量より質か、質より量か。
こんばんは。エモらぶです。
私の人生では、カギを握ってくるであろう今日のテーマ。
現代では、何をするにも『量』より【質】と言われてしまいそうですが、私が思う観点からお伝えできることがあればと思います。
初めて悔しいと思えた日。
小学5年生の時、初めて悔しい思いをしました。
それは、いろいろなチームから上手な子たちを集めて結成する、選抜に入れなかった時です。
地元では、チームにも恵まれて優勝する経験も多く、試合にも出ていたのでそこそこ名前は通っていました。
対戦相手のチームから声をかけられて仲良くなることも多かったです。
(※当時は足が速かったので、活躍で来ていたんだと思います。)
その選抜に入るためのセレクション(選考会)。
普段は敵の子たちと、一緒にサッカーの試合や50m走などをして終わったらすぐにその場での合格発表がありました。
「名前を呼ばれた人はこっちに来てください」
周りの友達は、呼ばれて行き取り残されていく私。最後の最後まで呼ばれることはなく結果は不合格。みんなが違う場所で合格し、笑って楽しく話している姿を遠くから見つめる私。
両親もあの時だけは、少し優しかった記憶があります。
「しょうがないね。悔しかったら練習するしかないね。」
悔しいというより、下手だから不合格だったんだと当時の私は思っていました。
不合格の翌日に・・・
朝6時に起きて、『これから毎日ランニングとサッカーをする』と母に行って家を飛び出ていきました。ランニングは、決まったコースで毎日走りタイムを計っていました。肝心のサッカーは、下手だからボールをずっと蹴るしかないなと思ってやっていたと思います。
そんな生活が1年続き、セレクションにまた呼んでもらえました。
次こそは、受かってやると意気込み「合格」リベンジを果たせました。笑
リベンジを果たせたどころか、都道府県の選抜にまで選ばれてしまいました。理由は、体力があったのとなんか目立っていたからだそうです。笑
ど底辺でもやり方は変えない
それからというものの、とりあえず人より練習していれば結果はついてくるということを覚えた私は、『周りより長くやってやる』という気持ちでやっていました。
その『経験』が高校、大学もそのやり方を変えずに続けていた理由だったのではないかと思います。それで、結果はついてくると思っていたので。
今後、お話しさせていただきますが高校と大学でのサッカー生活は、ど底辺からのスタートでした。それでもブレずに、自分はこのやり方を貫いてきました。
完全にたまたまではありますが、自分を信じてやっていたことが結果としては試合に絡むことができたりしていたのでよかったなと思います。
意味合いが違うのではないか
私が、今終えて思うこと。
私は、質より量の練習をしてきて上手くなったとは思います。
ただし相当の時間がかかったなと思っています。
逆に、量より質にこだわってやっていたら上達するのはもっと早かったはずです。また、他の技術もたくさん得れたと思います。
ただ、私は量より質で得ることができないものが一つあったんです。
技術の向上よりも大切なもの
質より量にあって、量より質にないもの。
それは、、、『自信』です。
私は、質より量でやってきましたので
【誰よりも練習してきた。】
【あれだけ練習してきたのだから大丈夫】
プレーをするにあたってそこだけの自信はありました。
下手だけど、やってきたと。
練習してきたから『自信』がついて、プレーに生かせてたのかなと振り返ってみて思いました。
量が技術の向上の他ほかに、目では全く見えない『自信』もオマケでつけてくれていたのです。
技術向上だけに重点を置いて、トレーニングするには量より質でいいと思います。ただし、質より量をすることによって時間はかかるものの技術向上と自分のプレーへの自信につながります。
試合に生かせる方法は、どちらがいいのか試す以外の方法はないですね。
私は、今でも質より量で勝負しています!
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