居場所がないって何?


2023年度から慶應でセクシュアルマイノリティーの人の居場所作りをするプロジェクトに関わることになったんだけど、「居場所がない」って一体なんでしょう?

なんとなーくの気持ちで居場所がないって感じる瞬間はたくさんあると思うんだけど、実際居場所がないってどういうこと?

私が考えるに、居場所がないってきっと「自分らしくいたい」のだけど、その自分らしさが社会におけるいわゆる普通と違っていて、その普通に合わせなきゃいけない圧力がすごい強いから、その普通の状態を一生懸命になって自分をコントロールしてまでも再生産しなきゃいけない社会の状態なんじゃないかなって思います。


身体って実はすっごい政治的で、女の子の身体を持っているだけで女の子らしく振る舞わなきゃいけない社会の圧力がすごいし、日本人の身体を持っていたら日本人らしく振舞わなきゃいけない社会の圧力がすごいんだよね。

てゆう話をすると、すぐ最近はダイバーシティーな世の中になってるじゃんとかって言われるんだけど、このメディアで見るダイバーシティーの人ってキラキラじゃん。実際のマイノリティーの人はもっと多様性があって、様々な多くのマイノリティーの性質(インタセクショナリティー)を抱えています。

このピラミッドの本当に上の一部の恵まれた人をメディアが取り上げてダイバーシティーとか言うんじゃなくて、本当に実在するマイノリティーの多様性がそのまま反映されて、その人達にとって居場所を作ることが一番重要な気がします。

だからあえて「規範を再生産しない」・「個性に対する自己嫌悪へのレジリエンスを高める」・「生きにくい理由を自己責任化するのではなく、社会問題であると認識し直す」ことが出来る様なコミュニテイーを作りたいな。

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