見出し画像

Interview Becca Stevens & Nathan Schram:ベッカ・スティーヴンスの曲を弦楽四重奏にリアレンジすること

インディー・クラシック系レーベルのニュー・アムステルダムからリリースされているネイサン・シュラムティモ・アンドレスの作品にも起用されていたベッカ・スティーヴンスがクラシック音楽との相性がいいことは誰の目にも明らかだった。そもそもベッカは正確なピッチや豊か声量、圧倒的なテクニックのヴォーカリストだったわけで、だからこそ、ニュー・アムステルダムのリリースを追っていてもベッカの名を何度も見かけたわけだ。

そんなベッカが弦楽四重奏とのコラボでアルバム『BECCA STEVENS | ATTACCA QUARTET』をリリースした。歌と弦だけのアルバムで自身のオリジナル曲をセルフ・カヴァーするプロジェクトだ。

そこでタッグを組んだのが、アタッカ・カルテット

アタッカ・カルテットは若手の弦楽四重奏団で、2019年にNonesuch Records/New Amsterdam Recordsのダブルネームでリリースされた再注目の作曲家キャロライン・ショウとのコラボ『Caroline Shaw, Attacca Quartet:Orange』で2020年グラミー賞を受賞しているトップ・グループ。

その一方で『REAL LIFE』ではフライング・ロータスルイス・コールスクエア・プッシャーデイデラスアン・ミュラーミッドエアー・シーフらの楽曲を取り上げ、トキモンタスが参加し、プロデュースをニック・ハードマイケル・リーグが手掛けていたりと、かなり型破りなグループでもあった。

このアタッカとベッカのコラボがすさまじいクオリティで、何ならベッカ・スティーヴンスの最高傑作のひとつなのではないかという作品に仕上がっている。この詳細については以下のインタビューでたっぷり語ってもらっている。

ちなみにここではベッカ・スティーヴンスだけでなく、彼女の夫でアタッカ・カルテットのヴィオラ奏者ネイサン・シュラムが家にいたということで、一緒に質問に答えてくれた。ネイサンがベッカの魅力を愛情たっぷり語ってくれていて(すごく素敵な夫婦)、そのおかげでとても深い記事になった。ぜひ、じっくり読んでいただきたい。

※以下、ベッカの原曲と『BECCA STEVENS | ATTACCA QUARTET』に収録されたセルフ・カヴァーを聴き比べるためのプレイリストです。日本先行でCDのみリリースされるので、ストリーミングでリリースされたら、セルフカヴァーを加えます。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:COREPORT
取材日時:2021年1月21日 ZOOMにて

◉『BECCA STEVENS | ATTACCA QUARTET』のはじまり

――このプロジェクトがはじまったきっかけを聞かせてください。

ネイサン・シュラム(以下ネイサン):さかのぼると僕とベッカの出会いに繋がる。もちろん付き合う前、結婚する前のこと。7年前のサンディエゴで、僕が参加してた(アタッカとは別の)グループでベッカの曲をカヴァーする機会があった。その時にすごく楽しかった。その時、僕はすでにベッカのことが好きだったんだけど、ベッカはそうじゃなかったみたい(笑)そこから僕のことを好きになってもらえるまでにはもう少し時間がかかったけど、それはまた別の機会にね。でも、音楽的にはすごく相性が良かったんだ。その後も連絡を取り合っていたんだけど、みんな忙しくて、なかなか時間が合わなくて、実際に動き出したのは5年前。僕がアタッカに加入してからだね。その時には僕たちは付き合い始めていて、音楽作りも一緒にするようになっていた。サンディエゴにベッカのお兄さんが所有するノースキャロライナのスタジオがあって、そこはベッカが子供のころに過ごした場所でもある。そこでみんなで楽しくレコーディングして、録音自体はその頃に既にかなり終わっていた。でも、ミックスとエディットに関してはパンデミックになって、時間ができたことでようやく進んだって感じだね。

――レコーディングはどのくらい前からやってたんですか?

ベッカ・スティーヴンス(以下ベッカ): 6年くらい前にやった録音もあって、それはさっきネイサンが話した別のカルテットでやり始めたもの。それを2、3年前のクリスマスごろに再録音して、そこからエディットしたり、ヴォーカルも録りなおしたり、ヴォーカルのバックグラウンドを作ったり。そこから時間がかかったのは他のプロジェクトで忙しかったり、グラミー賞を取るのに忙しくなった人(=ネイサン)がいたり、みたいな理由ですね。

――ベッカもネイサンも、そしてアタッカ・カルテットのメンバーも自分たちだけでも素晴らしいアレンジができるのに、なぜいろんな人にアレンジを頼んだんですか?

ベッカ:そもそもこれはスティーブ・プロッツマンとの間で始まったプロジェクト。当初はスティーブンが全部やるって話だったんだけど、いつの間にかスティーブンが私の父と連絡を取っていて、彼が父にもアレンジを持ちかけたらしくて。父が「105」「No More」「45 Bucks」を手掛けることになった。だったら、曲によって異なる人に頼もうってことにプロジェクトが変っていった。

その時に”編曲者のストリングカルテット観の違いを浮き彫りにするようなアルバム”にしたら面白いかもってアイデアが浮かんで、ネイサンが3曲、私も初のストリング・カルテットのための編曲を1曲、父が3曲、兄が1曲、そして、私が参加していた『Work Song』で一緒に参加してたティモ・アンドレスにも1曲、あと、私のバンドメンバーのリアム・ロビンソンも1曲。ここでは普段バンドの世界でやっている私の音楽をストリング・カルテットの世界に移した時に、“この人はベッカ・スティーブンスの音楽をこうに見ています”ってことの差異が示されることが重要だった。

◉8人の多様な編曲者たち

◎編曲:リアム・ロビンソン(Liam Robinson)

――ここからは個々のアレンジャーについて聞かせてください。まずは「Be Still」を担当したリアム・ロビンソンから。彼は”ベッカ・スティーブンス・バンド”のメンバーです。

ベッカ:リアムはブロードウェイ・ミュージカル『ヘイディズタウン(HADESTOWN)』の音楽監督。このミュージカルはSSWのアナイス・ミッチェルの原作で、トニー賞を取ってることでも知られている。
ベッカ・スティーヴンス・バンドでは2005年にやった最初のライブの頃から私のバンドのキーボードを担当してくれている。だから、リアムは私のオリジナル曲を誰よりも理解していて、もしかしたら私以上に理解しているかもしれない人。演奏の部分において、ドラマーのジョーダン・パールソンとがっちり組んで、クリス・トルディーニのベースを聴きながら、アコーディオンを弾いたり、様々な演奏もするし、歌も歌う。だから、私のオリジナル曲をストリングスにしたらどうなるか、面白いヴィジョンを持っているはずだと思った。

そもそもリアムはマンハッタン・スクール・オブ・ミュージックでクラシック音楽のコンポジションを学んでいる。彼の作曲の特徴は好奇心と冒険心に溢れていて、楽器やアンサンブルの可能性をどんどん突き詰める人。その楽器に期待されるテクニックや役割を超えたユニークな絵柄を楽曲の中に描こうとする人ってことだと思う。

ネイサン:今のベッカの解説はすごく的確だと思う。リアムは通常ならBメジャーでやるべきところを半音下げて書いていて、そのためには僕らストリングスは開放弦を使ったりして様々な工夫を強いられた。しかも、ベッカが歌う箇所ではBメジャーに揃えなければならなかった。リアムは通常ならストリングスはこういうチューニングで行くべきって常識を全く考慮せずに自由に書くんだ。僕はそこが好きだし、すごく面白かったよ。

◎編曲:ビル・スティーヴンス(Bill Stevens)

――次はベッカのお兄さんのビル・スティーブンスです。彼はエンジニアと共同プロデュースも担当していますね。

ベッカ:兄はずっと私にとっての音楽におけるヒーロー。様々な音楽をマスターしているし、様々な楽器を弾く。それにバーモント・カレッジ・オブ・ファイン・アートノースキャロライナ・スクール・オブ・アートでクラシック音楽を学んでいて、兄は音楽に関してできないことはないと思う。だから真っ先に兄にも参加してもらおうと思った。兄はすごく豊かな色の音のパレットを持っている人。しかも、複雑な色合いをたくさん持っている。ここでは「Reminder」「We Knew Love」のアレンジを願いしたんだけど、「We Knew Love」に関しては深みがある曲だから、もっと考える余地があるって意味で彼に頼んだ。リズムやハーモニーが複雑な「Reminder」も兄にふさわしいと思った。

◎編曲:スティーヴン・プラッツマン(Steven Prutsman)

――次は最初に名前が出たスティーヴン・プラッツマン。彼はトム・ウェイツ(『Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards』)やクロノス・カルテット(『Floodplain』『Nuevo』『You've Stolen My Heart (Songs From R.D. Burman's Bollywood)』)、ヨーヨーマ(『Songs Of Joy & Peace』『In Goed Gezelschap』)とも仕事をしているすごく個性的な音楽家ですよね。

ネイサン:彼はユニークで優しい人。ジャズのキーボーディストでもあり、クラシックのピアニストでもある。セントローレンスカルテット(St Lawrence String Quartet)や完全即興のプロジェクトでも共演したことがあるんだけど、すごく面白い人だから、あなたもぜひチェックしてみて。

彼の特徴はクラシックとジャズを分けて考えていないこと。このプロジェクトでもベッカのオリジナル曲が持っているサウンドやフィーリングみたいなものを大事にしながら、同時に全く異なる状況に置き換えてしまうことができる。ベッカのオリジナル曲だけを並べて聴いていると一貫性を感じない人もいるかもしれないよね。でも、スティーブのアレンジを聴いてみるとベッカの曲にある一貫性を見出して、それを見事にアレンジに活かしている。彼は天才だよ。僕が最後に彼の演奏を観たのはNYでバッハのヴァイオリン・ソナタにフォーカスしたプログラムだったと思うんだけど、ヴァイオリンはPamela Frankが演奏していた。スティーブが手を付けたら、彼の美しい魂がそこに現れる。彼はそんな仕事をするんだ。

――確かにベッカはアルバムごとに全く違うことをやっているし、一貫性がないようにも見えますよね。僕だって毎回、また変わったなってちょっと戸惑ってますよ(笑)そのスティーブが炙り出したベッカの音楽の中にある一貫性ってどんなことだと思いますか?

ベッカ:自分ではリニアに流れていくメロディーだと思ってる。そこに対位法(カウンターポイント)が絡んできたり、そこでベースやアコーディオンの旋律が自由に動けたりするような余地を残してあるリニアに流れていくメロディー。スティーブは私のバンドがやっていたことをストリングスに置き換えていただけじゃなくて、バンドの音を聴いていてもなかな気付けないような部分をストリングスに置き換えて、そこを際立たせるようにやってくれているんじゃないかなと思う。

ネイサン:ベッカのアルバムはプロダクションのスタイルが個性的で、音作りに特徴があるんだ。でも、その陰には核となるコンポジションがしっかりしているという部分があるんだけど、アルバムを漠然と聴いていてもなかなか気づけないんだ。世の中には優れたシンガーソングライターがいて、その人たちがパフォーマーとしても優れているケースはたくさんあるけど、ここまで深くてユニークなものを作曲できる能力を兼ね備えている人はなかなかいないと思う。スティーブが着目したのはその部分じゃないかな。ベッカはアルバムでは彼女にしかわからない言語を話しているからね。その言葉を翻訳して、明確に伝わるようにしてくれたのがスティーブなんだよ。

ベッカ:スティーブとサンディエゴで一緒にやった時のライブのコンセプトがThe Mainly Mozartって言うタイトルだったんだけど…

ネイサン:あっっ!!そこは僕に喋らせて!!その時のコンセプトは“現代で天才モーツァルトに匹敵する才能と共演する”ってものだった。スティーブンはモーツァルトに匹敵するような天才ってことでベッカを選んだんだ。ベッカは自分では言わないと思うから僕が言っておかなきゃね!!

◎編曲:ウィリアムス・スティーブンス(William Stevens)

――そのコンセプトは面白い。そこが出発点でこのアルバムができたっていうのは納得できますね。では、次はお父様ウィリアムス・スティーブンスの話を聞かせてください。

ネイサン:ベッカがモーツァルトなら、彼はハイドンだね。すごくユーモアとウィットにとんだアレンジをする人で、例えるならトーン・ペインティングみたいな感じ。音で絵を描くような人だね。“Falling”って歌詞があったら、みんなで下がっていったり、“Ego Diving”って歌詞があったら一気に落ちていったりする。サウンド・エフェクトじゃなくて、そういった効果を丁寧なアレンジで作りこんでいくんだ。彼はシェーンベルクあたりで終わってしまったそれ以前のクラシック音楽の面白さみたいなものを継承していると思う。彼はフォーク・ミュージックが好きで、それを研究していて、歌うことも演奏することも好きな人なんだけど、クラシック音楽の世界にもずっとそのままいる。クールじゃないと思われていても、ある意味、頑固なまでにそういう(過去のスタイルのクラシック音楽的な)ものを作り続けてきた人がいたことをこのアレンジを通して知ることができて、僕はうれしかったんだ。

ベッカ:今回のアルバムのエグゼクティブ・プロデューサーって存在がいるとしたら父だと思う。ほんとに一生懸命にやってくれて、制作からリリースに至るまで気にかけてくれて、やっぱり自分のアレンジした作品が世に出るってことにとても真剣に考えていた。毎日スタジオに来て、iPadで譜面をチェックして、ちょっとでも私のメールの返信が遅れると「返事がないぞ」って連絡が来て(笑)そのくらい一生懸命だったから。

◎編曲:マイケル・イッポリート(Michael Ippolito)

――すごく美しいファミリー・アルバムでもあるんですね。いい話。では、次はアタッカ・カルテットと一緒にアルバムを作ってるマイケル・イッポリート。彼はどんな人ですか?

ネイサン:クラシックの伝統的な部分を踏まえた人だね。アタッカ・カルテット『Songlines』は全曲マイケルの曲で作ったもので、あれを聴くと彼の特徴がわかるはずだよ。クラシックのコンポーザーでいうとベラ・バルトークゾルターン・コダーイと比較できると思う。彼の音楽はカッティングエッジではあるんだけど、ディテールにもかなりこだわっている。余計なディテールじゃなくて、必要なディテールへのこだわりがすごいんだ。

だから、「Venus」は彼にぴったりな曲だね。「Venus」は風変わりなところもありつつ、メロディーにはフォーキーな感じもある。フォーキーな感じはベッカの特徴にも通じるアイリッシュなクオリティなので、そういった部分を的確に活かしてくれているよね。マイケルのアレンジは洗練されているんだけど、よく聴くとめちゃくちゃ細かく作りこまれているから、演奏する側からするとすごくやりがいがある。そのサウンドの深みみたいなものに注目してほしい。残念ながら有名な人ではないけど、だからこそ僕らは彼をここでプッシュしたいと思ったんだ。

◎編曲:ネイサン・シュラム(Nathan Schram)

――では、次はもう一人のファミリーのネイサン・シュラムの話を。

ベッカ:ネイサンは既に『Regina』でストリングスのアレンジを全部やってる。だから、今回はさらに踏み込んでアレンジしてもらってる。

レディオヘッド「2 + 2 = 5」のカヴァーは2014年にネイサンたちのグループがサンディエゴでやったパフォーマンスを聴いていて、そのアレンジが素晴らしく、息をのんだのを覚えていた。スリリングでエッジが立っていて、インディーロック・バージョンのストリングという感じで、ドラムもベースもいなくて、ストリングスだけなのに、生命を吹きこんだようなアレンジになっていて、鳥肌が立った。だから、今回のアルバムでもそれと同じような感覚を味わっている。

ネイトの特徴はストリングスで醸し出すテクスチャーがすごくユニークだし、リズムのアプローチもソニック(音響)の部分もすごく面白い。ネイサンはストリング・カルテットのような限られた楽器と編成の中でさえも必要なテクスチャーを描き出すことができる。最終的に、この世のものではないような別世界を思わせるようなものに仕上がる。

――レディオヘッドだけじゃなくて、リトルドラゴン「Klapp Klapp」のカヴァーをここでやっているけど、とてもストリング・カルテットとは思えないようなサウンドになってます。でも、それは僕みたいなインディーロックやエレクトロニック・ミュージックも普通に聴いてるリスナーにとってはすごく親しみやすいし、なによりかっこよくて驚きました。どんなことを考えてこのサウンドを作り上げていますか?

ネイサン:その言葉はすごくうれしい。僕はそういうことを目指していやっていたから。クラシックももちろん好きだけど、ずっと聴いてきたのはインディー・ロックだったり、エクスペリメンタル。世の中にはその二つの世界を繋げるようなものがないなって思っていた。だから自分でそういう場を作ろうって思ったんだ。それが伝わっていたならすごくうれしいね。

僕が意識してやっていることは自分が思うフィーリングを伝えること。レディオヘッドはライブも見たことがあって、大きなフェスの最前で見たこともある。音楽だけじゃなくて、場の雰囲気みたいなものも含めて特別な体験だった。クラシックの世界にはあまりない向こう見ずさ(レックレスネス)というか、なんでも受け入れてしまう大胆さみたいなものがレディオヘッドのライブから感じられたのが印象に残っているよ。だから僕もストリング・カルテットの音楽をやるときも“音楽は音楽だよね”(Music is Music)って思いながら、やっちゃいけないことなんてないよねって意識で、音楽に自分が感じたものを反映させようと思ってるよ。

※ネイサンのソロ作『Oak and the Ghost』はインディーロックからの影響を消化した室内楽だったり、ネイサンが以前在籍していたアラーム・ウィル・サウンドはエイフェックス・ツインを室内楽編成でカヴァーするアルバムを出していたりする

――ちなみにアコースティックの楽器であんな幅広いテクスチャーを出すためにどんなことをしているんですか?僕はネイサンはそこにこだわりがあるんだろうなと思って聴いてました。

ネイサン:一番得意な楽器はヴィオラなので、ヴィオラで様々な実験をやっている。リトルドラゴンのカヴァーでは弦を弓で叩いたりしているんだけど、僕はそういう奏法で5種類くらいのドラムサウンドをヴィオラで表現していて、スネアをブラシでこする音とか、ハイハットの音とかね、そういうのはヴィオラで表現できる。そこが得意なところ。

ベッカ:実はペダルとかエフェクトとか大好きだから、ネイサンの部屋にはいろいろあるんだけどね。

ネイサン:そうそう。今、新しいアルバムを作っていて、そこではかなりエレクトロニックな方法に向かっているんだよね。

◎編曲:ベッカ・スティーヴンス

――ベッカ自身が手掛けているアレンジもすごく面白かったんですけど、これについてはきっとネイサンが語りたいところですよね。

ネイサン:僕はアレンジに苦しむタイプだから、ベッカが最初に初稿って感じで持ってきたアレンジがあまりによくできてて、自然だし、完ぺきだったから、正直嫉妬したんだよ(笑)。ベッカにとってはストリング・アレンジなんて簡単なことなのかよって思ってね。実際には彼女なりに苦しんだと思うけど。彼女はLogicを使って、自分の声をどんどん入れて重ねながらアレンジを作っていた。つまり、最初は声で構築していって、それを譜面に起こして、調整をしながらアレンジを完成させていた。そのやり方を見て、弦楽器を実際に弾きこなしたり、それについて学んだりしていることとアレンジを書くってことは別なんだってことを僕も学んだよね。しかも、別だからこそ書けるアレンジがあるってこともね。

――今回は打楽器がいないって言うのは一つの特徴だと思います。ベッカのサウンドはリズム面の複雑さも大きな要素だから、打楽器は重要な要素かなと思っていました。その辺はどうでしたか?

ベッカ:ドラムじゃなくて、ストリングスってところでもちろん違ってはいたけど、何かが足りないって感じはなかったかな。どんな楽器でもそこにリズムがあれば私は乗っていけるから。勢いとか力強さに関しては叩いて音を鳴らす楽器とは違うし、トーンやボリュームに関しても違いはあるけど、私にとってはストリングスのリズムだけでも十分だったと思う。

◎編曲:ティモ・アンドレス(Timo Andres)

――では、最後にティモ・アンドレスです。

ベッカ:ティモとはカーネギーホールであったブラッド・メルドーのコミッションで行われたコンサートで知り合った。サックス7本、ピアノ2台、ヴォイスがひとり。私はヴォイスで、ピアノがメルドーとティモだった。ティモとはのちにニュー・アムステルダムからリリースされた『Work Song』という作品に収録される音楽をEcstatic Music Festivalで一緒にやったんだけど、そのリハーサルの時にティモとすごく仲良くなって、その後、私たちの結婚式にも来てくれるようなすごくいい友達。

彼は作曲のスタイルが独特で、ネイサンがテクスチャー重視で感性豊かでエモーショナルって感じだとしたら、父は古風で美しい感じ。一方、ティモはシステムにのっとったプラグマティックな作曲の方法論で美しい曲を書く。「Tillery」はもともとすごくエモーショナルな曲だから、そこにティモのカチッとしたシステマティックな味わいが加わって面白くなったと思う。

◉ベッカ・スティーヴンスの曲とアタッカ・カルテットの魅力

――ネイサンに聞きたいんですが、アタッカ・カルテットとして実際に演奏してみて改めて気付いたベッカの曲の魅力みたいなものがあったら教えてもらえますか?

ネイサン:一番思ったのはベッカが作った曲が想像以上にきちんと作りこまれていること。シンガー・ソング・ライターって認識でいた僕としては、そんなに複雑なことはやってなくて、割とシンプルに書かれたものって印象があった。でも、実際に演奏するためにしっかり眺めてみるとフォームがしっかりした曲を書いていることがわかった。結論として、ソングライターというよりはコンポーザーって呼ぶのがふさわしいって思った。ソングライターとコンポーザーを分ける必要はないかもしれないけど、そこは僕自身がコンポーザーっていう重たいものを背負っているような気持でいる人間だからかもしれない。以前はベッカ自身が「私はコンポーザー」って言ってきたら、「うんうん、ソングライターだよね」って返しちゃう感覚があったというか、僕の認識としては彼女は心で書くソングライターみたいなイメージだったんだけど、心で書いたようなニュアンス的な細かいところも実はすごく洗練された作曲になっているんだよね。

――逆にベッカはいろんな人に編曲してもらって、ストリング・カルテットって編成で演奏してもらってみて、どんなことを感じましたか?

ベッカ:すごく心地よい空間だったから、ストリング・カルテットでやってもバンドでやってもその心地よさが変わらないことが分かったと思う。私の曲は私の頭の中ではアレンジとしては聴いていなくて、楽曲として流れている。その曲の基にあるものが色んな所へ出かけて行っていて、ギターの弾き語り、バンド、1人、2人、4人、オーケストラやビッグバンド、どこでやっても私の曲をやっているって感覚は変わらなかったんだけど、それは今回も変わらなかった。ただ、アタッカ・カルテットとやった場合、特にライブでやると、すごく多幸感を感じる。それはストリングスって楽器が人間の声にとっても近いからだと思う。たとえば、弦が持っている響き、ビブラート、強弱の付け方とか。だから、私を含めた5人のシンガーで音を鳴らしている、もしくは私を含めた弦楽5重奏で音を鳴らしているような、そんな感覚があって、すごく馴染んでいると思いながら歌っていた。

◉ベッカが敬愛する詩人ジェーン・タイソン・クレメントのこと

――あと、ベッカは詩人のジェーン・タイソン・クレメントの詩に音楽をつけた曲をかなりやっていますよね。

ベッカ:全部で5曲かな。『Perfect Animal』の「Tillery」「105」、David Crosby『Here If You Listen』の「I Am No Artist」、『WONDERBLOOM』の「Response To Criticism」、『Becca Stevens & The Secret Trio』の「For You The Night Is Still」

――今回はその中から4曲を取り上げています。そこまで入れ込んでいるジェーン・タイソン・クレメントという人はどんな人なんですか?

ベッカ:父がクリスマスプレゼントとして彼女の詩集をくれたんだけど、その時は本人は亡くなっているし、あまり興味を持たなかった。でも、2011年か2012年ごろ、「Tillery」を書いているときに、なかなか歌詞が決まらなくて苦しんでいた。その時に“そういえば父がくれた本があったな”と思ってパラパラとめくってみたら、すごく触発されて、ジェーンの詩のおかげで「Tillery」が魔法のように生まれていった。

その後、この曲を発表して良いのかを問い合わせるために詩集の後ろに書いてある出版社の連絡先に連絡したらすごく喜んでくれて“ジェーンの詩を世の中に広めることができるのならどんどん使ってください”って言ってくれた。出版権の許諾に関しては苦労したことが何度もあるから、こんなに簡単にできちゃったんだと思ってびっくりしたくらい。それ以来、『Perfect Animal』の時の「105」みたいに彼女の詩でいくつもの曲を作っていくことになる。

ある時にロックウッド・ミュージックホールで私が演奏するときに、出版社の人たちを招待したことがあった。その時に出版社の人がジェーンのお孫さんを連れてきてくれたんだけど、彼女の服装が長いスカートにサンダルにソックスに頭にハンカチを巻いて、長袖のシャツで襟もきちんと閉めててみたいな感じだったから最初は“アーミッシュ?(※北米に住むドイツ系移民による宗教団体。近代的な電気機器を使用せず自給自足の生活を行う)”って思った。よくよく話を聞くと、クエーカー教徒(※キリスト教プロテスタントの一派。平和主義、男女・民族の平等意識、質素な生活などが特徴)的ないわゆる厳格なクリスチャンのコミュニティに育った人たちで、ミショナリー系というか“互助の精神に基づいていて大地を愛し”みたいなそういう感じで、とてもいい人たちで、実際に会ってみたらますます好きになってしまった。それ以降、出来るだけ彼女の詩を紹介したいって思えるようにもなって、最終的には彼女の詩を使った曲を5曲書いた。

私の歌詞のインスピレーションになってるジェーンの本『The Heart's Necessities: Life in Poetry』には前書きみたいなものを書いている。それぞれの詩に対して、私はこう思ったってコメントを提供した。100年前に生きていた女性と今の読者をブルックリンで生きる私が橋渡しをするみたいな意識で、今の人にも実感を持って読んでもらえるように書きました。

――少し調べたらジェーン・タイソン・クレメントブルーダーホフ(※アーミッシュと同じ流れをくむアナバプテスト=再洗礼派の宗教コミュニティ)のコミュニティで生活していた人で、その詩は“キリスト教に基づいた社会正義や平等”について書いてあるって情報もありました。どんなところに惹かれたんですか?

ベッカ:実はジェーンの息子さんにも会ったことがある。彼女は自分が詩人であるとは言わなかったから、教師として知られていたみたい。当時、7,8歳のころにジェーンの生徒で、今、50代、60代になっている人たちにも会わせてもらって話を聞かせてもらったんだけど、彼女はいろんなことを教えてくれたインパクトのある存在だったけど、あくまで教師って認識で、詩人ではなかった。だから彼女にとって詩は捌け口(アウトレット)みたいなものだったと思う。もしくは自分にとっての癒しだったりするのかも。そうやって書いたものを箱に入れて、ベットの下にしまっておいた、みたいな感じだったと思う。

あなたが言ってたブルーダーホフはノマド(遊牧民)的なコミュニティでもあったので、あちこちを移動する生活の中で彼女たちはそんなに多くの荷物は持てなかった。その中において、日記を常に持ち歩いていたことが彼女にとってそれがどれだけ大事だったかってことだと思う。極端な話、彼女の生活は“明日からオーストラリアね”みたいな感じだったみたい。

詩の内容に関しては自然とのかかわりに惹かれたと思う。その中でも自然とのスピリチュアルな関係性。実は私は同じようなところは日本人にも感じている。来日した時や日本の友人たちを見てても自然に対してすごく精神的なものを持っているなって感じるけど、アメリカではなかなかそういうものは感じられないから。彼女は神のこと、宗教的なことも書いてはいるんだけど、押しつけがましくなくて、普遍的な表現で書いているので宗教を超えて誰にでも感じられる部分があると思うし、誰かのことを阻害するようなものでもなくて、すごく正直。自分の信念に対する迷いや悩みみたいなものに対しても言及していて、そういう噓の無さみたいな部分も好き。彼女の詩はクリスチャンのポエトリーではなく、ヒューマンなポエトリーとして読めるところが素晴らしいと思う。

以下、前作のインタビューやプレイリストも併せてどうぞ

※記事が面白かったら投げ銭もしくはサポートをお願いします。
あなたのドネーションが次の記事を作る予算になります。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ここから先は

1,398字

¥ 150

面白かったら投げ銭をいただけるとうれしいです。