見出し画像

自分を傷つけてきた人に、自分を救ってもらえることはない

二度目のさようならをした相手の件から1週間経っても、
当時のフラッシュバックが蘇ったり、
いろんなことがしんどい1週間でした。

仕事のほうでも忙しくしていたのもあり、精神的にしんどいな、と思うことはあれど、改めて思うのがタイトルの通り。

自分を一度傷つけた人は、何度でも自分を傷つけてきます。
一度裏切った人間が何度でも裏切るように、人はそう変わらない。

私が一度目のさようならに失敗したのは、相手に謝罪を求めたから。
どうにかして、私の苦しみを救ってほしいと相手に求めたのが悪かったのだと思います。

相手は謝罪をし、それから数年の間、適度な距離を持ちながらうまくやれていたような気がします。
でも結局ここにきて思うのは、私たちは加害者と被害者ででしか、もうないということ。

相手に言われたことがあります。
「いつまでもしんどいことやつらいことを引きずっているなんて、そんな生産性のない建設的じゃないこと、あまりよくないと思う」

これ、確かにそう、正論なんです。
「憎い人を許しましょう」「自分も他人も許しましょう」

でも、それって本当に綺麗事で、本気で辛い人間になんか何もできないんですよ。
相手を許して、それでもう大丈夫、なんてことはない。

私はこの人間と関わって、精神的に病んでしまい体重が落ち、食事が食べられなくなったのと、そこから心療内科に通い出しました。
電車に飛び込みそうになったからです。

相手は、私のことをすごく心配してくれたし、あらゆるサポートもしてくれたと思う。それには感謝しています。
しかし、いずれは切らなければいけない関係だったと思っていました。

私たちはどこまで行っても、加害者と被害者だと、思うから。

いじめをした本人がいじめた相手に「もういいやん」って言ったらいけない。
それはその人が決めたらいい問題じゃないんですよね。
そのことを私は相手にダイレクトに伝えたことがありますが、「じゃあ自分はどうしたらいいの・・・」と泣いてばかりいました。

泣いて、泣いて、泣いて。
私には一滴の涙も出ないというのに。

その状況を数年かけて問題を風化させようとしたことで
結局それを「なかったことにする」のは、結局被害を受けた人間が決めることだと思います。

今回、相手には大切な人が出来ました。
結婚する予定だそうで、ならよかった、これで終いにしようと思いました。
いい機会だと、思ったのです。

私たちはどこまでいっても友達にはなれない。
問題を風化させながらなんとなくフェードアウトすることはできたかもしれないけれど、新しく美しい関係を、友情という関係を築くことは私にはできませんでした。

これはある意味、苦しんでいた当時、
相手のことは大事に思って信用していた。
その裏返しだと思っています。

相手の「結婚」というイベントに、素直に幸せなんて願えません。
「大事な人間」とカテゴライズさせた人を傷つけるような人に、誰かを幸せにすることなんてできないんですよ。

私はおそらく、あらゆる種類のいじめや虐待を受けた人間だと思うのだけど、全て逃げて今があります。
カウンセリングや心療内科などに頼り、周りに助けられて生きています。

生きているのは、奇跡だと思っています。

今を、自分を、大事に生きるためにも
必要だった二度目のさようなら。
しばらくはフラッシュバックとの戦いです。


そしてふと今回思ったのが、
おそらく人間というのは身近な人間にだけ闇を発動するのだろう、ということ。
相手が選んだ女性は、それを感じないといいなと思います。

少しの違和感、不信感があったら逃げてほしい。
私みたいになる前に、自分を追い詰める前に、どうか、逃げるという選択肢を頭に入れて、行動に移してほしいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?