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【本当の私を生きる31日間プログラム】Day8:「不快」を感じる

毎日コツコツ続けている内観note。

今日は、Day8「不快を感じる」をテーマに自分自身を掘り下げていきます。

Day8のテーマ「不快を感じる」について

それでは、まず最初にYumiさんのお題noteです。

(以下、Yumiさんの記事から抜粋)

人は自分がやってはいけないと思っていることに対して、他の人がそれを平気でやっていたりすると不快な感情を抱きます。「私はそれをしちゃダメだって思っているのに、なんでお前はやるんだ〜‼︎」って心の中で思ってしまうんですね。
それで気分悪くなって「なんなん?💢」って気持ちのまま1日が過ぎる・・・。なんてことないですか?私はありますね💦そんな風に1日不快な感情で過ごす日があっても良いけれど、ずっとそのままでいるのが自分にとって心地良い状態かと言ったら、そうではないのではないでしょうか。
できれば不快な気持ちを手放して、その日1日を楽しみたいというのが本音だと思います。

今日はそんな自分が感じる不快をテーマにしてみます。

この感情は、多分、多かれ少なかれ、ほとんどの人が普通に持っているのではないでしょうか。我慢していることが多い時ほど、不快感でイライラすることが多いように思います。

今日の質問は、以下の4つです。

①あなたが不快に思うのはどういうことでしょうか?

②まずはその不快と思うことを受けとめましょう

③どうしてその状況を不快だと感じるのでしょうか?

④自分がなぜ不快になるか理由が分かったら、その感情をずっと持ち続けていたいか自分に聞いてみましょう。 「今はしばらく持っていたい」という回答がやってきたらそれは持っていていいし、「いや、今はもう手放していいかな」と思ったらありがとうって言って手放していきましょう。

それでは、順番に答えていきますね!

①あなたが不快に思うのはどういうことでしょうか?

本音を打ち明けます。実は私、徳のない人&魂レベルが低い人が、すごく威張って偉そうにしているのを見ると、ものすごくイライラするのですよ。

今の日本の社会は、「法の下の平等」「基本的人権」が保証されているとはいえ、今も昔ながらの「階級社会」がまかり通っていると思うのです。

男尊女卑とか、家制度とか、家父長制度…云々。女は結婚して子供を産まなくてはいけない。男に家事をさせてはいけない。結婚して一人前。跡取り長男は家を継ぐもの。親の面倒を見るのが当たり前。親と同居して暮らすのが幸せ。孫を抱くのが願い。年長者は偉いのだから、若い者は年上者の言うことに黙って従わなくてはいけない。…等々。

こんなの、今ではまるで「化石」のように感じられるんだけど、日本人の意識の奥深くには、今も深く刻み込まれていると思うのです。

今も、この価値観が正しいと信じている人がまだたくさんいて、昔の古い価値観からくる常識を「錦の御旗」にしているのですよ。そして、自分より年下の人たちに対して、自分の勝手な主観を「これが正しい」と上から押し付けてくることがよくあります。

特に古い世代の人たちで、「自分は偉い人間なんだ」と勘違いしている人が結構いて、ズーズーしく人に命令してきたり、上から目線で説教してきたり、慣れないことや新しいことに遭遇すると不安からパニックを起こして、下の人に当たり散らしたり…。

良い年齢なのに、自分の感情もコントロールできず、自分の苦手やコンプレックスも全然把握しておらず、ちょっと機嫌が悪くなると「あんたのせいで!」と人に八つ当たりしてキーキー怒りまくる…。

こういう「向上心が全くない」「自分を顧みない」「人のせいにする」「自分の未熟さを恥じない」「バタバタしてて落ち着きがない」「思慮深さが全くない」という人たちに出くわすと、私はすごくイライラします。

まじで、「お前、何様?」「見た目はジジ・ババだけど、精神年齢は幼児?」と思います。

お前たちが吐き出すネガティブエネルギーのせいで、社会が薄汚れて劣化していくのだよ…と腹立たしく思うこともあります。

でも、こういうタイプの人たちは、脳の「自分を客観的に省みる」という部分が最初から欠けているのか・壊れているのか?…で、どんなにこちらの気持ちを伝えて説明しても、さっぱり理解できないのですよ。

だから、この人たちが生きている間は、周りの者が我慢して付き合っていくしかありません。相手のレベルに自分を落とし、相手の価値観に無理に合わせて、黙って従ってあげなくてはいけない…。

相手は1ミリも動こうともしないのに、私たちには変化を求めて強要してくる…。

この理不尽さに、私は腹が立つのだと思います。

②まずはその不快と思うことを受けとめましょう

はい。受け止めました。

不快感はMaxだけど(汗)、じっと自分の中に取り込んでみました。

③どうしてその状況を不快だと感じるのでしょうか?

どうして不快なのでしょう?

自分の中で感じる「不快感」をじっと観察してみました。

◇◇◇

まず最初に出てきた感情は「フェアじゃない」…ということでした。

不平等極まりない。相手と自分の間に、全然「平等さ」がない。…等々。

立場上、相手に言い返すことができないと、一方的に私が我慢をしなくてはいけいので、そこにフェアじゃない怒りを感じるようです。こちらが折れて大人の対応をしてあげなくてはいけないのも、相手は傲慢さを出すだけ出して満足しているのも、両者の間に均等さがなくすごく不平等な感じがして、そこが嫌ななんだと思いました。

次に、「私はお前の奴隷ではない。」…という言葉が出てきました。

どうして私の許可なく勝手に、私に押し付けてくるのか?我慢を強いるのか? 私の気持ちをどうして無視するのか? …等々。

対応の仕方が、幼い子供に世話を焼くような感じで「あーしなさい」「こうしなさい」と言ってくるパターンが多いので、こういう時は、私の気持ちや状況を無視してくること&自分の主観や価値観をゴイゴイ押し付けてくるのにカチンときます。私のことを大事にしてくれない、自分の満足のために私を利用しているんじゃないか…等、そんな思いが沸き上がり「私を馬鹿にしないで!失礼な!」とイライラしてきます。

最後は「無礼者!頭が高い!」……ん?

お前ごときに命令されるような低い身分ではない。何様ぞ。偉そうな口を叩くな。軽々しく口がきけるのは今のうちだけだ。…云々。

なんだろう、これ(汗)。でも、本当に出てくるのですよ。「私を誰と心得る。私は…」とまぁ、まるで水戸黄門みたいなセリフが…。でも、これが出てくると「こ奴は何も知らない無知な魂の者だから、このような態度でも仕方がない。」と良い意味で「諦め」の境地になり、少し気持ちが大きくって、少しずつイライラが収まっていきます。

◇◇◇

以上、こんな感じで、「不快」を味わい尽くして感じてみました。

そこから分かってきたこと…それは、

私(相手)の気持ちを無視して、たいして立派でもないおバカで未熟な「自分」を平気で押し付けてくる行為が、厚かましくて許せない。

ということでした。

なるほど。私の「不快」の正体が見えてきました。

そこで更に内観して、この不快の正体を詳しく分析します。

すると、こんな私の本心が出てきました。

・私は、常日頃から、不快な人たちを反面教師にしていて、相手に自分の意見を押し付けないように気を付けている。

→そこは完ぺきを目指して頑張っている。

・私は、自分の良さを認めつつ、一方で、自分のことを「対して立派でもないおバカで未熟な自分」と見下しているところがある。

→不快な人たちに「自分」を投影している?自己肯定感が低いから、どうしても自分を卑下する癖が出てきます。

・自分を人にゴイゴイ押しつけていくのは、みっともなくて恥ずかしいことだと感じている。

→不快な人たちみたいになりたくない。だから反面教師にして、あの人たちとは違うんだアピールをしていたのかも…です。

・精神的に未熟な人達を、内心では憧れていたのかも…。

→。あっ!(ドキドキ)

◇◇◇

つまり、もっとズバリ言い当てれば、

あの人達みたいに、私も人の気持ちなんて気にしないで、自分の地を出しまくって言いたい・放題やりたい放題、自由に生きたい!

…ということだったんです。

ここまで自分で分析してみて、ものすごく複雑だなぁと自分でも思います(汗)。私の中にいろんな思いが交錯していて、それが団子状に固まって「不快感」という気持ちに形成されてにいったんだなぁ…と。

そこに気づきました。

そして、ここから私がジワリと感じたこと。それは、

未熟なままでも、自分を出していいんだよ。

…ということでした。「完璧になって完成してからでないと、自分を出しちゃいけない」と、自分で勝手にそう決めつけていたんだなぁ~と悟りました。

あと、

自分を出して、結果、人からウザがられてもいいんだよ。

…ということも感じました。

上記に挙げたイライラする人たちみたいに、「他人に対して、あれくらい地を出しまくってパンチが効いた絡み方をしても別にいいんだよ~」…と。「ここまで人生は自由なんだ」と、自分にゴーサインの許可を出してもいいんだよ…と。ふっ気づいたのです。

別に、イライラされてもいいんだし、うざがられてもいいんですよ。そこを怖がってはいけない。迷惑かけてもいい、嫌われてもいい、自分が思うことをもっと堂々とパンチを効かせて公開しちゃいなよ…と。

そんなメッセージまで聞こえてきました。

今までずっと、「アクセルを踏みながら、ブレーキも踏んでいる」という非常に中途半端な状態で、だから、心が委縮してイマイチ自分を出していなかったんだなぁ…。(遠い目)

だからその反動で、あの濃く絡んでくる自己中キャラの年配者たちが許せなくてイライラしてたのかーーー!

目から鱗が落ちました(笑)。

レベルが低くても、足りなくても、未熟者であっても、この社会は、自分を主張する権利はちゃんと保障されていて、みんな堂々と言いたい放題やっているのだから、私も同じように「自分の意見・主観・主張」を出していけばいいんだ…。その方が、社会的にも全体のバランスがとれて良いのかもしれない…。

しみじみとそう思いました。

④自分がなぜ不快になるか理由が分かったら、その感情をずっと持ち続けていたいか自分に聞いてみましょう。

今回、面白いことに、「不快」の本当の理由を突き止めたら、もう「今まで私は何にこだわっていたのか」が瞬時に脳内から消えて、すっかり忘れてしまいました(笑)。

「感情をどうこうする」というより、思いついたことをただ実行するのみです。

これからは、私に不快感を与えてきた人たちを「心の師匠」と崇めて、彼らのように未熟であっても恐れず堂々と「自分の意見&主張」を自信をもって出していきます。衝突してもいいんだし、ぶつかってもいいのですよ。

それより、出すことに価値がある。←ここに意識がシフトしました。

しかし、今日はこんなオチだったのかーーーー!

かなり衝撃的な出口でした。

何だか今日は着地点が意外なところ過ぎて、本当にびっくりです(笑)。

でもスッキリしました✨。

◇◇◇

このプログラムのお仲間ことほさんが、今日も私のnoteをご紹介してくださいました。

ことほさん、ありがとうございます😊。

そして、これを読んでくださった方へ。

今日も私の壮大な一人語りnoteに最後までお付き合いくださり、ありがとうこざいます。

良かったら最後に「♡スキ」を押していただけると嬉しいです。

こちらのマガジンに、今までの「本当の自分を生きるプログラム」の記事が納められています。良かったら覗いてみてください♡。

それでは、また明日👍

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