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「いい〇〇」「おもしろい〇〇」

誰も構ってくれないからふてくされている“わんこ会長”です。最近というか、実質10年以上、作品作る・表現するという活動から完全引退していたのだけども、引退していた諸事情はなげーから置いといて。当時もかなりワシは根本の考え方が違うんじゃないかなとズレは感じていたし、離れていても目にする発言があってさ、今はもっと感じるわけですよ。

「いい〇〇」「おもしろい〇〇」を作ります、みたいな。

この〇〇のところに好きな表現方法を入れてみてくれよと思う。この類をね、宣伝文句として使うのは好きにしてと思うんだけどね、これってさ、ワシは受け手の感受性への押し付けとしか感じない。「いい」「おもしろい」「楽しい」「良かった」というのは作品に対峙した受け手が得るかもしれない感覚と感情だと少なくともワシは思っている。

発信者側がそれを売り文句にするって時点で甘えてねぇかと思う。ただでさえ、作品を作るのは自慰とそうでない紙一重とせめぎ合ってるところで。そりゃ頑張ってたり、少しでもクオリティを上げようとしているのは当然で至極当たり前のことじゃないのかなと。

結果的に自分らも鼓舞もあるんやろけどさ、そもそもその手の発言する人らはさ、彼らの中での同業なりへの「共通認識・言語で」しかなく、通じないからまず。受け手側が「感想」でそこだよね、これは「いい〇〇だ」とか「おもしろい〇〇だ」とされてからの、あちこちへ流れるもんじゃねぇの?送り手側がそれを言うのはエゴだよ、押しつけだよ、なんだよ、それと思う。

いくらいいものにします、おもしろいものにしますと言ったって誰がそれを信じるかだし、そこに足を運ぼうとするなり、手を出す気はない。

自分らが作ったものをおもしろいと思ってるのはいいことだよと思うよ。楽しくなきゃ意味ないし、それを自慰とさせないとこまでが昇華であってさ、逃げ言葉だと思う。しかも連発すりゃするほど、空回る言葉ですよ(笑)

うちの商品いいんで。

これで買うやつはいないでしょ。下手くそどころじゃない営業さんが使う言葉やね。うちの商品は、他社と比べてここがこうで、これで、そうこういう機能があって、ここが特別で、お宅の場合だとーそうですねぇ、多分ここで使うとかも出来るかもだとーとか、突かれてからよろめくって(笑)

作品をイイモノにしようとするのはそりゃ作る側の意地ですよ、クオリティですよ、だって晒すものだから、お金貰うものだから。だけどそれを作る側が発言することは違うと思う。例えば芝居ならチラシにあらすじが欲しい派がいたりするわけだけれども、それも実際はどこをどう狙っての「営業」視点ではない文章で書かれてはいないので、宣伝効果としてはないのがほぼですよ。狂ったように折り込みすりゃ客は来ると思ってる人もまだいるしね。

語彙もそやけど、様々な立場の視点や能力、セルフにしてもプロモーション、営業能力、そしてそもそも誰に伝えたいのか、見せたいのか、見せるためには自分らはどうあるべきか、どう動くべきか…って考えねぇと。

別に芝居問わずね、何にしてもワシは「いい」「おもしろい」という言葉を使う人らのどんなものでも触れようとする気は起きないよって話。

Twitterやらで、みんな同じような言葉ばっか流すからウンザリ度は増すしね。それこそ自分の言葉を持っていないのかと問うわ、ほんま。

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