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負けたと分かる瞬間

1945年8月てのは、日本が敗戦したした月。

私が日本語を教えていた韓国人の生徒さんが、
「忘れもしません、その月に赤紙(召集令状)をもらったのです」
といって、その当時の話をしてくれたことが忘れらない。
かなり前の話だけど。


日本は8月の半ばに降伏したので
その方は軍隊に召集されて間もなく
家に戻れる事になったそうだけど
当時20歳の青年だったその方が8月の頭に驚いた事は、、


「東北とかの地方からきた、
とても訛の強い日本人の男性達が
同じ時期に動員されていました
年齢がそんなに若くない人たちでした。

それでその人たちが皆私に言ったんですよ
『たまげた!おめー日本語うめえなああ!
俺らより、言葉綺麗なんじゃねーか』って。
私もその人たちの日本語聞いて、
こんな日本語が世の中にあるんだなと思いました。


その光景が、目に浮かぶようだった。

1945年8月なんて、もう日本の戦況はボロボロで
すでに兵隊にとられるような人員は
すでに出切ってる状態だったろう。


その時期に動員された人は、、
「お国を守る」には、ちょっとあれかな、
という人たちだったんだろうかなと。

軍隊は兵器を扱うし味方討ちの恐れがあるから
問題のある人は出来るだけ入れたくないはず。


その韓国人の生徒さんの場合、小学校の頃から朝鮮で
日本語教育を受けている世代だったので
読み書きが抜群に上手く
また発音もとても綺麗な人だった。

普通の日本人以上だと思う、今の私からみても。
深い山奥から出て来た煤けた年配の日本人男性より
よっぽど輝かしい感じがしたと思う。


一方、以前父から直接聞いた話。
やはり戦争末期の頃、私の父親の子供の頃の話だ。


私の祖父に当たる父親の父という人は、
10年以上寝たきりだったとかで、
普通に仕事が出来る体じゃなかったそうだ。
もちろん兵隊になんか行けない。検査で落ちる。
甲乙平定の最下位?


だけど日本の戦局が悪くなって、
同世代の男性達はどんどん戦地に送られ
その町のなかで40代後半なんて男性は
私の祖父しかいなくなってしまったそうだ。



なんとその祖父が「自警団」だか「地元消防団」だかの
団長に任命されてしまった。男がいなさすぎて。

年齢は40代だけどよぼよぼのこの父親が
「竹槍訓練をやります!集合」という事で
皆の前に立ったそうだ。


小学校高学年だった私の父親はその姿をみて

負けた!絶対に日本は負けた!
こんなへろへろの人間が町を守れるわけがない。
アメリカが攻めて来たら絶対守れない
日本は戦争に負けたんだ!!

って強く確信したそうで。
で、そのまま終戦がやってきたと言ってた。

空襲で遠くの古城が焼けた光景を
屋根に登ってみた晩の事をこう話した。
「よー焼けとるなあ!とおもた。綺麗だったなあ」


私の父も、最初に書いた生徒さんも
戦争中のこの話をあまり感情を交えず
淡々と話してくれた。



「祖国が」とか「日本が!」とかみたいなもの
煮えたぎるような悔しさとか
そういうのが全然感じられなくて


「あーあしょーがないなあ」と
肩の力が抜けた感じで
思い出話をしてくれるような
軽くすこし愉快な感じだった。


戦争の話ってったら重いイメージだけど
父のしてくれた戦争の話は、、面白かった。
戦地から帰って来た兵隊さんがな!
こんなことゆーとったで!
ええっホンマ?みたいな。
(また、それもどこにも書いてないような話で笑
子供にゆーたらあかんやつ!)


私がこういう話をすごく面白がるので
どんどんしてくれたのだろうけど。

だってこの話、
めちゃくちゃ面白いじゃない!どっちも。

どっかの本とかに書いてある話じゃない。
その人が1945年に「私はこう思ったんです」の生の声だ。
正しい間違ってるすっとばして
個人の意見上等笑



すごく刺さる。
そして刺さって抜けないから

この話を私はうちの子供達にも時々した。
結局みんなで笑い飛ばすのだけど、
なんかその感じがよくて。


そして、ここにも書いている。
黙っていられなくて笑



「負けた!」と思った時が、
負けた瞬間なのだろうと思う。
勝負は一瞬でついているような気がする、色々。


親は病弱で、国は負けるしで
うちの父親も大変だっただろうけど
「あの時日本が間違ったからこーなったどーしてくれる」
みたいは言葉は父の口から一度も聞いた事がない。
「あかんことはあかんねん、
さっさと次行った方がええ」と。


前述の生徒さんもそうで、
過去をぐじぐじ言ってる感じを全く感じない。
「これからどうするかが一番大切」だといっていた。



なんでこんな事書きたくなったのかというと
数日前から、戦争の事を沢山考えてたからかもしれない。
私の場合は1592年の秀吉の朝鮮出兵だけど。



京都にある耳塚の事を調べていて
「鼻切」だとか「鼻削ぎ」だとか(怖い怖い)
そういう話の中にどっぷり浸かっていた。
戦争というテーマの中に。



そしたら、それを調べてる間に気が付いた。
あ、本日豊臣秀吉の命日だった!ということに。
彼が没したのが旧暦8月18日だった。
もしかして、呼んだ?ひでよしさん。



韓国は新暦と旧暦を並行して使ってるので
カレンダーに旧暦表記がある。
見たら、あっ!8月18日だった。


先日韓国はお盆の秋夕だった。
あっちに行ってた方々が沢山帰って来てたから
お知らせが来たのかな。



秀吉が朝鮮の戦争に「負けた!」
と思った瞬間はいつだったろう
あの戦いかな、あれかな、と色々思う所はあるけど
戦争は結局秀吉の死をもって終了した体だ。


生きてるうちは「朝鮮から引き揚げよ」とは
言わなかったようだし、
自分が死んだことも
半年くらいは内密にさせるように指示した。
もしかして、すっごい見栄っ張りかも。。
もしかしてじゃなくての正真正銘のみえっぱりか!
金の茶室作った程の人だもんね。
わしゃ銭もってんやで~!を大々的にやった人だ。
↑嫌いじゃない笑 


秀吉論を語れる程に深く知ってることはないので
この辺にしておこう笑
私が触ってるのは朝鮮出兵のことだけだから。


どちらさまも、心よりのご冥福をお祈りいたします。


ありがとうございました。




























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