資本主義の限界を越えるために

ちょっと連載が行き詰まってしまったので、久しぶりに雑記。

資本蓄積のメカニズム

資本がいかに蓄積されるか、ということを考えるのに、価値観という目的があり、それに対する問題意識の具現化としての商品があり、そして方法論として商品の企画、製造方法、販売方法、原料といった様々な要素がある。そして、その方法論を組み込んだ全体としての商品の付加価値を上げるか原価を下げるか、ということで利益の出方が変わってくる。コスト削減による原価低減の一方で、付加価値を上げるには、価値観の普遍性なり逆に個別性なりを高めて、その目的に対する需要を引き上げて価格を上昇させる必要が出てくる。普遍性を高めれば大量生産、コスト削減による、個別性を高めればカスタマイズ、高付加価値による利益確保にそれぞれつながるのだと言える。

置き去りにされる中産階級

実は、この在り方では、従来は消費の中心であった中産階級が最も無視された存在になることに気づく。大量生産品などは欲しくないが、かといってカスタマイズは高付加価値で高価格となる。だから、高所得者層でカスタマイズされた商品のトークンで満足せざるを得なくなる。自分の需要にあった商品よりも、どのトークンを得るのか、ということに集中するようになり、そのうちに自分の需要というもの自体がわからなくなってしまう。中産階級が市場を育てることができなくなれば、商品は生活のリアルからどんどん離れたものになってゆき、高所得者層がカスタマイズした商品の劣化トークンが大量生産品として広がるだけとなる。それは、市場どころか経済の死を意味するようなものであり、利益至上主義の資本主義が経済を殺すことになるという皮肉なこととなってゆく。

この、自殺的な利益至上資本主義のもたらす帰結は、ミクロ主体が利益確保を行うことで、どんどん大量生産品と、一般には届かないどころか、大量生産化自体不可能なようなカスタマイズされた”高付加価値商品”ばかりとなり、需給のマッチングという点において中産階級の中ではそれが生じにくくなってゆくことになる。

資本主義の限界の要因

さて、ではこの資本主義の限界を、どのように解析すべきなのだろうか。まずは価値観という目的に対し、目的合理性の圧力が強くかかるということがある。そして、現代社会は個別の価値観よりもそれを包括することを目的としたいわゆる普遍的価値観が個別の価値観の上にのしかかってくるので、普遍的価値への目的合理性追求の圧力が強くかかることになる。それは、同一目的に向けての合理性追求となり、酷い競争圧力がかかることになる。普遍的価値というのは抽象的になることが多く、典型的には自由に向けての競争、というものが果たして成り立ちうるのか、という大きな問題を提起することになる。とはいっても、現実的には、そこには貨幣という媒介が存在するので貨幣についての競争、というところで思考停止してしまうことになる。要するに、金を稼げば自由になれる、といった具合だ。このように、普遍的価値に向けての競争は、普遍的計測単位である貨幣に向けての競争に転化することになる。

商品企画力の劣化

ついで、問題意識の具現化としての商品であるが、これは上で書いた通り、トークン化する社会において中産階級での問題意識を育む力が劣化し、それによって商品企画力自体が落ちてゆくという状態にあると言える。これは、マーケティングを考えたときに、ある程度の需要を確保しないといけないという理由もあり、個別の問題意識の具現化というよりも、さまざまな問題意識のごった煮のようになり、統一感に欠け、中産階級の個別の需要に応えるようなものにはなり難い。

サプライサイドの問題

方法論の諸要素は、基本的には供給側の方法論であり、それを貨幣で測った生産性の向上に用いるというのが資本主義の様式であるといえ、つまりそうなると需要側の意識が反映される機会は非常に限定的となる。生産性主導の資本主義とは常にサプライサイドの利益が最優先される商品しか出てこないことになるのだと言える。

資本主義構造の逆転

これは、要するに資本主義が貨幣を頂点としたピラミッド型で形成されているからだといえ、これを逆ピラミッド、すなわち貨幣がボトムアップで染み上がることによって個別の価値観が実現されてゆく、というイメージに変えてゆく必要がありそう。つまり、実体市場が貨幣で満たされ、そこから貨幣を上手く吸い上げるという競争であれば、それなりに競争原理と市場が適合するかもしれないということがある。ただ、それには染み上がった貨幣を再び実体市場に環流する仕組みが必要となる。それはすなわち、利益というものは染み上がったものを積み上げるということであり、それを評価するのではなく、なるべく利益は限定的にし、それよりも実体経済でどれだけの取引実績を積んだか、という、売上の方を評価の対象にした方が良さそうだ、ということが言える。

実体市場重視の資本主義

買い手にバーゲニングパワーがつくことで、需要の多様化もおこるようになり、同一品種の大量生産から、カスタマイズが容易な柔軟なライン設計へと代わり、生産技術の発展も期待できるようになる。需要主導の方が、それに応えようとする技術革新には向いているのではないだろうか。
こうすることにより、目的合理性が普遍的価値観から市場の多様な価値観の追求ということに変わり、それによって単一の価値に向かっての競争が和らげられることになる。それは、不毛な数字をめぐる競争を、実際の技術力に向けての競争へと切り替えることになり、それは多様性への競争となりうる。

資本主義の原義に戻る

資本主義は、もともと希少な資本を合理的に活用するための仕組みとして構築されたが、それが、資本の希少性がほぼ解決されても、その基本設計を変えることなく、むしろ資本の効率性ということで利益に焦点を当てるようになったことにより、経済に資するというよりも、それを阻害するようになってしまったのだと言える。それを元々の考えである希少な資本の合理的活用という部分に戻し、資本の希少性を失わせるような利益の積み上げではなく、元々の希少な資本をいかに合理的に用いたか、という売上の方に焦点を合わせることで、元のように資本主義が経済を活性化してきた、という機能に多少戻すことができるようになるのではないだろうか。

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