解放するという欲求」が出てくるそうです。
 これが炎上などの原動力となっているのかも知れません。
 彼ら彼女らには、根底に「やり場のない不安」があるのかも知れません。

 多くのタイプ6は自分自身が少数派の一員であっても、段階6では、誰か非難し過小評価する相手を見つけようとする。

 反対して、非難して、過小評価することしかできない人が、今の日本では増えてきています。
 特にネットで目立ちます。

 できうるならば、レベル3の「自分のまわりで何か不適切なことが起きていることを感じ取ったり、自分が関与している組織の中で他者が力を悪用していることを察知したりすれば、怖れずに疑問を提起する」人が増えて欲しいものです。

 不適切を見て見ぬ振りをするのは、『凡庸なる悪』の始まりです。健全なタイプ6と通常のタイプ6の境目がここにあります。

 あなたは、不適切なことや力の悪用に対し、どういった態度を取りますか?長いものに巻かれる態度であれば、それは通常のタイプ6の態度だということです。そして健全なタイプ6へ行くには、とてつもなく高いハードルを超える必要があります。ちなみに他の性格タイプにとっては、これはハードルですら無い場合があります。これがエニアグラムの不思議なところです。


 段階7以降の「不健全な状態」は引用しません。ボロボロなことが書かれていました。ここまでひどいと日常で関わるのは、家族とか一部の人に限られてくるでしょう。そんな身内がいるかたは、ひどすぎて相手の理解をする気力も無くなっているでしょうし、相手よりもご自身のレベルを落とさないほうに注意したほうが良いので、引用は不要と判断しました。


 最後に、
 ここまで偉そうに解説しましたが、私より人生経験の豊富な諸先輩方なら、引用文から私以上に何かを引き出しているかも知れません。私も何か気が付けば後から追記するかもです。

参考
タイプ6日本人の話は、こちらでまとめて表示されます。

ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"』(NHK視点・論点:2014/06/25:フェリス女学院大学教授 矢野久美子)より一部引用

 なぜそれほどの非難の嵐が起こったのか、主な論点をあげてみましょう。問題の一つは、アーレントがユダヤ人組織のナチスへの協力にふれたことでした。アイヒマンが統括したユダヤ人移送業務において、効率的な移送のために必要な、一覧表の作成などを、ユダヤ人リーダーたちが行っていたということがありました。これはすでに他の歴史家によって指摘されていたことではありましたが、アーレントは総攻撃を浴びました。この問題は彼女の裁判レポートのテーマではまったくなく、ほんの数行しか言及されていない事柄でした。ところが、彼女の言葉は、ナチスの犯罪の共同責任をユダヤ人に負わせるものとして受け止められました。イスラエル国家では、そのユダヤ人リーダーたちが、主要なポストについていたということもありました。

 そして最大の、今でも論争が続いている論点は、「悪の陳腐さ」「悪の凡庸さ」という言葉にありました。裁判でアーレントが見たアイヒマンは、怪物的な悪の権化ではけっしてなく、思考の欠如した官僚でした。アイヒマンは、その答弁において、紋切り型の決まり文句や官僚用語をくりかえしていました。アイヒマンの話す能力の不足は、考える能力、「誰か他の人の立場に立って考える能力」の不足、と結びついている、とアーレントは指摘しました。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った、と彼女は述べています。ナチスによって行われた巨悪な犯罪が、悪魔のような人物ではなく、思考の欠如した人間によって担われた、と彼女は考えました。しかしユダヤ人社会では、大量殺戮が凡庸なものだったというのか、ナチの犯罪を軽視し、アイヒマンを擁護するのか、といった憤激と非難の嵐が起こりました。

 アイヒマンの性格タイプは分かりませんが、日本人の性格タイプとされるタイプ6は、ヘッドセンター(思考センター)の否定点なので、「思考の欠如」した性格タイプなんですよね。

参考
タイプ6国民、日本人の思考停止


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