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世界の終わり #4-1 メタフィクション


 自衛軍西部方面隊第八師団の皆藤(かいどう)が運転する73式中型トラックに同乗していた広域捜査庁捜査官・二宮駿(にのみやはやお)は、瀬高駅に近い二〇九号線の路上にて、二台並んで駐車している不審車両を発見した。
 脇につけた銃に手を添える。
 路駐しているのは、黒のSUVと、くすんだ色のワゴン車で、ワゴン車はやや斜めになってとまっていた。
「車の横に男性が立っていますね。感染者――いや、不法入国者でしょうか」
 アクセルを緩めた皆藤が問い、問いながら身体を拘束しているシートベルトを外す。
 速度を落としたトラックは続けざまに二度、道路の窪みで大きくバウンドした。
「距離をおいて停車してください。確認します」不審車両と男性を睨みつけるように直視したまま、二宮もシートベルトを外して、緊張をはらんだ声で呟く。

 トラックは不審車両の五〇メートルほど手前で停車した。
 いたるところから雑草が顔を覗かせている荒んだ片側二車線の道の上に、アイドリングの音が緊張感を伴い響き渡る。

「待ってください、捜査官。正規上陸者のようです。左腕を見てください」
 皆藤の言葉を受けて、二宮はドアに触れていた手を離し、黒のSUVの横に立つ男性へ目を凝らした。
 男性はグレーのペルテックス製パーカーを身に纏い、左腕に黄色い布を巻いている。
 正規の手続きを踏んで九州に上陸した者は、証として身体の目立つ場所に布を巻くことが義務づけられる。布の色は定期的に変更されるので、不法入国者が偽装を働くことは難しい。
「なるほど。黄色ですから、不法入国者ではないようですね」広域捜査官である二宮もまた、腰に黄色い布を括りつけている。「しかし、このような場所に路駐しているのは妙ですよ。なにかトラブルがあったのかもしれません」
 そういうなり二宮はトラックのドアを開き、素早く路上に降り立った。
 不審車両の横に立つ男性は、手をかざすようにして二宮をじっと見ている。顔や表情までは確認できなかったが、歳は二宮とさほど変わらぬ三〇代半ばのように思えた。
「捜査官。危険です。車内に戻ってください」
 皆藤が運転席から呼びかけたが、
「武器はもっていないようですし、心配ないでしょう。話を聞いてきます」思うところあって提案を拒否し、不審車両へ向けてゆっくり歩を進めた。
「捜査官ッ――」
 振り返り、二宮は微笑んで返す。
 皆藤はドアに手をかけたまま、こわばった表情で頷いて応え、最悪の展開に備えて銃を手にもつ。

 植物の臭いを含んだ風に乗って野犬の遠吠えが聞こえてくる。
 瀬高駅周辺は福岡・熊本の境目に近く、野犬が多く生息している感染危険区域として、政府がランクBに指定している場所である。
 二宮は周囲に気を配りながら、男性との距離を縮めた。相手の姿が大きくなると、頭の隅に押しこめていた忌々しい記憶が呼び起こされて脈が早くなった。
 男性の着ているグレーのパーカーと、その着こなしに見覚えがあった。手前にとまっている黒のSUVも同様に見覚えがある。二宮は一旦足をとめて大きく息を吸いこむと、かざしていた手をゆっくりさげる男性の顔を凝視した。
 直後、
「そのまま、動かないほうがいいですよ」
 流暢かつ特徴的なアクセントで、男性が呼びかけた。
「――?」
「じっとしていたほうがいい」
「じっと? なにをいって――」二宮が問い終える前に、
「ほら」
 左の草むらの中から、羽がまだらに抜け落ちた野鳥が勢いよく飛びだしてきた。ガァアあァと耳障りな声をあげた野鳥はアスファルトの上へ腹這いになり、一メートルはあろうかという翼を広げた。しかし羽ばたかせることなく、ゆらゆらとバランスをとるように揺らすだけである。やがて野鳥は細い足でアスファルトを蹴りあげたが、すぐに落下し、見るに堪えない足取りで二宮の前を横切った。鳥類は伝染病に感染しないはずながら、その様は感染しているとしか思えない、特異なものだった。
「危なかったですね、二宮さん」男性が言葉を発すると同時に、風に乗って聞こえていた野犬の遠吠えがやむ。「野犬に襲われたんでしょうね。鳥ですから発症はしていないでしょうが、介達感染の怖れがあります」
 風もやみ、擦れあっていた植物の発する音もやんだ。
「やっぱりきみだったか。どうしてこんなところにいるんだ」
 道路を横断する野鳥を横目に見ながら、二宮は男性との距離を縮めた。
「勿論、撮影ですよ」
「そうじゃない。こんな場所に車をとめて、なにをやっていたのか訊いてるんだ」
「あぁあ、失礼。敢えていうなら休憩です。アシスタントのひとりが車酔いしてしまいましてね。路肩に車をとめて、休ませていました」
 口角をあげ、男性は涼し気な顔で前髪を揺らした。
 姿勢がよく、特徴的な発声も含めて舞台俳優のような印象を与える男である。
 腰に手を添えて顔を顰めていた二宮は、男性と向きあい、憂愁に満ちた息を長く吐きだした。
「まぁ――いい。しかし、またきみとこうして出会(でくわ)すとはな」


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 SUVの前に立ち、微笑んでいる男の名は柏樹雅治(かしわぎまさはる)。柏樹は趣味の廃墟撮影を行うべく度々九州に上陸している。
 民間人が上陸許可を得るためのハードルは高いが、柏樹は政界にいる親族の力を利用して、三ヶ月に一度のペースで一週間滞在の許可を得ている――そういった情報を二宮がつかんでいるのは、過去に数回、柏樹と顔をあわせており、事情聴取に似たやり取りを行ったこともあるからだった。

「どこにいるんだ、アシスタントは」二宮が問う。
「もちろん、車の中ですよ。ワゴン車の中で横になっています」
 後方を指差し、柏樹は微笑んだ。
 SUVの先に、後部座席の扉を開けたままの、型の古いワゴン車が斜め向きにとまっている。ガァアあァ、と路上に留まっている野鳥が突然大きな声をあげたので一瞬視線を移動させたが、二宮はすぐさま顔を戻して、ワゴン車へ向けて歩を進めた。
「前回はSUV一台だったよな。今回は二台できたのか」
「えぇ。荷物が多くなったものですから。なにしろ五人分ですからね」
「五人?」
「僕も含めてスタッフ五人。今回の九州入りは、若手育成も兼ねているんですよ。楽しいですよ、大勢での旅行は」
 やや嘲笑を孕んだ物言いのように感じたものの、二宮は反応を示さずにワゴン車へ近づき、開かれたドアの横に立つと、銃に手を添えて車内を覗きこんだ。
 直後に、
「――こんにちは」と、車内にいた青年が頭を垂れた。
 ワゴン車の中には四人の男女が乗っていた。
 四人とも腕に黄色い布を巻いており、うちひとりはシートの上に横たわって目を閉じていた。
 眠っているのは二〇代前半と思われる眼鏡をかけた小柄な青年である。青年の名前は知らなかったが、面識はあった。ほかの三人ははじめて見る顔で、どこか怯えている風にも見て取れる表情を浮かべていた。
「きみたちは――」
 質問しようとした二宮の肩を軽く叩き、横から割りこむようにして柏樹が車内へ顔を入れて、青年らへ声をかける。「心配することはないよ。この人は広域捜査官の二宮さんだ。この辺りでグールの目撃情報が相次いでいるから、路駐していた僕らのことを心配して、見にきてくれたんだよ」
 二宮は露骨に顔を歪めて振り返り、柏樹を睨みつけた。
「目撃されていることを知っていたのか? だったらなぜ、こんな場所に路駐しているんだ。車のドアも明けっ放しにして」
「空気の入れ替えです」
「窓を開ければいいだろ」
「グール化した人間に襲われた場合、瞬時に対応できるのは窓よりもドアのほうではありませんか。閉め切るまでにかかる時間が全然違いますからね」
「……時間、ってなぁ」呆れた声で返しつつも、一理あるかもしれないと考えて、追求をやめ、二宮は車内の男女へ目を向けた。
 男性が三人。
 女性が一人。
 人数が多い分、荷物が相当な量になってしまったのはわかるが、積まれたダンボール箱で狭苦しくなっているワゴン車の後部座席に四人もの人間が乗っている光景は少々違和感を覚える。しかし危険度の高い場所に駐車していることを思えば、身を寄せあうのは正しい選択かもしれない。二宮はドアの縁に手をかけて、それぞれの顔を順々に見た。
 最も手前のシートに座っている、どこか幼さの残る可愛らしい顔をした青年は、色白で愛想がよく、二宮と視線が重なると、「お疲れさまです」といって深々と頭をさげた。表情は自然ながら、瞳の奥に怯えの感情が隠れていることを二宮は見逃さなかったが――状況が状況である――九州という地で広域捜査官に声をかけられれば緊張し、怖れを抱くのは当然だろう。青年が顔に貼りつけている笑顔が妙に作り慣れているように感じたものの、相手とコミュニケーションを図っていなければ、不安を覚える性格なのかもしれない。そう考えて、ニコニコ微笑む青年へ同じように微笑んで返し、二宮は視線を横へずらした。
 青年と隣りあわせて座っている、高校生くらいに見える少女は束ねた長い髪を指で弄(もてあそ)びながら、先の青年と同じく、目があうと会釈して返してきた。
 もうひとり――ドアから最も離れたシートに座る体躯のいい青年は愛想がまるでなくて、訝し気な表情を見せていたが、横になった青年の容態を尋ねると、意外にも饒舌でよどみなく答えて返した。率先して前にでようとしているようにも見受けられたが、表情は険しいままである。
 短く息を吐き、二宮は一歩後退した。
 不審車両発見時には、不法入国者ではないかという疑いの念を抱いたけれども、身元のハッキリしている柏樹の同行者ということもあって、車内にいる青年らに身分証の提示は求めずに、さらに一歩後退する。

 実のところ、二宮は青年らが何者であろうが、どうでもよかった。
 それよりむしろ気になって仕様がないことをひとつ、胸の中で燻らせていた。

「道が荒れているから、車酔いしてしまうのも無理はないと思うが――」柏樹へと向き直ると、二宮は苛立ち混じりの口調で問いかける。「きみらはいつ九州に入ったんだ? 大体きみと出会すと、碌なことがない」

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