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型に知らずにハマってる

私よく型(structure)について考えることがあります
これ本当に面白くて、私達の気づいていない部分で、私達は本当にこの様な型に影響を受けているんだなって思います。例えば言語。言語は人の意識をコントロールする大きな型だと思います。

何となく私達の経験から、話す言語ってその人の世界観に影響があるんだろうなって思うじゃないですか?明るい表現方法が出来る人は、きっと明るい性格になると思うし、一方で暗い表現方法をしてしまう人は、きっと暗めの性格になるんだろうなって、何となく思いません?

今日はちょっとその話を進めて、言語が個人の世界観を決めているだけでは無くて、私達は言語を通して自分の中の世界観を作りながら生活をしているということについて触れていきたいと思います。
ちょっと考えて頂きたいのですが、みなさんは誰かと話をする時に、既に何を話すかを決めて、それから言語化しますか?きっとそうではないと思います。大抵の場合、話しながらその時に思ったことを膨らませていくのではないでしょうか?実は1996年にはもう既にアメリカの研究者であるSlobinがこのことを発見していました。彼によると、私達が使う言語の型によって、意識を向ける部分が変わり、そしてその意識を向けたところから会話の内容が発達していく。つまり、私達は同じ環境の中にいても、使う言語によって話の展開がどんどん変わっていくということです。更に、その展開はある程度は言語の型によってコントロールされていると言うことです。
例えば、英語という言語は、文を作るときにほぼ必ず主語を必要とする言語です。そのため、誰かに英語を使って話そうとした場合、誰がその行為をしたかということに意識を向ける必要があります。一方で、スペイン語という言語は、文を作るときに主語を必要としません(日本語も同じですよね)。だからもしスペイン語を使って表現しようとするとき、誰がその行為をしたかということに特に意識を向ける必要はありません。この普段は気づかない様な違いが、実は私達の意識の向け方に大きな影響をしているんです!
2011年(Fausey&Boroditsky)にとっても面白い実験が行われました。英語を話す人とスペイン語を話す人に「花瓶が割られる事件」を目撃させました。すると、英語圏の人は誰がその花瓶を割ったかを覚えていたのに比べ、スペイン語を話す人は誰がその花瓶を割ったか覚えていませんでした
何が言いたいかというと、人は話すために(コミュニケーションをするために)言語を使います。そして他者とコミュニケーションをとるためには、自分が駆使できる言語の型に合わせて現実を把握しなければなりません。ある言語を流暢に話せるということは、同時に、その言語の型に合わせた意識の向け方を知らずに身につけ、そしてその意識の向け方で世界を見ているということです。

言語化しない時間を過ごしてみるのも、いいのかも❤︎

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