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<おとなの読書感想文>第七官界彷徨

赤いちぢれ毛の女の子が主人公と聞いて、思い浮かべる物語はなんですか?

やはり圧倒的に「赤毛のアン」を挙げる人が多いのだろうけれど、こんな小説もありました。


「第七官界彷徨」(尾崎翠 河出文庫、2009年)

和製アン、とは思うなかれ。
そう思って読むと、ちょっと裏切られてしまいます。
舞台は昭和初期の東京。美しきグリーンゲイブルズではなく、やせた蜜柑の垣根があるだけの、古ぼけた平屋の借家です。

主人公の町子は、二人の兄と従兄が暮らす下宿に炊事係として住まうことになります。
彼女は密かに「人間の第七官」にひびくような詩を書きたいと願い、ノオトを前に思いを巡らせる日々です。

4人は家族と言って、たまに衝突がありつつも、それぞれがてんでんばらばらな方向に向かって気持ちの蔓を伸ばしていきます。自分の患者に思いを寄せる一助、自室に研究用の畑をこさえる二助、受験にあぶれて無為の日々を送る三五郎。互いの希薄な関係性が孤独で、滑稽で、奇妙な調和を感じさせます。

冒頭で語られる通り、町子はこの不思議な家族のもとで暮らしたごく短い期間に恋をします。
しかしそのことについてあまり多くは書かれません。
いったい物語は何を描こうとしているのか、そもそも第七官とはなんなのか。わからないままに、なぜか気づけば手に取って、その気だるい世界に浸ってみたくなります。

作者の尾崎翠の弟子であった林芙美子は、この作品を思って「いい作品と云ふものは一度読めば恋よりも憶ひ出が苦しい」と記したそうです。
物語の、薄い氷の層を重ねたような繊細ではかない印象が、余計に初恋を思い起こさせる気がします。

初冬のこの時期にぴったりな、昭和モダニズムの魅力が詰まった一冊です。

「ピアノのある部屋には夕方から雨が洩りはじめました。この部屋はときどき屋根がいたんで、家族たちにいろんな真理を与える部屋です。せんに私はその破れから空をのぞいていましたら、井戸をのぞいている心地になったことがありますし、今晩はその部屋に住んでいる家族が屋根の破れのためにふさぎ込んでしまいました。雑巾バケツに雨だれの落ちる音はたいへん音楽に悪いと彼は申します。それで栗を食べながらとぎれがちな音楽をうたっているところです。…」
(上記より抜粋)

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