「ほぼ日5年手帳」に毎日書いている。

買おうかどうしようかというnoteと、ついに買ってしまったというnoteはコチラ↓。

買おうかどうかをものすごく迷い、些細なきっかけで買うに至り、結局2/28から書き始めた。

結論としては、あれから2ヵ月、毎日書いている。

5年もの間、毎日書き続けるなんて、そんなこと無理じゃないか、とか、大げさにいろいろと考えた割には、意外とそう難しいことではなく、何となく毎日書き続けている。

ただし、内容は人に見せられるものではない。

備忘録というか、一言メモというか。

これを食べた、とか、身体の調子がどうだとか。

書きながら、「これって後で見て、なんか感慨が起きるものなのかなあ」と、自分で心配するくらい、平凡を通り越した通常のあれこれしか書いていない。

たまに、「これは!」ということもあり、記録としてザザッと勢いよく書き綴るが、私の感覚では、1ヵ月の8割はびっくりするくらい通常運転の日だ。

noteを毎日書く・書かない問題が何かと話題になるけれど、結局毎日ってこういうことなのかもしれない。

幸か不幸かというほどの大げさな出来事はそうたくさんは起きなくて、小さなモヤモヤやら、ちょっと嬉しいことやらが、毎日・毎週・毎月、何やらゴチャゴチャと混在して起きる。

それらの点と点とがつながって、ときどき大きな波がやってくる。

「ほぼ日5年手帳」とともに、私が毎日続けていることとして、以前からよく記しているけれどインスタグラムがある。

インスタグラムには、毎日1冊の本の紹介と1本の写真一行詩を投稿している。

どちらかというと、こちらはけっこう大変だ。

本については書評案件でたくさん扱ってはいるが、1日1冊となると、写真をとったり、コメントを添えたりと、作業的にまあまあの労力だ。

一行詩は、「毎日楽しみにしている」という言葉をたまにいただくこともあり、何となくやめられなくなってしまったが、一日が普通すぎてどうにもこうにも、特に感慨が無い日ということもわりとある。

この3つを毎日続けることで精いっぱいになってしまっているが、noteの毎日投稿をまたチャレンジしてみようかなあという気が最近少し出てきている。

大変と感じるかどうかは、人に見せるか見せないかというハードルが大いに影響していると思うが、どういうことでも毎日続けるということは、自分に何だか分からない力を与えてくれるものだと実感している。

これができたのだから、あれもできるのではないか、という自分への淡い期待のようなものが芽生え、毎日の中で何があるか、どう考えているかというセンサーがよく働いてくれるようにも感じる。

仕事の話でいえば、細々と続いているnoteを見て声をかけていただいた案件も、想像していたより多い。

毎日書き続けるという行動には、間違いなく効能があり、意味がある。


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