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the Pearl of Africa - アフリカの真珠-


このフレーズを耳にして、ウガンダを頭にパッと思い浮かべる人は果たしてどれくらいいるだろうか・・・

東アフリカと区分される地域に位置するこの国は、人口約4,427万人(2019年、世銀統計)国土面積は約24.1万平方キロメートル。
アフリカで3番目の標高を誇るルウェンゾリ山脈を有し、主な産業は第一次産業・農業である。首都カンパラの標高は海抜1,500メートル程度で、土壌は非常に豊かであるため、コーヒーや果物、ナッツをはじめとした様々な穀物が栽培されている。

この国は、私が初めてアフリカ大陸に足を踏み入れた土地であり、忘れられない人との出会いの場所でもある。

物心ついた頃に読んだ書物で初めて目にした’アフリカ’という場所。最初はアフリカは一つの国だと思っていた。そして、幼少期の私の人生のコンパスは常に’アフリカ’という1つの場所を指していた。その頃より宗教が背景にある貧困や紛争問題に対する好奇心を常に持ち、片っ端から書籍を読み漁った。宗教と紐づく社会問題やエンパワーメントは、現在大学院の博士過程で研究しているテーマでもあり、今でもその解決に少なからず貢献したいと志ている。UNフィールドワーカーになりたいという夢を持たせてくれたのも’アフリカ’という未知の世界な訳だが、何なら渡航するまで、恥ずかしながら54カ国もの国が存在しているとは知らず、1つひとつの国がこれほど鮮やかな歴史と文化を刻んでいるとも到底知る由もなかった。

今となっては、無知の知とはよく言ったものだなと痛感するが、最近になるまで、自分がこの同じ地球に生きる人々のことに対してこれほどまでも無知であったとは気付いてもみなかった。

心に膨大な憧れと未だ見ぬ世界に対する恐怖心を抱きつつ足を踏み入れたアフリカ・ウガンダの地。最初に感じたことは、人の温かさと親切さ、緑の美しさ、そしてどこまでも広がる青い空。想像していたアフリカとは全く異なる風景が私を迎えてくれた。

ウガンダ南部の山間から昇る朝日


首都カンパラにある’タクシーパーク’

エンテベ国際空港より車で移動すること約1時間、首都カンパラにある友人宅にお邪魔することになったのだが、そこで出会った女性がジェニファーである。彼女はウガンダ北部パデールの出身で、39歳。彼女の母の家系は農家を営んでおり、父は各地を旅して廻るジャーナリストだった。
これだけ聞くと、恵まれた環境の生まれを想像するが、そうではない。

40年近く前のウガンダといえば、男尊女卑がかなり深刻だった時代・・・

彼女の父はジャーナリストとして仕事で赴く先々で愛人をつくり、子供を産みおろしていた。彼女の母は農家の出であったが、女手1人で幼い子供を育てる経済力はなく、ジェニファーは刑務所の番人を務めるおじの元に引き取られて育てられた。比較的安定した収入のある彼女の叔父であったが、彼自身の子供も何人もいる中、養子として引き取られたジェニファーの幼少時代が容易でなかったことは言うまでもない。食事は毎日取れるわけではなく、兄弟の面倒も見ながら、家庭の仕事も手伝っていたという。
それでも彼女は、教育を受ければ貧困から抜け出せると短大まで進み、幼児・児童教育(小学校3年生までの教員)の免許を取得、学校の教師として勤務していた。

そんな中、COVID-19のパンデミックの影響で学校は閉鎖。
ウガンダでは、失業時の生活の補償は雀の涙のようなもの。そしてこの時、彼女には自身の子供たちの他に生活を支えなければならない人がいたー。
それは、ジェニファーの母親である。彼女は、ジェニファーの父に数年前に強姦され、HIV - AIDSの陽性患者となってしまっていた。ジェニファーの父はHIV - AIDSの診断・適切な治療を受けることもなく、すでに帰らぬ人となっており、母親には、自分で非常に高価なHIV - AIDSの治療薬*を手に入れるための経済的余裕はなかった。ジェニファーは、母親の医療費と自身の家族のスラムでの家賃(ひと月あたりUGX250,000/¥9,635)や光熱費(ひと月あたりUGX25,000/¥963.5)、飲料水(20LあたりUGX200/¥8)、食費等を賄うため、そして初等教育の教員免許の取得費用を貯めるため、パンデミック以来、日本人の自宅にてメイドとして働いていた。
*ウガンダ12都市でのHIV - AIDSの治療薬の平均額は、1人当たり年間約UGX 254,000 からUGX 824,000(¥9,635から¥31,256)程度かかると言われている(MEASURE Evaluationの論文データ)。

詳細はここでは割愛するが、当時頭の怪我をしていた私は全く外出することが出来ず、数日間ジェニファーと友人宅で過ごし、髪を結ってもらったり、仕事を手伝いながら様々な話をした。そんなある日、仕事帰りの彼女の家に招待された際に、改めて彼女の人としての懐の深さを身に染みて感じることとなった。

ウガンダで出逢った美しくパワフルなジェニファー

彼女が家族で住んでいた場所は俗に言うスラム呼ばれる場所。インドではスラム街に滞在したこともあるが、今まで訪れた場所と比較しても、ウガンダのスラムは想像を絶する場所であった。山積みになったゴミ、夜には暴行の被害に遭うリスクと隣り合わせの、電気のない共用のトイレとシャワー、さらには悪臭を放つ用水路。用水路は様々な幼虫たちの生息地となっており、そこに近い場所に住む家族は、常にマラリアや他の虫が媒介する感染症に罹るリスクと隣り合わせという。お世辞にも安定した暮らしとは言えないだろうが、それでも彼女は、「あなたの家族に会ってみたい」とワガママを言った私を快く家に迎え入れ、その日の家族の夕食を振舞ってくれようともした。この時、彼女が作る食事を口に出来なかったことは、未だに心残りである。

所謂先進国と呼ばれる国に住んでいると、仕事に行き、保証された収入を手にし帰宅する。時間があれば友人と会ったり、恋人とデートを楽しむかもしれない。だが、毎日自宅に帰ればふかふかの布団で寝付き、当たり前のように毎日朝を迎える。ジェニファーや、この国の女性たちほど強くがむしゃらに、日々挑戦し続けたことなんてあっただろうか。必死に努力して生きた日があっただろうか・・・

ウガンダで家から出られない間、何をしたかといえば、とにかく自分の生き方について悩んだ。何時間も悩んだ。激しい頭痛で夜も寝れない中、自分だけ平和な世界で生きていることが嫌になり、昼夜問わず考えを巡らせ泣きじゃくった。
それは同情なのかと言われると全くそうではないとも言えないが、この人たちのために何かしたいという気持ち、自分の人生は途上国の人たちのために捧げたいという気持ち、そして、1日一日を100%で生きる彼らのことをどこか羨ましく思う気持ち・・・様々な感情の波はまるでジェットコースターのように止まることなく押し寄せてきた。

私とは格段に違う苦しさや辛さの中を生きているウガンダの女性たち。もちろん、人は生まれる場所を自ら選択することはできない。しかしながら、生死の境を生きたことも、家族を殺されかけたこともない、平和ボケした社会を生きてきた私にとって、今思い返してみても、彼女たちの笑顔と、強い信念を感じる勇敢な瞳は、太陽のように眩しかったのだ。

それはそれでエゴなのかもしれない。
ただ、私も神様から授かった人生という素敵な贈り物を無駄にしないよう、冒険を続けて、自身の存在がこの世界に意味を為すことができれば・・・
情熱を駆使して可能性を追い求めることができれば・・・
きっと私もいつの日か、凛としたバックボーンの眼差しで世界を見据えられるようになると。きっとそうであると信じていよう。

現地の家族連れにも人気。ヴィクトリア湖のビーチ

ウガンダの歴史は非常に複雑で、異なる民族や王国の相互作用、植民地時代の影響、および独立後の政治的な変遷が絡み合っている。
以下、参考までにウガンダの略史を要約する。

  1. 先史時代 - 17世紀:                           先史時代から、ウガンダにはバントゥー系民族が住んでいた。15世紀から17世紀にかけて、バントゥー系のキトゥバ族(Buganda)や他の王国が形成された。これらの王国は、農業と交易に基づく経済を発展させ、豊かな文化を築き上げた。

  2.  19世紀初頭 - カバカ国:
    キトゥバ王国(バガンダ王国)が台頭し、中央アフリカで強力な王国の一つとなった。この時期、キリスト教の宣教師たちがウガンダに到着し、キトゥバ王国ではキリスト教が広まった。

  3. 19世紀半ば - イギリスの進出:
    19世紀半ばから、イギリスがウガンダに進出し、1888年にはウガンダ領土をイギリス東アフリカ会社に譲渡した。この時期、ウガンダはイギリスの植民地となった。

  4. 20世紀初頭 - 植民地時代:
    ウガンダはイギリスの植民地として続き、植民地統治によって社会構造が変化した。キリスト教の影響が深まり、経済はプランテーション農業に重点を置くようになった。

  5. 1962年 - 独立:
    ウガンダは1962年にイギリスから独立を達成し、ミルトン・オボテが初代首相になった。その後、イディ・アミン将軍がクーデターを起こして政権を掌握し、1970年代にウガンダは混乱と政治的な不安に見舞われた。

  6. 1986年 - 現代:
    ヨウェリ・ムセベニが1986年に政権を奪取し、それ以降は安定期に入った。彼はその後も長期にわたり大統領を務め、ウガンダは経済成長や平和の回復を経て、新たな社会的な挑戦に取り組んでいる。

*ウガンダは多様な民族、宗教、文化を抱える国であり、その歴史はこれらの要素が絡み合い、変遷してきた複雑なものである。


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