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6.斜水性(1)- ii

「斜めっぽさ」は躍動感や動きを、「縦横っぽさ」は安定や静止を表すのに向いています。

1.「斜めっぽさ」満載=「事件だわ!」

「斜めっぽさ」は動き、躍動感、活動的、生き生き、元気、ダイナミック、力強い、のイメージです。

やりすぎぐらい強めた場合には、攻撃的、威嚇、強力、男性的、雑然、混乱、混沌、のような強度の強い「動的」印象を作り出します。
ですから、事件が起こる時はだいたい斜め満載の画面になります。

「事件だわ!」(←沢口靖子の物まねをする女性芸人さんの声で脳内再現を希望)の作例を二つ。


(1)ティツィアーノ<エウロペの掠奪>


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ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノがスペイン王フェリペ2世のために描いた一枚です。

ユピテル(ゼウス)はフェニキアの王女エウロペを誘惑するため、白い牡牛に変身して近づきます。最初は警戒していたエウロペは、牡牛が美しく穏やだったので次第に心を許して牡牛の背に乗ります。すると牡牛は突如立ち上がり海原を渡り、彼女をクレタ島に連れ去ってしまいます。人さらいです。王女誘拐事件です。
英語題名はもっと直截で「レイプ(強姦)」です(物語では、ゼウスはクレタ島で元の姿に戻って彼女を犯します)。大事件です!。

大きく明るい色で描かれる目立つモチーフがすべて斜めです。
右下には、観者に対して白い肢体をなかば晒すように、大きく斜めにエウロペ(「ヨーロッパ」の語源です)が描かれています。
エウロペの下には、事件の主犯者である白い牡牛の上半身も斜めに描かれています。
また左上の、愛の矢を携えて急いで飛んできたクピド(エロス)たちも斜めです。


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(★、筆者による線の加筆あり)

これら主要モチーフ(白い点線の四角四つ)は、あたかも崩れ落ちる積み木のように、異なる角度の斜めで次々に折り重なっています。
不穏さ、不安定さ、衝撃性、禍々しさを印象付ける、うまい演出だと思います。

また、画面上、エウロペの身体のすぐ上、右上から左下への斜めの対角線付近には、「何もなくて遠くまで開けている海と空」があります(青線の円)。
絵画の中央が、大胆にも「何もない遠景」として斜めに抜けていることで、右側近景の大きな斜めのエウロペの白い肢体がよりいっそう引き立てられており、転がり落ちそうな体勢と相まってこちらに差し迫って見えます。


(2)ティツィアーノ<バッコスとアリアドネ>

こちらは、楽しい「事件」です。

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フェラーラ公アルフォンソ・デステの注文によりティツィアーノが制作した神話画のひとつです。

クレタ島のミノス王の娘アリアドネ(ミノス王は先ほどのゼウスとエウロペの子なので、アリアドネはエウロペの孫の一人にあたります)は、テセウスという男に恋をしたのですが、この男に見捨てられ、ナクソス島に置き去りにされてしまいます。悲嘆にくれていると、そこへ別の男バッコスがやって来てアリアドネを励まし、やがて二人は結婚します。

この絵の場面は、ナクソス島におけるアリアドネとバッコスのドラマチックな出会いを表しています。
左側の、身をよじり右手を振り上げている女性がアリアドネ
画面中央で、頭を大きく傾げてアリアドネの顔を鋭く見つめ、アリアドネに飛びかからんばかりの大仰な身振りをしているのがバッコスです。
バッコスがアリアドネの宝石のついた冠を空に投げ上げたその瞬間、即座に冠は星座と変じました。アリアドネの頭上に星が輝いているのが見えます。

お互いに、ビビビ!ときた瞬間です。事件だわ!。


構図を見ます。

事件にふさわしく、「斜めっぽさ」の多い対角線構図です。

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(★、筆者による線の加筆あり)

右上から左下の対角線(黄色の実線)の右と左で、空間が明確に分割されています。
右側は、近景で、付随する賑やかなバッコスの一団です。
左側は、空と海の遠景を背景とした、近景にいる主人公二人だけの魅力的な愛のドラマの世界です。

また、バッコスの頭部・上半身・右手・左足は、左上から右下へのもう一つの対角線(黄色の点線)の上にあります。
対角線が交わる画面中央の近くで片足立ちするバッコスは、単に偶発的にアクロバティックなポーズをしているわけではなく、四肢を大きく振り、体を大きく前に倒すことにより、意図的に対角線に沿って、斜めになっているのです。

もちろん、主人公二人の視線を結ぶ線が斜めになっていること、地(水)平線が緩やかに斜めになっていることなども、「斜めっぽさ」として挙げてよいでしょう(下図の赤線)。

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(★、筆者による線の加筆あり)


(3)フラ・アンジェリコ<最後の審判>

「斜めっぽさ」を目印にすると、画面内の一部だけが「事件だわ!」になっているのが一目瞭然でわかる、という例を一つ。

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画面の中で「斜めっぽさ」が強いのは、どの部分でしょう。

絵画の主題は「最後の審判」です。来るべき終末の時キリストが再来し、すべての人を地獄行と天国行きに分ける(審判する)、あの有名な場面です。

「最後の審判」主題は、キリストを画面の中心とし、キリストの右手側(私たちから見て左側)に天国と天国行きの人々が、左手側(私たちから見て右側)に地獄と地獄行の人々が、描かれます。

しかし、そんな図像学的決まり事を知らなくても、十分、感知できるのです、どこで「事件」が起こっているのか、を。



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(★、筆者による線の加筆あり)

画面の中で一番「斜めっぽさ」が強いのは右下の部分です(黄色い円内)。

地獄行が決まった人々が、悪魔に突かれたり引きずられたりしながら、右下にひらく地獄の入口の洞穴へと追い立てられているのが見えます。

この画面の中で、この地獄行きの人々のエリアだけ、ひときわ「斜めっぽさ」満載で描かれており、そのことによって、このエリアだけが、とりわけ、攻撃、威嚇、強力、男性的、雑然、混乱、混沌、のような強度の強い「動的」印象を与えています。

天国行きが決まった人は、落ち着いて順番に並んで天国へ向かっているのに対し、地獄行きが決まった人ばかりが慌てふためき大騒ぎしているわけです。

全図を見ておきます。

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向かって左端には、緑豊かな楽園が広がり、そこに迎え入れられた人々は輪になって天使とダンスをしています。左端上には、天国の門が見えていて、金色の光を放っています。

一方、向かって右端には、洞窟入口の向こう側の世界、地獄が広がっています。各種拷問に応じてさまざまな小部屋があり、裸体の人々が釜茹でにされたり逆さ吊りにされたりしているのが見えます。


2.再び、ミレー<種まく人>


Jean-François_Millet_-_The_Sower_-_Google_Art_Project, ボストン美術館

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フランスの田舎の広々とした大地で、農作業に勤しむ逞しくも素朴な農夫を一人、描いただけの絵です。

ところが、この絵に「事件性」を感じた人たちがいました。

1850-51年のパリのサロン(官展)でこの作品が発表された時、
当時の保守層は、一般民衆による武装蜂起を想起させるとしてこの絵を問題視しました。
彼らには、この絵は、2年前の1848年に起こった民衆の武装蜂起の悪夢をまざまざと思い起こさせてしまうほど「事件性」が高く見えたのです。農夫がただ一人、ただ種まきをしているだけの絵なのに、です。

その反応は、「斜水性(1)- i」で確認してきたように、この絵が「斜めっぽさ」に満ちていること、それが与える「動的」印象が極めて強かったこと、の証左でもあるでしょう。


3.ミレー<晩鐘>

最後に、動と静を比較して終わりたいと思います。

「斜めっぽさ」を見てきましたので、画家ミレーに立ち戻って「縦横っぽさ」をひとつ。

ミレーは<種まく人>でも有名ですが、もう一つ有名作品があります。

それが<晩鐘>です。

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貧しい農夫婦が、ジャガイモの収穫の前で祈りを捧げています。
素朴な人々による夕方の静かな祈りにふさわしく、「縦横っぽさ」でまとめてある構図です。

垂直線(縦線)は、土の上に静かに立つ主役の二人の姿のほか、男性の横に立てられた、遠い地平線から飛び出る右の教会の塔などに見られます。

水平線(横線)は、はるか後方の美しい地平線、女性の背後に置かれた一輪車の長い持ち手などに見られます。

カンヴァスは、主人公二人に合わせて縦長にせず、わざと横長に用いられています。そのこと自体も、水平方向への広がりを感じさせ、落ち着きや安定、静寂、厳かさの印象を作ることに貢献しています。


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(左から)

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ミレーの二大有名作品、<種まく人>と<晩鐘>は、一見、貧しい農民たちの素朴な生活を同じように描写しているように見えながら、「斜水性」の観点から比較するならば、実に対照的な作品でした。

画家は、「斜めっぽさ」や「縦横っぽさ」を、このように、意図的に、絵画の主題やテーマに応じて知的に自在に使い分けています。


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。


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