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ナースのお仕事。#1



 わたしの仕事は、看護師。もう、看護の仕事に就いて6年目になる。神経難病がメインの、療養型慢性期病院で働いている。きょうは、そんなわたしのお仕事のおはなしをしようと思う。
 きょうから3日にわけての投稿となりますので、よかったら最後までお付き合いください。わたしにしては、ボリューミーなので、休憩しながら読んでね。



きっかけ

 「どうして、看護師になったの?」と言われとき、ひとことで返事するなら「人が好きだから」と答える。たいていの人は、「え?それだけ?」って。うん、それだけ。ずっと人と関わっていけるお仕事がしたかったの。人が好きっていうのは、曾祖父、祖父母、父、母、妹2人の大8人家族の中ですくすく育ったことが影響してるのかもしれない。
 あたかも最初から看護師になりたかったように書いているけれど、将来の夢には、けっこう変動があった。美容師、盲導犬の訓練士、動物園の飼育員、ラジオパーソナリティ、小説家、、、ざっとこんな感じ。
 中学生になって、インターンシップやボランティア活動で、老人ホームへ行く機会があって、自分はこういうところで仕事をするのが好きかもしれないと思って介護士を目指すようになった。
 高校は、就職にも、進学にも柔軟に対応してもらえる、総合学科の学校に進学した。入学式の日に進路希望調査が渡されて、親と進路の話をしたとき「福祉の仕事をするなら、看護師目指したらいいと思う。施設で働きたいなら、看護師の資格を取って働けばいい。」と言われ、本格的に看護師を目指すことにした。憧れはあったけれど、頭のいい人しかなれない職業だと思ってたから、選択肢には入れていなかった。成績だって人並みのわたしに親が進めてきたんだから、絶対になってやろうと思った。


過去最低クラスで過ごした学生時代

 高校入学早々に受けたテストでクラスの上位に食い込むことができたけれど、それはわたしのクラスがなかなかの問題クラスだったからだった。「こんなに成績の悪いクラスは見たことありませんよ。」と言われるような。そんなクラスでぬくぬく1年生を過ごして、(名ばかりの)理系進学クラスに進級して最初の方は、下から数えた方が早いような絶望的な成績だった。ただ、素行がよくて素直ないい子だったので(おい。)、先生たちからは見放されなかった。ただ、進学クラスにいても、大学に行けるほどまで学力を伸ばすこともできず、公立の看護学校への進学もできず、1学年1クラスしかない、学力はそこそこの小さな看護学校へ進学することになった。
 わたしの入学した看護学校は、「監獄学校の間違いでは?」と思うほど厳しかった。入学早々の試験で、またしてもわたしのクラスは成績が悪かった。「こんなに成績の悪いクラスは見たことありません!前代未聞です!」おや?デジャブ?聞いたことあるぞ!わかった!先生たち、わたしたちを鼓舞するために、わざとそう言っているんでしょう。「この、試験での追試の人数が過去最高です。」はい、事実だったみたいです。
 わたし自身もそこまで、座学での成績がいい学生ではなかったので、先生から個人的に呼び出しを食らって「あなたの家での生活を教えなさい。本当に勉強してるの?」と詰められたことがある。してないわけない。親からは、「お金に余裕なんてないから、留年したら退学だよ。」と言われていた。家でのだいたいのスケジュールを伝えると、「へぇ、そんなに勉強して、この点数ねぇ…。勉強の仕方、見直してみた方がいいんじゃないの。」と言われた。学年末に受けた模試で、クラス1位になった。初めての模試で、点数がものすごくいいわけではなかったけれど、個人的には嬉しい出来事だった。あのとき、個室に呼び出して説教してきた先生も、あからさまに態度を変えて「よく頑張ったわね!」とほめてくれたけど、全く嬉しくなかった。




 看護の専門学校って、規模が小さくて全学生への目が届きやすいこともあって、本当に厳しい。パワハラみたいなことが問題になることもある。全教員がそうではないけれど、そういう先生はどの学校にもいるみたい…。
 あしたは、『座学より実技』、『「患者さんへの関わりが威圧的です。」』、『憧れと現実』の3本です!
 きょうも読んでくれてありがとうございます。またね。




わたしのペースで、のんびり頑張ります。よかったら応援もよろしくお願いします。