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一生懸命ですが、なにか?

「なんでも一生懸命だよね~」(苦笑)

私は周囲からそう言われることが多い人間です。
実際不器用に見えると思うし、不器用だし、要領も悪い。
バカなのかな、バカなんだろうなと思うこともあります。

今時は、上手に立ち回って、額に汗しない生き方がクールなのかもしれません。
だけど、一生懸命に取り組むことが自分を助けることを私は知っているのです。

なので今日は、もし
「なんでも一生懸命だよね~」(苦笑)
そう言われることに、心がざわつくと感じる人がいるなら、一緒に考えていけたらと思ってこのnoteを書きます。くれぐれも最初にお伝えしたいのですが、こうすることを第三者にお勧めするものではありません。


自分がいつから一生懸命になったのかは明確には覚えていませんが、おそらく、ひとつ大きなプロジェクトをやり切った後から、このマインドセットになった気がします。

そのプロジェクトに関わることになったのは、偶然によるものが大きかったですが、とにかく大変な業務内容で、人間関係やスケジュールの過酷さなどもあり、常にストレスフルでした。
それまでも受験やらなにやら、目標を掲げて努力するという経験はあったけれど、これまでの自分は頑張っていなかった、頑張るってこういうことなんだなと、その時気づきました。

私は、この時どんなに辛くても投げ出しませんでした。自分の人生を変える大切な経験をしている予感がめちゃくちゃあったからです。

プロジェクトが終わり、客観的には成功というジャッジではありましたが、私の中には結果より、自分がやり切ったということが残りました。それがこんなにも清々しく、感動的で、自分を好きになれるなんて思ってもいませんでした。(実際は言語化し難いほどに最高の感覚です。ドーパミン1トンくらい出たかも)
もちろん成功の裏には、失敗したこともあるし、ネガティブな側面もあります。プライベートでは恋人との別れもありました。

それでも、全部ひっくるめてこの感覚を味わえたのは、一生懸命頑張ったからです。
「それ意味あんの?」そう言われても、プロジェクトの中で地道にやってきたこともありました。意味があるかどうかは、誰にもわからないことでしたが、やってみる価値があると思ったのです。それが最後に花開いた理由のひとつであったことは、自分がよく分かっています。ジャッジがどうあれ自分で自分を認められたのは、誰が何と言おうと一生懸命頑張ったゆるぎない事実の存在でした。

適当に手を抜いて適当に関わっていたら、あの感覚は味わえないし、今ここにいることもないし、ストレスにめちゃくちゃ弱い人間になっていたでしょう。

多分あの日から、私は一生懸命が楽しくなりました。

なんなら失敗しても清々しい気分になるために一生懸命になる、そんなところがあります。
と同時に、めちゃくちゃストレスにも強くなりました。
強くなったというか、一生懸命な時ってストレスをガソリンみたいに使っている感覚があります。人間の脳みそは面白いですね。

このことを書く気になったのは、以前あるセミナーに参加したことがきっかけです。
人の一生懸命を嘲笑うような態度の人を見て、これが相手の人の傷つきにつながってしまうと、その人は一生懸命を避けるようになるかもしれないなぁと思いました。嘲笑った人は違う価値観と世界に生きているので、一生懸命からもたらされる贈り物の価値を知らないか、無価値だと思っています。もしくは、恥と思っているかもしれません。
だからしょうがない。あんまりしょうがないとか言いたくないけど、しょうがない。

大丈夫です。
私たちの努力は私たちが知っています。
誰かに証明してもらう必要はありません。
その代わり、勇気を出して自分で自分を認めなければなりません。

ずっと自己批判をしてきた人にとっては、時に難しいかもしれませんが、どうか諦めず、一所懸命だったことを認めていきましょ!


「なんでも一生懸命だよね~」(苦笑)

そう言われるとニヤニヤしてしまう私なんです。

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