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“主体的”は観察者からの視点?~問いかけブレストより

みなさん、こんにちは!エンパブリックの広石です。
2月18日、empublic Studioで定期的に行なっている対話のひろば「問いかけブレスト」にて、「主体的な活動を促す問いかけとは?」を開催しました。

問いかけブレストでは、一つの場面を設定して、その場でどのような問いかけをしていけばいいか、アイデア出し(ブレーンストーミング)をしていきます。
毎回、参加者の方の異なる視点があることで、同じ状況でも全く違う“問いかけ”が生まれることが、とても楽しい場です。

今回のテーマ

今回は「主体的な活動を促したい場面」として、
「専門職が高齢者の体操の自主グループを立ち上げたく、体操の体験と講座を行った。講座の最後に自主グループ化を促しても、参加者から“先生がいなきゃできない”と言われたという場面」
を設定し、ここで、専門職は参加者にどう問いかけるか考え始めました。
*ここでは「専門職」を、理学療法士・介護予防運動指導員など、このような場の指導を行うための専門的知識を持った方をイメージしています。

問いかけをする側に必要なこと

すると、「この場面で問いかけられるのは、むしろ参加者よりも専門職なのでは?」という意見がありました。
「どのような活動が生まれることを目指していたのか?」
「その活動を行う上で必要なノウハウを参加者は得ているのか?」
「目指す状態を実現するために必要なことを、講座やプログラムの中で行ってきたのか?」
といったことを専門職が考えなければ動き出さないだろうということでした。
また、別の方からは、「目指す姿は、専門職と住民が共に考える必要があるので、専門職と参加者に同時に問いかけた方がいい」というご意見も。

参加者に活動を促そうとしたり、問いかけようとしたりする前に、問いかけようとする人自身が自分に目指したい状態を具体的に描けていることが大切であることに気づきました。

「主体的」とは誰からみた言葉?

そして、話を進めていく中で、「参加者は楽しいから、元気になりたいから活動を続けるのであって、主体的な活動をしたい訳ではないよね」という話に。
確かに、何か活動を行う時に「私は主体的に活動を行いたい」と思う人はあんまりいないですよね。

そこから「“主体的”というのは、自分で思うことではなく、活動の様子を見ている人が状態を評していう言葉だろう」という話になりました。

その現象を第三者的にみている観察者と実際に動いている当事者の間にある視点の違いがあることで、“主体的な活動”という言葉についても、行政や専門職と住民らとの間にギャップが生じてしまうのでしょう。

まとめ

社会的な活動では、社会課題や活動について、研究者の使う言葉や概念を利用することが多くあります。研究者は状態を客観的に観察し、分析し、普遍的な概念で説明できるようにします。
現場は、その言葉や概念を実際に活かすことで色々な知見を得るのですが、そこでの専門的な用語は、観察者視点での言葉であって当事者視点ではピンとこない言葉であることに気を付ける必要があるんだと気づきました。

現場で起きたことをメタ化して普遍的な概念に変えたり、メタ化された概念や知見を学びほぐして現場に落とし込むための「問いかけ方」を探求する「問いかけブレスト」のおもしろさはそこにあるのだということも発見でした。

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