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世界の終わり #5-5 グール

「待て——妙だ。なにかおかしいぞ」
 視界にとらえたフォレストホテル。
 だけど丹田さんは車のスピードを落として、正門よりも手前で停車した。
「どうしたの? 妙って、なにが?」
 手にもった棒状のスタンガンを握り直して訊いてみたけど、質問に返してきたのは白石くんだった。「板野さん、このホテル、無人じゃありませんよね? なんの用があってこんなところまできたんです?」
 警戒した声。
「誰かいるな」
「誰かいますね」
「近づいても大丈夫なのか?」丹田さんが問う。「門の前に車がとまっているぞ。いきなり囲まれて、襲われたりしないよな?」
 三人からの、まさかの質問責めだった。
「わ、わたしに訊かれたって——」訊きたいのは、わたしのほうなのに。「わかるわけないじゃない!」
 この場所に涼がいる。それはたしかだ。
 だけど、どうしてここに涼がいるのか、ここでなにをしているのか聞かされていない。
 市民団体〈TABLE〉の本部で出会ったウディって人は、フォレストホテルで涼と会い、涼がつけていたブレスレットに記されていた文字を見たから、わたしの名を知っていたらしいけど、涼に関することは尋ねても教えてくれなかった。「行けばわかる」とだけ——それだけ答えて、口を閉ざしてしまった。
 だから、わからないのだ。
 訊かれても困る。
 わたしに尋ねられてもなにも答えられない。
「わからないってどういうことだ? おい、おれたちを脅してここまで運転するよう命じたのは、きみだろ」
「そうですよ。ちょ、ちょっと、勘弁してくださいよ。まさか不法入国者のアジトなんていわないですよね」
「板野さん、どういうことなの?」
 あぁあ、もうッ。
 だから、わたしに尋ねられても、なにもわかんないんだって。
「もういいッ。わたし、ここで降りる」
「降りる? 降りるって——ま、待ってよ、板野さん」
 後部座席のドアを開けると、白石くんも同じように反対側のドアを開いた。
「な、なんなんだよ、一体。おい、待て、どういうことだ! どうしてここまで運転させたんだ!」
 丹田さんが声を荒げているけど、無視して、扉を勢いよく閉めた。
 右手にはスタンガンをもち、左手は鞄を握り締めている。一方で、白石くんは手ぶらで車を降りていた。手荷物があったのに載せたままじゃない。このまま丹田さんたちが車をだして、引き返したらどうするつもりだろう。
「待って。待ってって、板野さん。なんなの? このホテルになにがあるの?」
「行けばわかる」
「行けば?」
「行けば、わかるはずなの」
「目的があってここにきたんだよね?」
「行けばわかるっていわれたのよ!」
「え? 誰に?」
 もうッ——
「わかんないのよ、わたしも。わかんないからきたの。たしかめるためにきたのよ、嫌ならついてこなければいいじゃないッ」
 噴出した感情に呼応したかのように、強い風が吹いた。
 これから最も日射しが強くなる時間帯ながら、気温はさがり、雲行きは怪しくなっている。
「わ、わかった。わかったよ。けど——」白石くんは心配そうな目でホテルのほうを見つめて、足をとめた。
 緑で覆われた山の中に建つ近代的な建物は、不吉で巨大な墓石のように見える。
 敷地を取り囲む柵には有刺鉄線が何重にも巻かれていて、何者かがグールの侵入を防ぐべく敷地を要塞のように使用していたってことがわかるけど——正門は開かれたままになっている。
 正門の側にはワンボックスカーが駐車していて、奥にはクリーム色したプレハブ小屋が建っている。
 九州封鎖後に人の手が加えられた形跡は明らかだが、不思議と人の気配は感じられない。
 丹田さんがいっていたように、妙な感じだ。
「もしかして柏樹さんがいっていたホテルかな」
「柏樹? 柏樹さんがなに?」
「ほら、温泉があるっていってたホテル。ホテルの周りには……ちょ、ちょっと。待ってよ、板野さん。待って。ひとつ訊きたいんだ。あ、あの、あのさ、いまさらではあるけど、板野さんって、うちの店長と、どういう関係なの? ひょっとして板野さんは、僕とは異なる任務を命じられているんじゃないかって、そう思ってたんだ。ほら、荒木もコソコソなにかやってるしさ。板野さんもフィギュアの回収とは別にやるべきことがあって、だから、ここに——フォレストホテルに向かうよう、藤枝店長に命じられたんじゃないかって思ったんだけど、違う?」
「一度に沢山、訊きすぎ」
「ごめん。つまりさ、ぼくが訊きたいのは……あ、丹田さんたちも車を降りてきたよ。こっちにくるみたい——って、待って。待ってよ、板野さんッ」
 白石くんがあたふたしている間に正門到着。
 ワンボックスカーの中を覗くと、後部座席に大きな鞄が幾つも載っていた。
 旅行者がパーキングエリアに立ち寄って車を離れているって感じの印象を受ける。
 ドアに鍵はかけられていなかった。
「開けちゃうんだ?」
 白石くんの突っこみには応えず、後部座席側のドアを開けてシートの上に置かれた鞄のひとつを手に取ってみた。
 重い。
 片手ではもちあげられない。
 すごく高そうなブランドものの鞄だ。
 開けてみると男性ものと思われる衣類がギッシリ詰めこまれていた。
 財布? 財布がでてきた。中には沢山のカード類。現金も沢山。日本のものではない紙幣も多く含まれている。
 セレブな観光客が車で訪れたんだろうか。
 こんな場所に?
 九州の、山奥の、墓石のような廃墟ホテルに?
 ……ううん、まさか。
 まさかね。

 主は車内に財布を残して、どこへ行ってしまったんだろう。

「誰もいないのか? それとも外出中ってところか?」丹田さんに声をかけられた。いつの間にか丹田さんと日並沢さんが、ワンボックスカーのすぐ側まで近づいてきていた。「あぁ……警戒しなくてもいい。なにもしやしないよ」と丹田さん。表情は穏やか。だからわたしも肩に入っていた力を抜いた。「それにしても妙だな。日並沢がいったように、不法入国者がアジトとして使用しているんじゃないのか? 日並沢、小屋の中に誰か潜んでいないか見てきてくれ」
「は、はぁ」
 日並沢さんは不満げな顔でプレハブ小屋へと向けて歩いて行く。
 わたしは手にした財布と鞄、それにスタンガンをしっかり握って半歩ほど退いた。
「財布か。中身も随分入っているようだな。ところで――おれたちは引き返してもよかったんだが、きみらを残して帰るのはあんまりだと思うし、脅された理由がわからないままでいるのは、スッキリしなくてね」鬚を触りつつ、丹田さんは車の中を覗きこみながらいった。
「理由は明白じゃない」
「訊きかたが悪かったな。フォレストホテルになんの用があるのか、尋ねたかったのは、ここにきた目的だ」
 目的、か。
 別に隠すようなことではないし、スタンガンで脅したことをうしろめたく感じているので、話して聞かせることに躊躇(ためら)いはない。
「探しているの」
「探している? なにを?」
「人よ。人を探しているの。ここにいるって聞いたから、だから、どうしても」
「どうしても会いたい人がいて、おれらを脅したのか」
「脅したことは悪かったって思ってるけど」
「うわぁああああぁあぁァッ!」
 え?
「おい、な、なんだ?」
「た、丹田さ、丹田サあぁァ――」
「日並沢さん!」
 な、
 なに、
「どけッ、どけ、どうしてッ、おい! 離れろッ!」
「え、な、なんで。な」
「丹田さ――」
「ちくしょうッ、おい、貸せッ、渡せ!」
「板野さんッ」
「渡すんだよ、いいから渡せ!」
「板野さん、早くッ、早く渡してッ」
 なに?
 なんなの? なにを――
「スタンガンだッ、そいつを渡せっていってんだよ!」
 え?「――い、嫌ッ!」
「ちくしょうッ、おい、どけッ、放れろッ! 放しやがれ、ちくしょうッ」
「頭ッ、頭ですよッ、頭を狙って!」
「うるせぇ! わかって……日並沢から放れろッ」
「――よしッ! 板野さん、こっちに。手伝って。板野さん早くッ」
 ――は?
 え? え、え?
「早く! 早く引っ張って!」
 なんで? なんでわたし?
 なんでわたしよ。
「しっかりしろッ! 早く! 早くこっちに」
「や、やだ! 白石くん、なんで、なんで――」
「どけ、いいからどけ。離れてろッ。おい、おれがもつ。もつから引けッ、引っ張れッ、よし! おい、大丈夫か日並沢。日並沢ッ、しっかりしろッ」
「し、白石くん、あの、なに、なにが――」
「大丈夫。もう大丈夫。大丈夫だと思うけど。くそッ、血が。血がこんなに」
「こっちはいいから。中にいないか確認してくれ!」
「中? あ、はい! そうだ、そうだよッ。板野さん、危ないからさがって。ドアには近づかないで」
「え? う、うん――」

 ――なに?

 なんで?
 なんで襲われたの?
 どうして日並沢さんが、血まみれなの?
 どうしてグールがいるのよ。どうしてグールに襲われたのよ。なに? なんなのか、わかんない。なにが起こったのか全然わかんない。なんで。ねぇ、どうして。どうしてこんな――
「う、うわ。これって」
「大丈夫か?」
「これって――えぇ、大丈夫です。違います、グールじゃなくて。室内が、室内の様子っていうか、置かれいてるものが」
 ちょっと待って。
 なんなの、なんなのよ一体!
 わたしを置いて行かないで。勝手に話を進めないでッ。
「待って。待ってよ、ねぇ、大丈夫なの? もう、それ、襲ってきたりしないのッ?」
 地面の上に、グールがうつ伏せになって倒れている。
 たったいま、丹田さんがわたしから奪ったスタンガンで殴り倒したグールがうつ伏せて倒れている。
 気がついたらグールはわたしたちの目の前にいて、日並沢さんの首に噛みついていた。そしていま、日並沢さんは血まみれで真っ青な顔してゼェゼェ苦しそうに呼吸をしながら両目に大粒の涙をためて地面の上に仰向けになって倒れている。噛まれた。噛まれてしまった。感染しちゃった、日並沢さん――どうして? どうしてこんなことに? どこからグールが? ねぇ、どうしてこんなことに。誰か、ねぇ誰か。お願い。どうしてこんな――
「きみは離れてろッ。おい、日並沢、大丈夫だ。大丈夫だからな。小屋の中を見てきたら、すぐに戻るから押さえていろ。首をしっかり押さえていろよ、いいな? 大丈夫だ。大丈夫だからな! じっとしてろよ!」
 嘘。そんなの嘘。
 大丈夫なわけない。助かるわけない。日並沢さんは噛まれた。グールに噛まれた。出血だって、ものすごい量。助かるわけがない。大丈夫であるはずないじゃない。
「なァ、これをもっていてくれ。もしまたこいつが動きだしたら、頭か首めがけて使うんだ」
 え? なに?
 なんでわたしにスタンガンを渡すのよ?
 さっき奪ったじゃない、わたしから。わたしから奪って、グールに使ったじゃない。え、ちょっと待って。動きだしたらってなに? 首めがけてって、グールに? グールに使えっていうの? ま、また動きだすの? これ、また動きだすの? 待って。待ってよ。わたしも行く。わたしも入る。わたしも小屋の中に入る。待って、お願い。置いて行かないでッ。
「こ、これ……どういうことでしょう。ここって、なんですかね」
 白石くんの声。
「なんだこりゃぁ……」丹田さんも不安げな声をあげている。
 扉の向こう側で立ちどまっている丹田さんの、その、先に——

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