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interview Becca Stevens & The Secret Trio:トルコ、アルメニア、マケドニアの糸が織り成す微分音と対位法のタペストリー

ベッカ・スティーブンスという人はわかるようでわからない音楽家だ。歌はめっちゃ上手い。引くぐらい上手い。そして、めちゃくちゃいい曲を書く。現代のジャズのあれこれの旨味をさりげなくまぶしたようなアレンジも巧みで彼女が書いた曲だってことがなぜかわかるくらいには強力な個性がある。ベッカ・スティーブンスの音楽には彼女のシグニチャーがあらゆる部分に刻まれていて、それらが機能している。にもかかわらず、やっていることはアルバムごとにいちいち異なる。多くの人がベッカの音楽を最初に聴いた『Weightless』から、『Perfect Animal』『Regina』、そして、グラミー賞を受賞した『Wonderbloom』までどんどん音楽性を変えている。そんなベッカ・スティーブンスが興味深いプロジェクトでアルバムを制作して、また大胆な変化を見せてくれた。

アルメニア人ウード奏者のアラ・ディンクジアン(Ara Dinkjian)、マケドニア人のクラリネット奏者のイスマイル・ルマノフスキ(Ismail Lumanovski)、トルコ人のカーヌーン奏者タマル・ピナルバシ(Tamer Pina Pınarbaşı)の3人によるザ・シークレット・トリオとのコラボレーションだ。とはいえ、アルメニアとマケドニアとトルコと言われても…と思ってしまう人も少なくないだろう。

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とはいえ、ベッカ・スティーブンスに注目していた人の中には、これらの地域に関心を持っていたリスナーも多少はいたのではないだろうか。

アルメニアといえば、2010年代以降はティグラン・ハマシアンの活躍で一躍注目を集めた国だ。それ以外にもECMレコーズがアルメニアの作曲家コミタスの曲を幾度となく録音していたり、キース・ジャレットが心酔し楽曲を取り上げていた作曲家グルジェフなど、アルメニア出身の音楽家の名前を見る機会が時折あったからだ。そういえば、グレッチェン・パーラト『Flor』のチェロ奏者アルティョム・マヌキアンもアルメニア人だった。本作ではアルメニア人のアラがアラブ音楽の伝統楽器でアルメニアでも多用されるウードを演奏する。

トルコに関して言えば、ベッカに近いところでは本作にも参加しているマイケル・リーグの話をすれば早いだろうか。マイケルの2021年作『So Many Me』スナーキー・パピー『Immigrance』ボカンテ『What Heat』でのマイケルの音楽的な関心の中心はモロッコトルコだったからだ。『So Many Me』はトルコの楽器OudDafDavulなどはサウンドの核だった。シークレット・トリオに関してはトルコ出身のタマルはトルコでも使われるアラブ音楽の伝統楽器カーヌーンの演奏者。カーヌーンは弦の数が63~84本の琴のような楽器だ。この特殊過ぎる楽器の存在が本作のひとつの特徴にもなっている。

マケドニア(旧ユーゴスラビア)と言われても正直何のイメージもないとなりそうだが、ロマ音楽(昔はジプシー音楽と呼ばれていた)が有名だ。旧ユーゴのセルビア出身のエミール・クストリッツァ監督による映画『アンダーグラウンド』『黒猫・白猫』で聴かれた音楽はバルカン・ブラスとか呼ばれていたが、これらは正にロマの音楽だった。シークレット・トリオではマケドニア出身のイスマイルNew York Gypsy All Starsというロマ音楽バンドのリーダーを務めていて、タマルもメンバーのひとりだ。まさにマケドニア的な音楽のスペシャリストだったわけだ。ちなみにNew York Gypsy All Starsのメンバーはスナーキー・パピーとも交流があり、その周辺と繋がっている。(※彼らのアルバム『Doromomania』はハイブリッドで最高!)

そういった地域に由来する音楽を奏でている3人がベッカ・スティーブンス、そして、マイケル・リーグと組んで始めたプロジェクトがこのアルバムには収録されているということになる。

シークレット・トリオの音楽とベッカ&マイケルの相性が抜群なだけでなく、ベッカは彼らとのコラボレーションにあたって、アルメニアやトルコの詩人の詩を歌詞に使ったりと、普段の彼女ではやらないであろうチャレンジにも取り組んでいて、そういった化学反応がいくつもの特別な瞬間を生み出している。

このあまりにわからないことの多すぎるアルバムについて、ベッカ本人に話を聞いたのがこのインタビューだ。

(取材・執筆:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:COREPORT)


■シークレット・トリオの音楽について

――シークレット・トリオを発見したきっかけを教えてください。

きっかけは2019年、マイアミでのグラウンドアップ・フェスティバル。このフェスは本当に素晴らしいフェスティバルなのでぜひみんなに来てほしい。暖かい気候の中で、ずっと音楽が鳴ってて、最後のライブが終わるのが午前3時とか。そのレーベルのトップでブッキングもやっているスナーキー・パピーのマイケル・リーグに「絶対に見逃さないほうがいいのはドレ?」って聞いたら、「シークレット・トリオ」って答えてくれたんだけど、自分の出番が昼間で彼らの出番は夜中。これは絶対疲れてて観れないやって思ってたんだけど、頑張ってその時間まで起きてて、観に行ったら、涙ボロボロ出るくらい感動してしまった。

私の隣で見ていたボカンテのパーカッション奏者のジェイミー・ハダッドが私の肩を叩いて「君の次のバンドは彼らだよ」って。ジェミーがマイケルにその話をしたら、マイケルも「いいんじゃない?」って。それでマイケルがシークレット・トリオの3人に聞いたら、彼らは私の音楽が好きだったみたいで「ぜひ一緒にやりたい」って彼らも言ってくれて。だったらマイケルがプロデュースすればいいって話になって、その日のうちにスケジュールを決めました。

――シークレット・トリオを聴く以前に、アルメニアやトルコやマケドニアの音楽に親しんでいたことはありますか?

彼らがやっているような中東などの音楽ってことで言えば、ずっと興味はあったんだけど、経験も知識もなかった。今回、共演するにあたっては知らないことだらけだから、ただただ楽しく望むことができたんだと思う。

――彼らのどういうところに感動したのか言葉に出来ますか?

言葉にするにはすごく難しいんだけど、敢えて言うなら映画『ウエスト・サイド・ストーリー』でマリアとトニーが出会ったときにパット2人だけの視線が合って、周りの景色が消えてしまう、あんな感覚。周りが見えなくなって、夢の中にいるような感覚だったともいえるかも。

テクニック的な話で言えば、ピッチへのアプローチがすごかった。(ウードもカーヌーンも)マイクロトーン(微分音)が鳴っているので、その部分が私にものすごく刺さった。それにカウンターポイント(対位法)の部分に関しても、コードにもとづいてお互いの伴奏をするって考え方じゃなくて、それぞれの糸を使ってひとつのタペストリーを織り成していくような、そんな演奏だった。私が書きたいと思っている音楽もまさにそういうもので、バーティカル(垂直)ではなくて、リニアに音を並べていくってことをやりたいので、その構造の部分でも響くものがあった。

あとは彼らの演奏を見ていれば、3人がそれぞれの地域の音楽の歴史を深く理解しているし、3人での演奏を重ねてきてお互いを信頼して、リスペクトしているのが伝わってくるのも良かった。

――彼らはすごく美しい音楽を演奏するトリオなんだけど、ウードやカーヌーンのような馴染みがない楽器も演奏しているわけで、一緒にやろうってなった時にどんな曲を書けばいいかってことはすぐに浮かびましたか?

初期段階ではマイケルが、“未完成の曲の頭だけ”って感じの“曲の種”みたいなアイデアをたくさん送ってきてくれた。それはウードだけ8小節とかそんな感じのもの。マイケルはウードも弾く人なので、ウードのことがわかる彼なりに考えたものを送ってくれてたんだと思う。それが徐々に16小節、32小節って感じで、少しずつ長くなっていったりして。そのマイケルのアイデアの中から自分なりにいいなと思ったものをLogic ProGarageBandといったDAWに放り込んで、自分なりに歌メロを新しく作ったりしながら、レイヤーを増やしていった。

レコーディングに関しては、マイケルが住んでいるスペインに行って実際にみんなでやる予定だったんだけど、コロナ禍の状況で全員揃うのは難しかったので、その間には私は曲を書いたり、アレンジをしたりして、最終的にはNYで録音して完成させました。

――ウードはマイケルがボカンテやスナーキー・パピーでも演奏しているのでわかるんですけど、カーヌーン(Kanun)のパートに関してはどうしたんですか?カーヌーンって70本とか弦もあるし、微分音に関しても1/9が出るとか言われてるわけで、どう扱っていいかわかんない楽器だと思うんですが。

私よりも柳樂さんの方が詳しいかもってくらい私はカーヌーンのことはよく知らない(笑)。私にとってはカーヌーンというよりは、メンバーのタマルに負うところが大きくて、彼に対して書いたって感じ。彼は伝統的なカーヌーンの演奏をすることももちろんできるんだけど、あの楽器をまったく別の次元にもっていっているのがタマルだって、みんなが言ってた。トルコでタマルが演奏していと、それを見て現地の人たちが驚くみたい。詳しいことは彼らに聞かないとわからないから、今、メッセージを送ってみたから、返信が来たらそれを伝えたいんだけど、タマルみたいに両手を使ってあんな感じで演奏するのはカーヌーンにおいて普通じゃないみたい。両手で弦を弾きながらレバーも操ったりするのはもはやマッド・サイエンティストってこと。だから、普通のカーヌーンの演奏よりもはるかに複雑なことをやっているんだと思う。

さっきアラに説明してくれないかメッセージしたら、今、返信が来たから読みますね。「カーヌーンは普通、2本の指でリングとピックを使ってシロフォン奏者がマレットを使って弦を弾くような感じで演奏するんだけど、タマルはリングとピックを使わずに、爪を伸ばした10本の指全てを使って弾く。それはタマルが発明した弾き方でタマル独自のもので、それは革命だし、もはや啓示みたいなもの」とのことです。タマルの演奏を地元のカーヌーン奏者たちが見て、同じような奏法にチャレンジする、みたいな現象も起きてるらしいです。

――今回、書いた曲の中でアルメニアトルコマケドニアのトラディショナルな音楽に近い曲ってどれだと思いますか?

文句なしにこれだって言えるのは「Lullaby For The Sun」「Lucian」「Eleven Roses」。それらはシークレット・トリオの3人が作曲をしているので、彼らの音楽が由来する地域の音楽になっていると思う。ただ、このアルバムは誰が書いた曲でも、誰が演奏している曲でも、それを加工して、ブレンドして、マイケルや私のアクセントがそこに加わって、全体としてのアンサンブルが溶け合ったものになっているので、その溶け合ったサウンドは今まで聴いたことがないものになっているはず。

――ここからはいくつかの曲について具体的に話を聞きたいです。「Eleven Roses」はマケドニア人のイスマエルが書いた曲ですが、ここにはブルガリアン・ヴォイスみたいなコーラスが入っているのが印象的でした。これはどんな感じで出来た曲ですか?

これはアルバム用に最後に書いた曲のひとつ。2020年1月にNYでマイケルを除いた4人でレコーディングを始めて、9月に私がスペインに行って、ギターとか声とか、最終的な部分を録ってって流れだった。9月の時点でも作詞とか自分のパートの録音とかが終わってなかった曲がいくつかあって、この曲もその一つ。

このアルバムの曲は、伝統的なバンドの演奏があって、そこに歌詞が乗っているような歌の表現ではなくて、すべてに含まれるテクスチャーのひとつとして自分の声も存在したかったので、バンドの前に私が立つんじゃなくて何か工夫をしたいと思ってた。そんなときにBセクションのバーンと入ってくる歌を思いっきり声量をあげて、地声を張って、しかも叫ぶくらいの感じを20回くらい重ねて録ろうってアイデアを本能的に思いついてやってみた。その段階ではブルガリアン・ヴォイスってアイデアは自分の頭には無かったんだけど、マイケルに聴かせてみたら「これをさらにブルガリアン・ヴォイスに寄せてやってみたら更にいいんじゃないかな」って言ってくれて、それで出来上がったのがあのバージョン。

――これを聴いてから、ふと気づいて地図を確認してみたら、トルコとマケドニアってブルガリアと隣接してるんですよね。

ワオ、クレイジー!!全然気づかなかったけど、すごく興味深い話…

――同じバルカン文化圏なので、たぶんトルコやマケドニアの音楽とブルガリアの音楽は繋がりがあったはずなんですよ。それを偶然表現しちゃったっていうか。

実は私も20代の前半のころにブルガリアン・ヴォイスにハマってた時期があって、かなり聴いていたから、意識はしてなかったけど、もしかしたら頭のどこかにあって、それが出てきていたのかもしれない。

■アルメニアの詩人ナハペット・クチャック

――次は「Flow In My Tears」「Bring It Back」の2曲なんですけど、アルメニアの詩人ナハペット・クチャック(Nahapet Kuchak)の詩を使ってますよね。

彼はアルメニアの詩人で1592年に亡くなっている。いわゆる吟遊詩人で長いローブをまとっていて、愛の歌を弾き語りしていた感じのね。たしか、彼はウードで曲を書いてたはず。

歌詞を書いていく中で全ての歌詞を私や他のアメリカ人が書いたものでやってしまうことに腑に落ちないものがあった。せっかくマルチカルチャーのコラボレーションをやっているんだし、それは歌詞でも表現したいと思っていたから。そこでトルコやマケドニアの詩人で良い人いないかってのをアラやタマルに相談したときに名前が出たのが、ナハペット・クチャックだった。それで彼について色々調べて、色んな詩を読んでみたらすごく良かったので、その中でも特に気に入ったものをピックアップしたのがあの2曲。その後にもっとコンテンポラリーな人はいないかって調べてみたら、マケドニアの詩人ニコラ・マズロフ(Nikola Madzirov)を発見して、彼の詩を「The Eye」で使わせてもらった。

――ナハペットの詩は16世紀のすごく古いものなわけですが、どんなところに惹かれたんですか?いくつか読んでみたら形式がリズミカルで音楽的だなとは思いましたが。

彼は歌うことを前提に詩を書いていた吟遊詩人だったので、言い換えるならばソングライターってこと。だから彼の作品は自然と歌いやすいものになっていると思う。内容としては“心のサブジェクト”という感じ。私は心模様について書かれたものに惹かれる傾向があるから、彼の詩にある“ソングス・オブ・ザ・ハート”みたいな部分が気に入った。私はすごく感動していたり、突き動かされていたりする歌詞に惹かれるんだけど、彼の詩はまさにそういうタイプの詩だった。あとは、詩の長さが曲にすごくハマりやすかったのも良かったと思う。「Flow In My Tears」に関してはナハペットの詩のおかげで、中世の情景が頭の中に浮かんできて、そんな世界を感じながら歌うことができたのを覚えている。

――アルメニア人のナハペットの詩の形式って、シークレット・トリオのために書いた曲と相性が良かったりしたんでしょうか?

「Flow In My Tears」に関しては、マイケルがウードでフロウするようなアルペジオを弾いたのをリピートで聞きながら、私はどんなことを歌いたいかなって考えながら、「Flow In My Tears」の詩を読んでみたら、メロディーがパパっと浮かんできた。何かが開けたって感じで。彼の詩はメロディーにそのまま乗っかっちゃうから、言葉とメロディーが私の口をついて普通に出てきて、そのままウードに乗っかった感覚があった。マイケルが作ってくれたウードのフレーズに何かをつけ足したり、コピー&ペーストするとか、そういうのも一切なく、自然に歌詞が乗っかってしまったので、そういう意味でもすごく相性が良くて、馴染みが良かったと思う。

「Bring It Back」に関しては私の方で少しいじってる。翻訳ってプロセスも経てるから、コーラスのところがどうしたらもっとハマるかってところで少し変えたりした。でも、基本的にはわりとそのまま。だからどっちもすごく自然に乗ってくれる形式の詩だった。

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