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桜のピンクは「愛」そのもの

桜、桜、桜。
列島がピンクに染まるこの季節、私はピンク色をして私たちの元に届く「愛」のエネルギーの中に浸り続ける。

「桜のピンク色は愛そのものなのよ」と、ある人から伝えられたのは20年ほど前。愛に深い欠乏感のあった当時の私は、すがるように一人で川沿いの桜並木の下を歩いていた。

なぜあんなに苦しかったのだろう。なぜあんなに悲しかったのだろう。

あの頃の私は私自身を見失い、本当の自分を生きてはいなかった。そして、私の周りに反映される現実から私という人間を定義し、見えなくなってしまった本当の自分とのギャップに、無意識に耐えがたい不安と悲しみを感じていた。

満開の桜並木の下を歩くと思い出す。そして、ピンク色の「愛」を浴びながら、その頃の私はもう過去のものなのだと思い出すのだ。

エンパスと呼ばれるような敏感な子ども達が増えている。もう大人になってしまった敏感な子ども達もたくさんいる。

そういう敏感さは、実はその子のもつ宝物のようなクォリティーなのだけれど、この世界で生きていく時には困難も多い。

先日、自然あふれる山の公園で、美しい桜吹雪の中を娘と1歳の孫と一緒にお花見散歩をしていた。孫は人見知りの時期と言うのもあるけれど、それ以上に感覚の鋭敏さから、人の視線や声に過敏に反応する。

楽しそうに桜の花びらを拾いながら、にこにこと歩いていたのだけれど、よちよち歩くその姿が可愛いもので、例のごとく通りがかりのおばさま達に声をかけられた。

彼は、自分の世界に入っている時に知らない人から声をかけられるのは嫌なのだけれど、少しずつ修練(?笑)を重ねて、最初は泣いていたのに、最近は泣かずに母親の足にすがりつくだけになってきていた。

しかし、このおばさまは、自分が避けられたのが気に食わなかったのか、自分はいい人なのよ~大丈夫よ~、というような事を言いながら更に近づいてきて、彼に触ったらしい。

私はこういうおばさまたちが苦手なので(笑)、彼女達が視界に入らないように少し先を歩いていたのでその瞬間は目撃しなかったのだけれど、いきなり孫が大声で泣き出したので、びっくりして振り向いた。

すると、何かに襲われたかのようにひどく泣き続ける彼の様子に、バツが悪そうにおばさま達は立ち去っていった。

孫のママである娘も、それほど人見知りはしなかったけれど、敏感な子供だった。いや、違うな。彼女も実の父親に抱かれるのを嫌がる子だった(笑)2歳になるまではママでないとだめな子供だった。

敏感な子というのは、波長に敏感なのだと思う。なぜなら、波長が合う相手だったら、初めて会ってもニコニコして抱かれるからだ。反対に、毎日会っていても、当時の夫は職業柄もあり荒々しい何かを発していて、娘はそれが嫌だったのだろう。

孫を泣かせたおばさまは、背中越しに感じても、私も苦手なタイプだった。小さな彼のことを尊重するというより、自分が!自分が!のエネルギーが強くて、「私はいい人なのよ!」と自分を証明するために、可愛い孫に無理やり触って泣かせたのだ。

普段は「人見知りなものですみません」と娘も私も相手に謝るのだけれど、昨日のおばさまには、娘も会釈するだけで、謝りの言葉は吐かなかったらしい(笑)なかなか泣き止まない孫をあやしながら、そのおばさまの自己主張のエネルギーについて、娘と話し合った。

うちの孫のような敏感な子供たちは、今の社会では少し生きにくいかもしれない。でも、多分これからの世界は、その敏感さを持った子ども達のほうが多数派になるだろう。そしてそれに合わせるように、徐々に徐々に世界は優しくなっていくだろう。

実際のところ、孫が泣くのは押し付けがましいご年配の方が多い。もしくは、若くてもギラギラとした「売らんかな」のエネルギーを持つセールスパーソン。いくら風船をくれても、そういう人に声をかけられたら彼は大泣きする(笑)

桜の優しいピンク色と、次の世代の子ども達の姿がリンクするように感じるのは私だけだろうか。青空がバックになければ、ソメイヨシノのピンク色は、むしろ白色のように淡い。桜のピンクは、澄み切った青空があってこそ、その美しさが際立つのだ。

淡く美しい桜のピンクに青空を合わせるように、これからの子ども達にも澄み切った空を与えたい。敏感さゆえに、生きる時に「強い」エネルギーのものに絡め取られたり、迎合させてしまうことなく、そのままの淡いピンクの美しさを尊びたい。

敏感だったがゆえに、強いものを自分より優先させ、自分を見失って大人になった「元こども」は、自分で自分の青空を取り戻さなくてはならない。小さな子供のように「いやだ~!」と泣く自由を、自分に与えるのは自分しかいない。


桜三昧の一週間。
天国を歩いているかのような幸せな時は、期間限定だからこそ、名残惜しくも美しい。

来年の私は、誰と一緒にピンクの愛を浴びるのだろう。


(遠くに住む新一年生に送った桜♡)