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いくつになっても花は咲く~塔本シスコ展『シスコ・パラダイス』を観て~
あれはいつだったか、先月の終わり頃だろうか。
ふと目にしたSNSの広告の絵。
そこには色鮮やかな植物と自然の生き物たちがいた。黄色と緑と様々な色。一見、南国の風景かと思うほど個性的な色彩の作品の横に、「塔本シスコ」というお名前があった。
塔本シスコさん?
名がカタカナ、もしかしたら外国籍の方かしら?
それとも海外にお住いの芸術家かな?
明るい色調と大胆な構図から、まだ若い先鋭のアーティストかなと思っていたら、全然違っていた。
彼女は、1913年(大正2年)生まれの熊本県出身の日本人女性で、2005年(平成17年)にお亡くなりになられていた。享年92歳。
そして驚くことに、彼女は53歳から絵を描き始めたという。
塔本シスコ:熊本県八代郡郡築村(現・八代市)生まれ。「シスコ」という名は養父がサンフランシスコ行きの夢を託しました。実家の家業が傾き、小学校4年で退学、奉公に出されるなどし、美術教育は受けていません。20歳で料理人の塔本末蔵さんと結婚。一男一女に恵まれますが、1959年に末蔵さんは派遣先の長野県内のダム工事事故に巻き込まれ殉死。53歳の時に長男の賢一さんの画材を使って絵を本格的に描き始め、59歳からは賢一さん夫婦と同居した大阪府枚方市の団地の4畳半をアトリエに。これまでも地元の関西地区を中心に作品はたびたび紹介されていますが、その生涯を振り返る大規模回顧展は今回が初めて。出展された作品は220点に及びます。来年2月以降、熊本市現代美術館、岐阜県美術館、滋賀県立美術館に巡回します。
上のサイトは、シスコさんのお孫さん福迫弥麻さんのインタビュー記事である。これを読み、塔本シスコさんの人生を知り、また、(東京の世田谷美術館を皮切りに)シスコさんの巡回展が催されることを知った。
そして、現在。
シスコさんの巡回展は、ただいま岐阜県で開催中という。
記事の情報から、私は、彼女の生き方と人なりに関心を持ち、彼女が描いた絵に興味を持った。そして何より、彼女が絵を描き始めたのが、今の私の年齢であったことが、私の心に深く刺さった。
「これを観ないと一生後悔する」…そんな気持ちに駆られて、私は岐阜市へと向かった。
◇
6月半ばの火曜日。
梅雨空の下、高速バスを降りると、濃尾平野特有の蒸し蒸しした空気がうわっと私の身体を覆った。
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それまで持ちこたえてくれていた空が、ぽろぽろと雨をこぼし始める。
私は路線バスに乗り、岐阜県美術館を目指した。
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いくつかのバス停を通り過ぎ、ようやく「岐阜県美術館前」に辿りついた。
ブザーを押してバスを降りる。この時、私と一緒に、数人の女性たちがこのバス停で下りていった。
みんなバスから出て早々、慌てて傘をさし、同じ方向へと歩いて行く。
もちろん私も…。みんな、シスコさんの絵を見に来たのだ。
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建物の入口に立ち、傘を折りたたむ。
施設の中に入ると、『塔本シスコ展・シスコ・パラダイス』の大きなパネルが掲示されていた。
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美術館に入ってすぐ、目立つところにチケット売り場が開設されていた。
木枠で仕切られた明るいスペース。
そこで入場料を支払い、チケットを手に取って、展示会場へと入った。
◇
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入って早々、絵画から発せられるエネルギーに圧倒された。
SNSの広告やインタビュー記事に掲載されていた絵の画像だけでは、到底、彼女の作品から沸き立つ生々しい熱は伝わってこない。
やはり「百聞は一見に如かず」というけど、確かにその通りだ。
実際にこうして作品を見るまでは、「素人っぽさが残っている作品なんじゃないか」と、大変失礼なことを思っていたが、いやいや、とんでもなかった。
彼女は、初めて絵筆を持った瞬間から、また、初めて油絵を描いた瞬間から、もうすでに「本物の画家」だった。
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《私が愛する生き物たち》1969年
Q :シスコさんは息子の賢一さんの画材を使って絵を描き始めたそうですね。
A(孫の福迫さん): 1966年、シスコが53歳の時です。もともと画家志望だった父の賢一が熊本の家を出て働き始めた際、父が自宅に残した作品を取り出し、画面の絵の具をそぎ落として、その上に自分の絵を描いてしまったのです。最初期の《秋の庭》などはそうして描かれた作品です。
こうして絵を描き始めたシスコさんは、息子の賢一さん夫婦と同居するため、熊本県から大阪府枚方市の団地へと引っ越した。それが1972年、シスコさん59歳の時である。この頃に、お孫さんの弥麻さんが誕生している。弥麻さんは、同居の祖母・シスコさんの絵を描く姿を、ずっと近くで見つめてきた。
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大胆な構図と鮮やかな色彩。それはキャンバスだけでなく、目の前の全てのものにも施されていく。
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彼女の作品を見ていると、どこからも「シスコさん」を感じる。彼女の体温や彼女の存在を強烈に感じるのだ。亡くなられてもう17年が経つのに、今も彼女の生きる力が作品から溢れていた。
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人は、自分の感情を表現するのに「言葉」を用いるけど、彼女にとっての表現ツールは「絵を描く」だったかもしれない。楽しかったこと、嬉しかったこと、子供時代の思い出、今の自分…等々、体験したことを全てキャンバスの中に盛り込んで、不思議なシスコワールドを展開させていく。
家族がいて、懐かしい思い出の人々がいて、新しく出会った人もいて、愛猫がいて、訪れた場所があり、好きな植物や昆虫もいる。彼女がこの世に生きてきたこと全てが、彼女の絵の題材になっていた。
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彼女の作品で、私が「これは脂がのっていて、味のあるいい作品だなぁ」と感じるのは、だいたい80代の頃に制作されたものだった。
私の周囲で80代といえば、家庭内でも社会でも第一線から退き、誰かの世話になって介護を受けている人が多い。
ところが、シスコさんの場合は、80歳を過ぎてもますます創作意欲が増し、素晴らしい作品を多数残している。そこで驚くのが、かなり大きな作品にも着手されていることだ。
これ一枚を描き上げるのに、若い人であっても、かなりのエネルギーと時間と労力が必要だろう。ところが、彼女の場合は、そんな苦労よりも「創作の楽しみ」に深く心が傾いていた。彼女にとって「絵を描く」ことは、生きる意義であり、命の根幹であり、「生きる喜び」そのものだったのだろう。
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これらの絵を観ながら、私は自分で自分を「小さな箱」の中に閉じ込めてきたことに気づいた。
女だから…。
嫁だから、母だから…。
もう若くはないのだから…。云々。
そういって、やらない言い訳をたくさん作って、自分を小さな箱の中に閉じ込め、「この中でおとなしく生きよ」と、自分を抑え込んできたのだ。
ところが、シスコさんの「枠にとらわれない、型にもまらない、己の魂が欲するままに自由に描いた絵」にたくさん触れていくうちに、自分を閉じ込めてきた「小さな箱」はもう要らないと感じた。
「箱」は手放そう。
そして、もっと自由に自分らしく生きよう…と思った。
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晩年が近づくにしたがって、シスコさんは不思議な世界を描いていく。
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そして最後は、「月」。
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情熱に突き動かされて描き始めたシスコさんの絵画人生は、最期は研ぎ澄まされた「月」で静かに締めくくられた。
◇
シスコさん。
あなたが遺した絵から、私はたくさんの勇気と元気をもらいました。
ありがとうこざいます。
私も、最期まで情熱を失わず生きたい。
そう強く想い、私は会場の出口の扉を開いた。
ここから先は、私もあなたのように明るさを失わず、未来に希望を持って、自由に力強く生きていきます。
そう、誓いつつ。
~巡回展~
塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記
【会場】滋賀県立美術館
【会期】2022年7月9日(土)〜9月4日(日)
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