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逃げても逃げても追っかけてくる人間関係の悩みは、自分の人生の糧になる

人間関係って、本当に難しい。

悩みの渦中に居るときは、どこにいても、何をしていても、絶えず悩みの原因になっている相手のことを考え続け、うまく立ち回れない自分を責めて卑下し、自分の居場所のなさにも失望し、「自分はちっぽけで無力で存在価値がないダメな人間なんだ」と情けなく感じられて、心がどんどん辛くなる。こうしてメンタルがどんどん沼に沈んで落ちていく。

しかも、こんな状況では、自分の今の様子を冷静に俯瞰して見つめることはできないし、ましてや解決に向かって行動する気力も湧かない。相手のことがモンスターのように感じられ、どうしていいか途方に暮れてしまう。話も通じない、意思疎通もできない、ただ相手の言うがままになって我慢するしかない・・・と思い込んでしまう。

結果、やる気を無くして消沈するか、無理して頑張り過ぎてしまう・・・しかなく、「悩み」に押しつぶされて自分が小さくなり、心のバランスも欠如し、最悪の場合、メンタルがやられて病んでしまうのだ。

今も、私たちが住んでいるこの社会では、様々な事件や問題が起き続けているけど、そのもとを辿ると多くは「人間関係」が発端だったりする。そして、仕事や職場の悩みも、蓋を開けてみれば「人間関係のトラブル」が原因だったりする。

この地球(ほし)で人間として生まれて生きていく以上、私たちは「人間関係」を嫌と言うほど学ばされる。体験を通して、否応なしに鍛えられる。

人間が2人以上集まれば、自然と人間関係は生じてくる。

だから、私たちは、人として生きている限り、人間関係から絶対に逃げられないということだ。

そうなると、死ぬまでずっと付きまとうものだと自覚することが必要になる。腹をくくって、とことん向き合うしか無いんだよなぁ・・・と思う。

そう、良い意味での「割り切り」も大事なのだ。

あと、人間関係の悩みは、年を取れば取るほど(高齢になるほど)消えていく・・・というイメージを私は持っていたのだけど、最近、身近にいる年寄りの様子を見ていると、そうでもなさそうだと気づいた。哀しいかな、どんなに年老いても悩みは無くならない。必ず出てくる

私の周囲には、80歳90歳を超えた高齢者がとても多いのだけど、彼らの話を聞いていると、皆さん、多かれ少なかれ「人間関係」の悩みや問題を抱えている。親子の確執、家族間のトラブル、老老介護問題、夫婦関係のこじれ、ご近所との付き合い、親戚との関係、更には、デイサービスやショートステイ先での他の利用者さんとの人間関係、介護士やヘルパーさんとの距離感・・・等々。

特に、人付き合いが苦手でずっと家に籠もり、社会から逃れて「自分だけの世界」の中で生きてきた奥さん(女性)や、プライドが高くて家族に対しても高圧的で、絶えず奥さんや子供に自分の我を押しつけてきた男性など、ある意味「人間関係」で楽をしてきた人たちほど、年を取るほどに難儀している。人間関係の構築が下手だと、ごく普通の簡単な問題もどんどんこじれて複雑になってしまうのだ。「お願いします」と頼めばすぐに済むことも、プライドが邪魔をして素直に「お願い」と言えない。言えないストレスが溜る。身内に当たる。当たられた方が倒れて目の前からいなくなると、今度は一人になる。どんどん「お願い」と言わざるを得ない方向へ追い詰められていく・・・云々。もちろん、その逆もある。ベッタリと依存して頼り切っていた人が居なくなり、否応なしに精神的に自立しなくてはいけなくなったケースなど。

今までのツケが全部、自分の身に降りかかってきたような感じで、とても大変そうだ。

自分と相手の関係が、お互いにとって「心地よく安らげるもの」になるよう、常々努力してこなかった人ほど、老いと共に、また新たな問題に巻き込まれ、うまく対処しきれず、放置しているうちに、そこから新たな悩みが大きく膨らんでいくように感じる。

老いから出てくる問題は、誰も代わってはくれない。健康上の問題は特に、自分が主体に取り組まないと先には進めない。その上、老いて弱ってきたら、ますますパートナーと助け合って生きていかなくてはいけないのに、もともとコミュニケーションが全くできていない夫婦関係の場合、うまく立ち回れなくなったことをきっかけに大変な状況に陥る。今までなら「身内の誰か」に押しつけて何とかなったことも、年老いていくと、誤魔化しがきかず、自分で始末していかないといけない。こうして高齢になって初めて、放置してきた足下の問題を突きつけられ、否応なしに体験させられる・・・という訳である。

まるで、出された宿題をやりきらない限り、次には進めない・・・みたいな状況(汗)。

まさか高齢になっても、消化し切れていない人間関係の心配や悩みがついて回るのか~と、端から見たり聞いたりしている私も驚くほどだ。

だから、私は、死ぬ間際になって、未消化の人間関係の悩みに付きまとわれたり、新たな人間関係でつまづいて人付き合いで悪戦苦闘するのは嫌だなぁ・・・と思い、今のうちから逃げないで、出てきたことには真摯に向き合うようにしている。私自身、どちらかといえば、人付き合いは苦手な方だし、人見知りだ。でも、だからこそ、あえて「これは訓練だ」と思って、苦手なことにも飛び込んでチャレンジし、いろんな人と関わるように心がけている。

生きている限り、どんなに高齢になっても、死ぬまで人に揉まれて生きていかなくてはいけないのなら、人に揉まれることに慣れて、苦手意識がない状態となり、いろんな人と飄々と付き合えるようになりたいなぁと思う。

この世界にはいろいろな人が居る。どんなことも、全てを興味深く感じて「面白がれる人」になりたい。人生の酸いも甘いも味わい尽くして、何でもさらりとかわしていける「百戦錬磨な婆さん」になりたい・・・と切に思う。

◇◇

・・・とここまで長々と語って、一体何が言いたいのか?というと、私は、人間関係の悩みは、老若男女問わず皆が多かれ少なかれ抱えていることであり、決して恥ずかしいことでは無いし、みっともないことでも、情けないことでも無い。むしろ「一つの経験」として俯瞰して受け止めて、自分を変えるチャンスとしてとらえると良いんじゃないかな・・・ということだ。

悩みながらも自分の人生と格闘している人の方が、また、のたうち回りながらも苦い人間関係と真摯に向き合っている人の方が、私は大きく成長していく可能性を感じる。悩みを抱えている人は、その悩みの沼から抜け出すために、人生のどこかで必ず勇気を出して立ち上がり、新しい自分に向かうための「一歩」を踏み出そうとする。そして、踏み出した一歩を契機に、新しい自分&新しい人間関係の構築のための努力を始める。

悩みから抜け出すと覚悟を決めた人は、「新しい視点」や今までとは違う「物事の受け止め方」を身につけようと必死に学んだり、解決に向けて具体的に行動することで様々な経験を得たり・・・等、多くの体験を積み、自分の引き出しをどんどん増やしていく。視野が広がる。見識が豊かになる。行動するごとに人脈が広がっていく。

こうして、今までの悩みが悩みに感じられなくなるレベルにまで、自分を引き上げることがゴールとなる。どんどん自分の器を大きくしていくことで、自然と悩みは消えていき、あとには「成長した自分」が残る。これが「乗り越える」ということであり「克服する」ということだ。

だから、悩みをもっているということは、心が大きく成長する可能性を秘めている・・・ということ。決して不幸ではない。

しかし、ただ一つ、気をつけなくてはいけないのは、「悩み」に飲まれない食われない・・・ということだ。食われるのではなく、「悩み」を食って食い尽くす。食った悩みを「人生の肥やし」にする。「悩み」に負けない。「悩み」から貪欲に学び尽くす。『ただでは起きない』精神が大切。

もしかしたら、悩みに屈しない逞しい自分になるために、私たちは日々、面倒臭い「人間関係」と向き合わされているのかもしれない。

このように「人間関係」とは非常に面倒臭いものだけど(汗)、そんな面倒な関係に少しでも「愛」が感じられる人になるのが、私の理想かな~。

そう、出口の無いトンネルはない。この人生に起きること全てに、必ず解決策がある。たとえ真っ暗闇の中にいても、臆さず勇気を出して出口を求めていくことが、人生の楽しみであり、「生きること」そのものなのだと思う。先々の見通しが全く立たない中であっても、諦めず、必ず出口に到達できると信じて、自分の直感を頼りに前へ進むことだ。目に見えない光を求めて、暗闇の中を手探りで歩き続けるようなことであっても、それが自分の魂に必要な経験なら、私は(最初は怖々でも)面白がって受け取っていきたい。

こうして、いつか「あの時はしんどかったけど、今、振り返ると、あれはあれで貴重な体験やったやなぁ・・・」と懐かしむ日が来ることを信じて・・・。今日もまた一歩を踏み出すのだ。

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