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平安古典文学はいとおかし

今年の大河ドラマ『光る君へ』にはまっている。
私は以前、中学校の国語教師をしていたんだけど、もともと国文学科卒だったこともあり、得意分野の古典の授業になると、ついつい力が入っていた。あの頃の生徒たちは、きっと「そういえば昔、古典で習ったなぁ…」と懐かしく感じながら『光る君へ』を見てくれているのではないか…と(期待を込めて)思っている。
当時のことを振り返った時、ふと思い出すことがある。
それは、年度初めに校内の国語の先生たちが集まって「年間指導計画」を立てる際に、「授業内容を削る」という作業をしたときのこと。
当時「総合学習」が登場したばかりの頃で、それまで各教科の指導に当てられていた授業時数を削り、削り取った分を総合学習の時間に回されることになったのだ。しかし教科書の内容も量も今まで通りだったため、各教科の担当者で検討し「これは授業で扱う」「これは授業で扱わない」と教科書の内容を取捨選択していくことになった。
そこで国語科の先生も集まり、単元ごとにチェックして「教材として使うもの」「つかわないもの」を選別したのだけど、いよいよ古典の段になったとき、『伊勢物語』の「東下り」をどうするか?という議論になった。

ある先生は「やらなくてもいいでしょう」という意見。というのも「東下り」に出てくる男たちは、都鳥を見て都にいる恋しい人を思い出してシクシク泣く…というのが、なんだか湿っぽくて私の感性に合わないのよね…という理由。(古典の軍記物が好きな先生)
もう一人の先生も「確かに東下りはストーリー的には単調だし、生徒も退屈じゃないですかね」というご意見。(近代文学が好きな先生)

なんとなく「東下りはカット」という空気が流れ始めたところで、平安古典ファンの私は「いやいやちょっと待ってください!」と、話の流れを止めて割って入った。そして「都の恋しい人を思い出して涙を流すという平安時代の殿方の感性って素晴らしくないですか!この平安独特の世界観と雰囲気、私は生徒たちに教えたいんです!!」と、東下り擁護の力説を熱く語ったのだった。他の先生方は私の勢いに「えっ?」とドン引きされていたけど笑、そこまで言われるのなら…と納得して下さり、こうして私の情熱に押される形で「伊勢物語/東下り」は指導するで決定…となった。

同じ古典でも、万葉集の時代と、平安時代、平安末期から鎌倉時代にかけて、そして室町・戦国・江戸時代…。それぞれの時代によって、文章を音読した時のリズムが異なるし、文章から漂ってくる空気感も全然違う。その違いがわかるからこそ、私は中2の古典の授業から平安古典を抜きたくなかった。もちろんキツキツの授業時間の中で教えるわけだから、時数配分の工面がいろいろと大変だったけど、ここは腕の見せ所だと思い大いに頑張ったのだった。
千年前の人々が書いた文学を読み解くことで、昔の人々の価値観や感性に触れて、その息づかいを行間から感じてほしい。文章を通して昔の人々と繋がることができる喜びと楽しみを味わってほしい…と願いつつ。

あれから20年以上が経ち、今年は「光る君へ」で平安時代の世界が具像化されて、毎回楽しみに視聴している。今までは脳内イメージでしか再現できなかった当時の様子を、ビジュアルで楽しむことができて本当に幸せだ。始まってまだ数回なのに、もうすっかり夢中になっている。
このドラマを機に、若い世代の中から新たに平安時代ファンが増えてくれるといいなぁ。次世代につなげる意味でも、大いに期待している。

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