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秘密について

絵を描いていることは家族や身近な数人の近い友人のほかには誰にも伝えていません。その方が仕事での会話もスムーズにできるし、わざわざ伝えたところでそこから話がどうにかなるものでもないというのが経験から予測できるからです。そういう理由で、私こと乙崎 新(おとさき しん)とnote他SNSでの皆さんとのつながりは、私にとって親密で大切な関係と思っています。私はもう、40半ばを超えた年齢にもなりますし、そのような年齢になりますと、(個人的な)秘密の1つや2つ持っていたいたほうが、面白みや深みのある人になるのかなあなんて、自分への言い訳としてですが、思ってみたりする今日この頃です。

油絵との出会い

さて、1人息子として生まれた私は、もともと大学では6年の間、教育系の大学で現代絵画(主に抽象的な絵)を描いていました。個展でも発表し、社会人になってからは、美術の先生にでもなって、個展を開きながらコンクールに出品し、アトリエでコツコツと制作している・・そんなことをぼんやり想像していました。もともと社交的な性格ではなかったし、読書や映画や音楽を楽しみながら、作品を発表することが性に合っている、そんな気がしました。
それというのも、亡くなった両親が、それぞれ文芸を高貴なものと考え、私のことを応援していたからです。
そのまま10年が過ぎ、20年が過ぎてからも、そのまま目立たず大きなキャンバスに油絵を塗りたくり、重厚な現代アート(今となっては抽象画との区別すらつきませんが)を作っていくはずでした。

油絵との別れ

ところが、ある日、私自身の中で何かがはじけるように、制作に対する情熱というか、何かがすっかり消えていることに気づいたのです。「もう、いいや。やーめた」と、どこか、脱力感と晴れやかな気持ちが混ざり合ったような、ある意味爽快な気持ちになりました。まだ、SNSなどが浸透していなかった頃だったように思います。もう、応援と支援してくれていた両親ももうこの世にはいません。情熱が消えたきっかけが何だったのかはもう忘れました。そもそもそんなきっかけなどなかったかもしれません。ただ、現代美術とうのは、自己表現といっても、前提として古典・近代美術へのアンチテーゼとしての在り方に存在意義があるため、私のように内向的・個人的なテーマで表現しようとする人にとっては、「美術の制度(脱制度)」云々は、どうでもよいものとして、当時の私には(言語化は出来ませんでしたが)どこかで直感的に感じたのかもしれません。

色鉛筆との出会い

それから10年ほどが経ち、スマホやSNSが日常に普及してきました。私は気分転換に何気に動物のスケッチを描いてみたきっかけで、色鉛筆で色彩をつけて描いてみようと思い、枚数を増やしていきました。遊び感覚でSNSに投稿した作品にコメントをいただいたとき、うれしくて、胸が熱くなったことを今でも覚えています。
これからも私は油絵や水彩画ではなく、あえて色鉛筆でささやかな作品を描いていこうと思っています。
なぜなら、これから作品を通してかかわっていただいた方々と、仰々しい声ではなく、小鳥の声で交流していきたいと思っているからです。
そして、交流できることが私にとってかけがえのない時間であり、このように歩き始められるようになったことも、みな様のおかげであり、感謝の気持ちしかありません。これからもどうかお願いいたします。

 『はじまり』2020、色鉛筆

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