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ナースのお仕事。#2



 きのうに引き続きお仕事のおはなし。よろしければ、前回の記事もよろしくお願いします。



座学より実技

 わたしは座学よりも、圧倒的に実技の方が得意だった。耳にできたタコのせいで、耳が聞こえなくなるくらい「根拠は?」と聞かれるので、座学の大事さは身をもって感じていた。応用するには基礎ができてないといけないのはごもっともです。体の仕組みを知っていないと、危険なこともたくさんあるものね。
 そして、実習室は患者さんの病室と同じ扱い。入る前には、「失礼します。」と一礼。声が小さかったり、態度がよくないと、やり直しさせられる。練習用の人形にも名前がついていて、扱いが悪いと怒られる。練習でも本番のように振舞うことは大切。普段の行動、言葉遣いって、実習中も出やすいから、そういうところからビシバシしごかれた。


「患者さんへの関わりが威圧的です。」

 実習中に病棟の看護師さんから言われたことだ。担当教員は、「わたしにはそう見えないんだけどねぇ。でも、ハキハキしゃべるから、そういう風に見える人には、そう伝わっちゃうのかもね。語尾、ちょっと伸ばしてみるとか、そんな感じで話してみたらいいかもね。」と。周りからの見え方が、自分の想像と違うと結構ヘコむ。翌日からは、ちょっと間延びした感じの、わたしには合わない話し方で、コミュニケーションを取るようになった。それ以降、その話し方がわたしの実習のときの話し方になった。
 学生時代のわたしは、いつも目に見えない不安で埋め尽くされていて、自分を過小評価しすぎてしまうところがあった。先生に何もかも不安と話したときに、「周りは、あなたが思っているほど、何もできないって思ってないよ。」と言われて、救われた。できないことばかり数えて凹んで、とにかくダメだと思っていたけれど、わたしを見てくれる人がいて、評価してくれる人がいるのなら、自分の思った通りにやってみよう。そんな風に思うことができるようになっていった。


憧れと現実

 看護学生になりたての頃は、急性期でバリバリ仕事して、DMATディーマット(災害派遣医療チーム)に入りたいと思っていた。
 勉強が進むと、病院の中で唯一命が誕生する場所、産婦人科の分野にも興味が出て、助産師を目指すようになった(金銭的問題で進学はしなかった)。助産分野もみることができるなら、災害現場での活動も広がると思い夢が膨らんだ。さらに、日本の性教育が遅れていること、日本での性に関する話題をタブー視する風潮もあって、性=エロと誤解している若者が多いことを勿体ないと思っていた。性教育の現場に立って、正しい知識を伝えていく側に立つことにも興味が出た。
 いざ、実習に出て、わたしの目に映った急性期の現場はどうだろうか。ピリついた空気は、緊張感だけによるものではなさそうだった。業務に、時間に追われて、患者さんと目を合わせることすらできずに、背を向けて会話するような姿を多く目にした。問題行動で危険の大きい患者さん、対応に時間のとられる患者さんは、抑制ベルトを使用して、行動を制限していた。
 ”わたしが目指しているのは、こんな看護師じゃない。わたしがしたいのは、こんな看護じゃない。”。
 理想と現実のギャップに、何度も泣きながら帰った。ドラマのように、職員同士が円満なところも、珍しい。厳しいだけの先輩、毎日残業で、自分の要領の悪さにヘコむ日々。こんなところにいたら、誰かを救う前にわたしが壊れてしまう、そう思った。




 抑制については、虐待などの問題として見られるかもしれないので、補足します。看護師は、医師の指示のもと抑制を実施していて、実施前にはどんな理由で、どの部位の抑制を実施するのか、本人または代理人の同意を得てから実施しています。そして、実施中は観察して、抑制部位に障害が起こらないようにケアしています。わたしの職場では、リスク軽減のための抑制もありますが、不随意運動ふずいいうんどう(自分の意思とは異なる運動)による、外傷予防でも使用することも多いです。
 医療者や、介護職者による、虐待問題も取り上げられること多いですが、そういうことを黙認しない職場作りも課題なのかも。
 最終日のあしたは、『できることを選ぶ』、『たたかうナース』、『わらうナース』、『これから』、『番外編』盛りだくさんでお送ります。

 きょうも読んでくれてありがとうございました。またね。


わたしのペースで、のんびり頑張ります。よかったら応援もよろしくお願いします。