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「死んでも平凡な生き方をしたくない。死んでも普通の生き方をしたい。」

大学生のときに統合失調症を発症し、大学に9年在籍して、やっと2020年3月に卒業できるようになったためこれまでの人生を振り返りたいと思う。

僕のこれまでの人生を振り返ると一つの一貫性があると思う。それが

「死んでも平凡な生き方をしたくない。死んでも普通の生き方をしたい。」

という強い思いだ。

普通と平凡って同じじゃん、何言ってんの?
となるだろうが、もう少し話を聞いてほしい。

僕のいう普通の生き方というのは,和気あいあいとみんなと手を取り合い楽しく人生を生きる生き方を指す.
僕のいう平凡な生き方とは,常識や世間の目を気にして自分を押し殺しながら生きていく生き方を指す.

また,執行草舟さんという僕の好きな思想家が著書『生命の理念』の中で「普通に生きる」ということについて述べていた.

彼で言う普通の生き方とは、自分の人生を自分で決定し、自分独自の人生を歩んでいる人の生き方。自分にとって最高の人生を生きること。生命を喜ばす生き方。予測不可能な人生。それを普通のこととして生きる生き方を指す。
ここでいう普通とは自分に与えられた「生命」が目指しているもののこと。

彼のいう平凡な生き方とは、こういう仕事に就いて、こういう家に住んで、こういう家庭を持つなどと言うような、人の人生には正しい決まった生き方があると思いこんで生きる生き方を指す。人間の生き方に一般論があるという間違った思い込みの典型。予測可能な人生。生命を死滅させる生き方を指す。

以下,生命の理念から引用する.

自分に与えられた環境や財産、宿命などを基盤とする自分独自の生き方を普通の生き方という。人生の上で出会ったすべての条件や環境、人々と助け合い、友情を結び、恩や縁を大事にしながら生きていくのが「普通に生きる」という。そして誰にでもできる生き方であり、誰でも自分独自の自分だけの道が明確にある。生き甲斐、やり甲斐のある道であり、そういう道がすべての人に用意されている。
恩と縁は、人生という未知の航海における道しるべの星

執行さんの本は僕の思想を言葉にする手伝いをしてくれた.

僕の生まれた平凡な環境

少し僕の生まれた環境を振り返りたいと思う.
僕は比較的平凡な家庭に生まれた。

父親は土木業を営んでおり、そこそこ裕福な家庭だ。常識的で中学受験をしたいといえばさせてくれるし、留学に行きたいといえば費用を出してくれる、あと大学を9年間も在籍させてもらった。

ただ一つ大きな不満がある。普通に生きるために必要な生きることの熱を両親からもらえなかったことだ。特に父親から。

天空の城ラピュタの君をのせてというエンディングテーマに以下のような歌詞がある。

「父さんがくれた熱い想い
母さんがくれたあのまなざし」

という歌詞がある。ぼくには母の優しいまなざしはあったと思う.しかし父からの熱い想いがなかったのだと思う。

僕から見た父の生き方は,やりたくないことや仕事の苦しさに折り合いをつけながら生きるという道を選んだ平凡な生き方のように思う。

執行さん曰く、普通の生き方をするためには恩と縁を大切にして足元を固めて生きていけば、いつか必ず自分に与えられた道の上を歩くようになるらしい。

この言葉通りにかんがえるのなら、多分父は人生で誰かに大きな恩を感じる出来事がなかった、もしくは恩を感じてもそれを大事にしてこなかったのかもしれない。

常に安全で無難で常識的な道が正しい人生の道だと思っているような人というのが僕の父親への印象だ。

生きる熱をもらえなかった幼少期

これから僕の幼少期から現在に至るまでについて話すが、それは27歳の今から解釈を付けたもので、真実かどうかはわからない。

僕の幼少期は両親から生きる熱をもらえずに軽く人生に絶望していた。と今振り返って思う。

しかし、生きる熱以外のすべては用意してくれた。お金も平均的な家庭よりはあった。不自由もなかった。遊びにも連れてってくれた。お母さんの料理は美味しかった。身の回りの世話もよくしてくれた。

自分でも何に自分は絶望してこんなに人生が空虚なのかわからなかった。幸せを感じない自分は何かおかしいのかとも疑ったほどだ(笑)

極端な例を出そう。生まれて間もない赤ちゃんにまったく微笑みかけず人間らしい接触をしないで身の回りの世話だけしながら育てるとどうなるか?
そのような実験が800年前に実施された。
結果

「全員一年以内に死亡。」

僕がここから考察したことは、人は食べるだけでは生きていけないということだ。他者からの愛や感情という情報を五感で感じないと生きていけない。そう考察した。

僕の幼少期も生きる情熱という情報が欠落していたのだと思う。もちろんこの実験の赤ちゃんのように全くの愛情を与えられないという最悪の環境ではなかったが。生存のために生きるのではなく、何かこう輝きながら生きることがどうしても僕にはできなかった。人生を楽しもうとすると常に虚無感のようなものに思い当って,閉塞感があった.

そして、3歳から4歳の時、両親と揉めたことを覚えている。なんで揉めたか忘れたが、多分僕がわがままを言ったのだろう。しかし、そのことを叱る両親の一般常識を押し付ける対応(ゴメンナサイ、具体的には覚えてないです。)に軽蔑を覚えて玄関にて一人で人生について考えていた。

その時、僕は確かにこの家を出ていってやると心に誓ったのだった。僕の求めている本物の人間関係はここにない!そう確信した。なんなら今からでも出ていってやると思って家出をしようとしたが、怖くてできなかった。このことを今でも覚えている。

自分の父親が停滞した人生(と僕が勝手に思っているだけです)でなく、普通に自分独自の人生を歩み、生命を燃焼させている人だったら僕はどれだけたくさんのことを学べただろう。そんなしょうもない考えが昔はよく頭によぎった。

その幼少期に僕は両親や親戚にも本心を見せないように生きようとした。自分はこの家庭の雰囲気に飲み込まれないように、本心を封印しようとしたのかもしれない。両親が僕の本心を理解してくれないことから人とのコミュニケーションを一旦諦めようとしたのかもしれない。それでもいつか必ず封印を解いて本心をさらけ出せるようになってやるという決心を同時にしたことも覚えている。

この封印は僕に苦難な人生をもたらした。

本心を封印し,20数年かけて封印を解いていく人生

まずこの封印のせいで、うまく人間関係を、築けない。本心を伝えられないから、学校や習い事での人間関係が怖くなる。嫌なものを嫌と言えなかったり、友達に気軽に冗談を言えなかったり、嫌われたらどうしようという思考のループに陥ったりした。もしかしたら封印は関係なくて誰もが陥る悩みなのかもしれないけど。

そして、僕が特に絶望したのが誰とも本物の関係を築けないことだ。当たり前の話だ。こちらが心を開かずに真の人間関係なんて築けるわけがない。しかし当時はそんな道理も分からなかったし、本心を封印したことも忘れていたので、なんで自分はみんなみたいに誰かと仲良くできないのだろう?と心の奥底で悩んでいた。

そして以下のような人生を経ることになる.

1. 小学生の時にナルシズムに目覚める.多分,本心をさらけ出せず傷つきやすい自分を守るためだと思う.
2. 小学校の人間関係をリセットして生まれ変わるため,中学受験の勉強を頑張る.
3. 私立中学に入り,いじられキャラとしてキャラづくりをする.そして何人かからいじめられる.
4. 実家から離れたくて,一人暮らしのために地方の国立大学を志す.そして合格.
5. 大学生活でも,本当の人間関係を構築するために,サークル,アルバイトと一生懸命活動するが,人間関係のストレスに耐え切れず,統合失調症という精神病を患う.
6. 一年間ほど寝たきりの生活を送る.そして反省を踏まえて,少しずつ本心をさらけ出す練習をはじめる.しかし胸の中にはまだ空虚があった.
7. 何とか体が動くことになり大学に復帰する.勉強と筋トレにすべてのリソースを使い,人間関係についてはいったん諦めた.
8. 一年間その生活を送り,孤独に耐えられなくなる.誰でもいいから自分に向き合ってくれる人が欲しかった.
9. その時大学の担当教授が声をかけてくれて,自分の身の上話をする.その時に胸の中に熱いものが宿り,人間関係の心地よさを知る.
10. 自分は他人と良好な関係を結ぶ力があるのか?その確認のために試行錯誤を重ねる.
11. しかし,それまでの無理な生活でのストレスにより,廃人のようになる.精神病院に入院する.
12. そこで自殺未遂もするほどに自分を追い込んでしまったが,医師や看護師さんに自分の思いや悩みをぶつけていくうちに,自分は人と良好な関係を築けると自信を持てるようになる.
13. 4か月入院したのち退院する.そしてそのころには胸の中に空虚ではなく,温かい何かがあった.このとき24歳

普通に生きられなかったの人生の振り返りと,今後の普通に生きていく人生の展望

こんな人生を送ったため,僕は27歳の今,自分の人生に満足している.自分が本当に欲しかったものを手に入れることができたからだ.それは他人と関係を結べる力であり,自分の軸であり,自信であり,生きる熱であったりする.ぼくは普通に生きるための最低限の力を手に入れられたと思う.そしてこの力をつかってどうやって自分が目指す普通を生きようかと考えるとワクワクする.それは例えば,旅をしてみたり,シェアハウスに住んでみたり,猫を飼ってみたり,ギークな遊びに没頭したり,自己発信してみたりとかそういうものだ.

ちなみに家族と接するときは未だに苦手意識がある.とくに父親と話すときは,事務的な質問ばかりで尋問されているような気分になり,あまり積極的に話したくない.

しかしある意味,このような親のおかげで,自分の話をしっかりと聴いてくれる人のありがたさが身に染みてわかるので,よかったのかもしれない.

僕の好きな哲学者にキルケゴールという実存主義の祖がいるが,彼は父親からほぼ虐待に近いような厳しい教育を受けていたが,その苦悩の人生を経て,最後には父親とも和解したらしい.

僕はこのキルケゴールを見習いたいと思う.別に僕と父親との関係はこじれているわけではないが,やっぱり親孝行できるうちは親孝行しておきたいし,そうできる自分でありたい.世間が親孝行する人間は立派だなどというから孝行するのではなく,自分の意志で自分がしたいから孝行する人でありたい.

そのためにも,僕は自分独自の人生を歩みたいと思う.生まれたことをもっと感謝できるように.

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