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2000年前に眠った町「ポンペイ」

東京国立博物館にて開催中の『特別展・ポンペイ』を見てきました。
混雑はそれほどしていなかったです。古代ローマは専門外なのですが、めちゃくちゃ楽しかったのでレポート作ります。

ポンペイとは?

ポンペイは南イタリアのナポリの近くにある都市でした。海に面した港町で、地中海を交易することで栄えた都市です。この都市がヴェスヴィオ山の噴火により一夜として死の町になってしまったことは知られた通り。
軽石と火山灰で埋もれた町は古代ローマの世界をとどめたまま18世紀まで眠り続け、1748年に発掘が始まります。今でも発掘作業は続けられているんですよ。
ちなみに日本はそのころ弥生時代。水耕が始まって稲作が全国に広まり、それに伴ってムラができ始めました。稲作のために大規模な工事や水の利用が必要になったからですね。ちょうどこのころ1世紀中頃に「漢委奴國王の金印」が後漢からやってきました。
ちなみにこの金印は黒田藩の宝物で、江戸時代に農耕中の農民が偶然発見して、届け出たということです。巨大な石の下に隠されていたそうで、誰が?なぜ?隠したのか?など謎はいまだついていないんですね!!金印は明治維新後に東京国立博物館に寄贈されています。
話がそれました。
とにかく日本ではそういう時代。新羅と交易が始まって、後漢がどうやら、倭とかいう国があるんだってよ!ということがわかった時代のローマでは人々はどんな生活を送っていたのでしょうか。

ポンペイ展で見られる人々の生活風景

展示はここから始まりました。もともとギリシアからの入植者により始まったポンペイの町ですが、その後古代ローマの支配に変わったポンペイ。劇場があり、闘技場があり、浴場がある。ローマのお手本!!のような町ですね。ポンペイの町で発掘された家にはそれぞれ名前が付けられていて、それは出土品にちなむんです。

こちらの作品は、噴火前のヴェスヴィオ山を描いたフレスコ画。裕福な家には、中庭があり、こういったフレスコ画が床や壁に描かれていて、地中海文化を感じますね。
ワインが名産だったので、ワインの神バックスが描かれています。バックスはローマの神さま。ギリシャ神話ならデュオニソス。英語ならバッカス。フランス語ならバッカナール。そう!!!「サムソンとデリラ」とか「タンホイザー」のバッカナールはこの神様のことですね。


会場では噴火の風景CG再現映像が大画面で流れていて、迫力ありました。あれはにげられそうにないわ。
そこで、火山大国日本でポンペイ波の噴火があったとしたら?どうだったんだっけ・・・と思うのが人の常。

富士山の歴史上の大噴火といえば、「宝永の大噴火」です。今から300年ほど前、1704年のことです。その時は火山礫や火山灰が風に乗って江戸の町にも降り積もり、昼間でも行燈をともさなければいけないほど暗い日が続いたそうです。川がせき止められて氾濫したり、その影響は何十年にも及んだという記録が残っています。日本の場合、建造物がほぼ木材で作られていますから、残るも残らないもなかったのでしょうが、ポンペイみたいに石造りの国だったら、富士山麓に消えた村のひとつやふたつはあったことでしょう。

ポンペイで生きる人々の社会

ローマ帝国に支配された地域で、その社会形態を持っているということですから、貧富の差は激しくもちろん、奴隷もいました。


こちらはその出土品のひとつ。カメオガラスの「青の壺」青色ガラスの上に白色ガラスを乗せたカメオです。葡萄の収穫をデザインしています。このサイズでこのまま残っているのはなかなかないとのことで、大変貴重ですよね!


解放奴隷からの大金持ちとかもいたりするので、近代の奴隷制度よりは人間的であったのかも。
また、女性の起業家もいました。金融で財をなしたようで、銅像が作られているのですから、かなりやり手ですね!
古代ローマでは基本的に戦争で負けた国の人間がなるもので、その職域は多種多様でした。教師、医師、役人、そして家庭の使用人、闘技場の剣闘士とさまざまなありとあらゆる仕事を奴隷がやっていました。
何年か勤め上げると解放され、本人の子どもの代から市民権を得られたといいます。普通のローマ人家庭(例えば町のパン屋とか。にも奴隷がいて、このくらいの家のサイズには奴隷が何人、とかそういう目安もあったようです。大型農場はいうに及ばず。
奴隷に労働させてもやる気にかけるので、自由市民を使った方が効率いいよ、と書いてある本もあって驚かされます。
低賃金の労働者を使っても、やる気なく、工夫もなく進むけど、ちゃんとした待遇すると社員の能力あがる、ってビジネス書にしたらいい。(案外売れるかも。)
制度設計とかジェンダーが気になっちゃうのは今の感性で物事を推しはかってしまう部分なので、注意しないとなあ。価値観や宗教観、人生観も違うことを忘れて評価してしまう。

地下闘技場の剣闘士は床に置かれた鉄の棒にわっかがたくさんくっついていてそこに足をはめるタイプでした。要は足をはめると数珠繋ぎになるスタイル。これ、ちっとも体が動かないシステム。ひどいなあ。ここにはまったまま石膏化(火山灰で)した人物とかも出てきてるそうで、しかも、今回の展示にはありませんでしたが、そこを訪れようとしているお金持ちの女性(装飾品から若い女性)のものもある、というのを知って、2000年前だろうと今だろうとだいたい人間の問題も悲しみも愛も変わらんな、と改めて思いました。

金や宝石の装飾品も多く出土されています。蛇のモチーフがとても多くあります。

これは「アンフィスバエナ」といい双頭の蛇のこと。古代ローマの伝説の生き物です。お互いに尾を噛むウロボロスではないんですよね。両方に進める、という意味が「アンフィスバエナ」にはあるそうなんですが、あんまりにもモチーフにしていることが多いのでウロボロス的な完全と言った意味もあらわしているのかもしれません。

2000年前の遺跡調べること

最近、歴史戦とか小耳にはさんだので。
こういった遺跡を発掘すると、例えば町の発展に都合が悪い、とかそれでほかの(道路などの交通インフラが不便になる)からしなくていいのに、とかいう話もしばしば耳にします。

それはそうかもしれません。
2000年前、我々人間がどう生きていたのかを調べて残してもなんのメリットもないじゃないか、という意見もありますが私はそれはとても大切なことだと思っています。
文化庁のHPによると


文化財は,様々な人々と諸民族の国々とが交渉し合って形成された世界の長い歴史の中で生まれ,今日に伝えられてきた人類の貴重な財産である。それは,世界の国々の歴史や文化的伝統の理解に欠くことができないものであると同時に,世界の国々の文化の発展の基礎なすものである。したがって,世界の国々が自国の文化財の保護を図ることは,自らの文化的な基盤を維持し,これを発展させる上で重要であるばかりでなく,世界の文化の多様な発展にも寄与することになる。この意味で文化財保護協力は国際協力の重要は分野として位置づけることができる。

<文化庁HPより>

まあ固く書いてありますが、ようするに文化財とか遺跡とかを安易に破壊するともうもとには戻せない。過去を知ることは未来を知ることでもあるんです。

過去に起こったことは未来に起こることでもあるので、その悲劇を避けるために何ができるのか考えることができるのが遺跡を発掘すること。そもそも、壊したら無くなるんです。文化を大事にしない文明は滅びているのも歴史が証明していますよね。
やはり、遺跡を守り調査することは大事なのではないかと思います。



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