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<おとなの読書感想文>こちらあみ子


収録されている短編「チズさん」を読んだとき、ああわたしはこの感じをよく知っていると思いました。
でも、なぜなのかよくわからなかった。
何度か読んでみてふと、いつかの引越しのときのことを思い出しました。
荷物を運び出したあとの部屋に戻ってきて、後ろのドアを閉めたとき。
ガチャンという音の反響は、自分がひとりだということ、部屋がからっぽであることを際立たせました。
この感覚は、わたしの心の奥深くに澱のように沈んでいました。
つまり、これは扉を閉める物語なのかもしれない、と思ったのです。

チズさんは傾いた状態で立ちながら、かろうじてこちら側にとどまっている人です。
では、表題作「こちらあみ子」のあみ子はどうでしょうか。

「こちらあみ子」(今村夏子 筑摩書房、2014年)

あみ子は扉を開け、向こう側から呼びかける人です。しかも大声で、扉を全開にして。
一つきりの古びたトランシーバーを持って。
あみ子の声を聞いた人は、たいていひるんでしまって彼女を遠ざけます。
開けすぎた扉からはあまりにも純粋なものが出入りするので、お互いが傷つけられてしまうのです。

彼女は特殊な存在でしょうか?
頭の中に、大きく目を見開いて不思議そうな表情を浮かべた女の子の顔が浮かびます。
使い捨てカメラを構えたとき、誰も目線を送ってくれなかった疎外感を、わたしは確かに知っている気がします。

傷つけられるほどに強い光を放つ、あみ子の強烈な熱量に圧倒される作品。
彼女の扉は、今度はどこに向かって放たれるのでしょうか。
心がヒリヒリと痛いけれど、繰り返し出会いたいと思った作品でした。

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