![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/117288977/rectangle_large_type_2_3e4372d6b2f184c1bd607ea28530878a.jpeg?width=800)
interview Lourenco Rebetez:レチエレスの音楽ではオーケストラの中でリズムが爆発するように多くの音と交わる
僕がブラジルの音楽の中でもアフロブラジレイロの音楽へ関心を強く持ったきっかけは、2016年にロウレンソ・ヘベッチスという作曲家でギタリストが発表したアルバム『O Corpo de Dentro』だった。
ギタリストとしてはカート・ローゼンウィンケル以降の現代ジャズのスタイルもあれば、アイザイア・シャーキー的なネオソウルのギターも聴こえていた。つまり、2010年代におけるギタリストの必修科目と言えるスタイルを兼ね備えていると感じられた。また作曲の面ではギター・カルテットを核にした大きめのコンボ編成で興味深いアンサンブルを作り出していた。オーセンティックなジャズ・アンサンブルというよりはサド・ジョーンズやボブ・ブルックマイヤー以降の、つまりマリア・シュナイダーを好む耳にも面白く聴けるサウンドだと思った。
ただ、その二つは現代ジャズ的な文脈に過ぎない。もうひとつのアフロブラジレイロ由来の音楽性が最も重要な要素だった。リオやサンパウロのボサノヴァでもサンバでもなく、ブラジル北東部に根付いているアフロブラジレイロのリズムを取り入れたサウンドは、ブラジル音楽を普通に聴いていてもなかなか出会えないものだった。
その後、ロウレンソ・ヘベッチスはシェニア・フランサのデビュー作『Xenia』(2017)をプロデュースし、そこでもネオソウルやジャズの要素に、アフロブラジレイロの音楽を融合させ、斬新すぎるサウンドを提示していた。
僕はロウレンソ・ヘベッチスやシェニア・フランサの音楽を聴いてから、そのルーツでもあるカエターノ・ヴェローソやカルリーニョス・ブラウン、レチエレス・レイチ、さらに遡ってモアシール・サントスまで、アフロブラジレイロの音楽へ関心を深めていった。おそらく日本でここ数年の間にアフロブラジレイロの音楽への関心を深めた人の中には、僕と同じようにロウレンソとシェニアがきっかけだった人も少なくないだろう。
アマーロ・フレイタスへの取材をきっかけにアフロブラジレイロの音楽へのリサーチを続ける中で、ロウレンソ・ヘベッチスには話を聞いておくべきだろうと思い、インタビューを行った。レチエレス・レイチから直接アフロブラジレイロの音楽を解釈する方法を学んだロウレンソの話には、レチエレスの音楽を深く理解するための貴重な話が詰まっている。
取材・執筆:柳樂光隆 | 編集:江利川侑介 | 通訳・編集:島田愛加
◉アフロブラジレイロの音楽との出会い
――カンドンブレに由来するアフロブラジレイロの音楽に関心を持ったきっかけを教えてください。
私の幼少期から青年期にかけての環境が関係していると思います。バイーアのストリートから聴こえてくる音や空気から感じたものです。私はサンパウロ出身ですが、家族はバイーアにルーツがあり、幼い頃からバイーアで過ごす時間がありました。こういった家庭環境もありますが、ちょうど今、柳樂さんの部屋に飾ってあるモアシール・サントスのLP『Coisas』(1965)が、アフロブラジレイロを意識して聴いた最初の音楽です。その後に、レチエレス・レイチやルイス・ブラジルを聴きインスピレーションを受け、カンドンブレのリズムをどのように自分の作品に活かせるかと考え始めました。
モアシールのアルバムは友人の自宅で初めて聴いたのですが、その時の部屋の様子や誰がその場にいたのかまでを今でも鮮明に覚えています。これまで、どこかで1,000回以上聴いたことがあるような音がレコードとして実際に存在していることにびっくりしたのです。それがこのアルバムがもたらす魔法でしょう。
◉レチエレス・レイチの音楽について
――レチエレス・レイチとの出会いに関してはどうですか?
2009年のある日、サンパウロで開催されたオルケストラ・フンピレズのショーに行く機会がありました。彼らがまだアルバムをリリースする前です。ショーはレコ発になる予定でしたが、アルバムは未完成でした。私は彼らに魅了され、終演後にレチエレスに挨拶をしに行きました。その時にレチエレスが私にくれた名刺は今でも大切に保管してあります。
その後、私は夏の休暇を過ごすためにサルヴァドールへ行くようになります。その頃からレチエレスと連絡を取るようになりました。私の作品を聴いてもらい、レチエレスも私を気に入ってくれたので意見交換をしているうちに、彼の音楽をもっと理解したいと思い始めたからです。レチエレスにそう伝えると「これまで私を訪ねてきた人はいなかったから、どこから教えたら良いのかわからない」と言いました。それまで彼はサックスを教えてはいても、作曲を教えたことはなかったそうです。それでも快諾してくれて、彼は居間へ何かを取りに行きました。戻ってきた時、手に持っていたのはモアシール・サントスの本だったのです。こうして私は、まずモアシールの曲を分析するところからすべてを始めました。
――レチエレス・レイチの音楽のどんなところに惹かれたのでしょうか?
カンドンブレや他のバイーアのリズムにつながる表現でしょうね。非常に重要なことですが、バイーアにはカンドンブレの儀式に基づく音楽以外のリズムもあります。例えばバイーアのストリートで演奏される音楽などです。レチエレスはそういった音楽も参考にしていました。
これらの音楽のパーカッションにインスピレーションを受け、オーケストラにアレンジする手法は彼のオリジナルです。オーケストラの中でリズムが爆発するように多くの音と交わります。この美しさがリズムの可能性を広げ、前例のない特徴をもたらしているのです。私にとってはカポエイラをしながらストラヴィンスキーを聴いているような感覚でした。
また、フンピレズのショーで演奏者がそれぞれ自分の感じ方で体を自由に揺らし踊っていた不明瞭な部分も私にとっては新しいことでした。こうして私は彼の音楽に惹かれていったのです。
――レチエレス・レイチのアンサンブルにおけるハーモニー面はどうですか?
私が興味をもったのは、レチエレスが横を意識してハーモニーを作り上げる所です。各セクションを書くときに非常に明確なオーケストレーションの手法を持っています。チューバ、バス・トロンボーン、バリトン・サックスの低音グルーヴがあり、サックス・セクションの中にはそれぞれ別の役割があるんです。その他、トランペット、トロンボーン、パーカッションのセクションがありますが、彼らも同じく、一人ひとりがリズムとハーモニーの両方を構成する役割を持っています。そこから生まれる調和が、面白く特徴的なんです。例えば一般的にピアニストなどが書くような「和声進行を元にハーモニーを縦に積み上げていく方法」とは全く違う、レチエレス独特の手法だと思います。
――例えばビッグバンドやラージアンサンブルでも管楽器がセクションごとに固まって動くのではなく、それぞれが異なる役割をもって動くような曲の書き方がありますね。マリア・シュナイダーやサド・ジョーンズがそうだと思います。レチエレスはそういった作曲家とはまた別の手法なのでしょうか?彼と同じような作曲法をする音楽家を知っていますか?
おそらくいるでしょう。ただ、レチエレスはクラーヴェを管楽器に置き換えることを非常に忠実に規則正しく考える人でした。彼が最初に考えていたのはリズムです。アタバキなどのパーカッションのリズムを管楽器に散りばめるような感じと言えると思います。彼はその部分にこだわっていました。低音のメロディラインはアタバキの最も低い楽器であるフン(Run)から派生しています。これは彼独自のもので、他にこのようなアイデアを使った作曲家は思い浮かびません。このバイーアのリズムやクラーヴェを元に作曲する方法は彼がやっていた研究の成果であったと言えるでしょう。
もちろん、どの音楽でもリズムは重要な役割を果たしています。ストラヴィンスキーの「春の祭典」以降は特にそうですよね。ジャズもそうですがリズムに関して非常に厳格であると感じます。例えば、作曲の手法の部分で言えば、レチエレスは先ほど話に出てきたマリア・シュナイダーとは少し違うように私は思います。マリア・シュナイダーの作品は徐々にエネルギーが積み重なっていくような物語性や雰囲気、感覚的な魅力を感じますが、レチエレスはとにかくリズムの規則に沿って作るのです。
◉ロウレンソ・ヘベッチスの音楽とアフロブラジレイロの要素
――作曲家としてのあなたがフン、ピ、レの3つのパーカッションや、それらを使ったリズムにどんな可能性を感じていたのか聞かせてください。
レチエレスが教えてくれたことを活かせるように試みました。しかし、私の場合、自分の音楽にこれらのオリジナルのリズムを忠実に取り入れることは合っていませんでした。そのため私は別の方法を取ることにしたんです。多くの場合、このリズムのクラーヴェをベースに作曲しましたが、その後に新たなパーカッションの楽譜を書きました。カンドンブレのテヘイロ(カンドンブレの儀式を行う場所)で演奏される方法も使いましたが、私の楽曲では多くの場合、パーカッションは儀式で使われる奏法とは違った演奏をしています。つまり、レチエレスはカンドンブレとの結びつきが強いですが、私はもう少し自由な表現を探していた、ということです。
――あなたのアルバム『O Corpo de Dentro』ではレチエレスのフンピレズに比べると管楽器もパーカッションも人数が少ない編成です。管楽器に関してはジャズのビッグバンドよりも少ないです。この編成にどんな意図があったのか聞かせてください。
私はフットワークの軽いバンドを目指していました。演奏や移動のため以上に、音楽的な意味で。ビッグバンドは巨大な船のようですからね(笑)
私が6本の管楽器を使ったのは、ドュオ(2声)にも出来ますし、様々な音色を組み合わせた豊かさも表現できます。同時に、ジャズトリオの存在も欠かせませんでした。ヴィトル・カブラル(ds)、ブルーノ・ミゴット(b)、エンヒッキ・ゴミジ(pf)、そしてギターの私がまるで自由に奏でるグループのようにしたかったのです。もしビッグバンドのリズムセクションであれば、ドラマーはアクセントを強調し、はっきりした演奏をしなければなりませんが、私が目指していたのはそれよりもライトなリズムセクションだったのです。彼らが自由に好きなだけ演奏できるように考えていました。
◉ロウレンソ・ヘベッチスの影響源
――『O Corpo de Dentro』のアフロブラジレイロの音楽とコンテンポラリーなジャズ、ネオソウル、ヒップホップのコンビネーションは独創的なものです。こういったハイブリッドなサウンドのインスピレーションになった作品やアーティストはいますか?
はい。ただし、特定のアーティストやアルバムを合わせて作り出すようなことはありません。これまで私が聴いた音楽から自然に生まれたものでしょう。沢山のブラジル音楽、ヒップホップや自分の世代の音楽を聴くことによって出来た経験です。
――今おいくつですか?
1986年生まれ、今37歳です。国内のヒップホップならハシオナイスやサボタージなども聴きましたが、2000年代にディアンジェロらが現れた頃も興味深いと感じます。
そしてカルリーニョス・ブラウンのファースト・アルバム『Alfagamabetizado』(1996)やカエターノ・ヴェローゾの『Livro』(1997)、シコ・サイエンスのバンドであるナサォン・ズンビは青年期の私にとって特に重要でした。
オロドゥンがマイケル・ジャクソンとコラボレーションしたり、ブラジル音楽がとても豊かで、重要な時期だったと思います。
――その世代でバークリー音楽院に留学されていたのなら、ロバート・グラスパーやクリスチャン・スコットなども好きでしたか?
はい、もちろんです。共演ではありませんが、2~3年前に行われたサンパウロのフェスティバルでクリスチャン・スコットと同じ舞台に出演しましたよ。彼とは音楽など様々なことを話しました。特にブラジル音楽が混ざり合って出来ていることに、彼はとても興味を持っていました。他にもあの頃のバークリーではロイ・ハーグローヴやカート・ローゼンウィンケルなどがよく聴かれていましたよね。
――今も名前が出ましたが、ラージアンサンブルとパーカッションの組み合わせと言えば、カエターノ・ヴェローソの『Livro』は重要な作品です。ここではカルリーニョス・ブラウンやジャキス・モレレンバウムらも素晴らしい仕事をしています。このアルバムの素晴らしさについて聞かせてもらえますか?
『Livro』は私にとって非常に重要なアルバムでした。カエターノはこのアルバムでギル・エヴァンスとマイルス・デイビスの(コラボ)アルバムと、バイーアのパーカッションの融合を表現したかったのでしょう。これは私が研究しているものに近いものですね。特にパーカッションのアレンジは想像力にあふれています。
先ほど名前をあげたルイス・ブラジルの作品も重要です。ルイス・ブラジルのアレンジは特殊で、彼はジョアン・ジルベルトのアルバム『João Gilberto』(1973)に収録されている「Na Baixo do Sapateiro」のギターに乗せて書いたものは特に素晴らしいですよ。アーティキュレーションやアクセント、息継ぎまで忠実にジョアンのギターを再現しています。
カルリーニョス・ブラウンも偉大なアレンジャーです。『Alfagamabetizado』は私にとって聖書のようなものです。彼がマリーザ・モンチとともにリリースしたアルナルド・アントゥネスの『Paradeiro』(2001)や、アート・リンゼイがプロデュースしたマリーザ(・モンチ)のソロ作品は、パーカッションにおける創造性や構想が非常に豊かです。これらの作品においてパーカッションは、奥に隠れてリズムを埋めるだけの役割ではなく、音楽の中心人物なんです。パーカッションのセクションを管楽器のセクションと同じように考えている、ということです。そして、私の音楽もそれと同じように作られています。これは『Livro』を聴いて学んだことです。
◉シェニア・フランサ『Xenia』のこと
ーー次はシェニア・フランサの1作目『Xenia』について、です。ピポ・ペゴラーロと共にプロデューサー、コンポーザー、アレンジャーとして、どんなことをやったのでしょうか?
プロセスは非常に興味深く、最高でした。まず私たちは何度も一緒にワインを飲みながら、様々なことを話しました。シェニアは既にアラーフィアで歌っていましたが、彼女のアイデンティティを表現するためにソロのアルバムを制作する必要があったのです。私はピポと知り合いでしたが一緒に音楽を作ったことはありませんでした。そこでシェニアが私たちを引き合わせたのです。決まりもプレッシャーもない中、互いに参考曲を聴かせ合い、3人一緒に模索しはじめました。作品の出来よりも、自分たちがやりたいことを優先しました。
そもそも私たちにはレパートリーとなる曲がなかったので、メロディができたら彼女に合うキーを決め、ビートを決めました。このように最後まで3人の手作業により非常に有機的な方法で曲が完成しているんです。
――アフロブラジレイロ由来のパーカッションやリズムも入っていますが、エレクトロニックなサウンドもかなり含まれています。どのようにこんなサウンドを生み出したのか聞かせてください。
うーん、、それはわからない(笑) ただし何度も一緒に演奏し、曲が何を求めているのかを理解するようにしました。例えば、アルバムでカヴァーしているシコ・セーザルの「Respeitem Meus Cabelos, Brancos」はこれまで何人ものアーティストがレゲエ調で録音していますが、クリック(メトロノーム)に合わせて歌うシェニアの声を聴ききながら、この曲は何が言いたいのか、どんなアレンジするべきか考え、それを決まるまでに時間がかかりました。ある日、私とピポがそれぞれ片手でピアノを弾きながら模索していたところ、面白いフレーズが生まれたので暫くそれで遊んでいました。私たちはまるで鍵をみつけたように、曲に取り入れることにしたのです。このように、何度も試し、録音し、聴き、時にはフレーズの位置を変えることによって生まれていったものです。3人一緒に「これだ!」と納得するまで何度も探し続けました。
――集まり始めた頃、参考になる曲を互いに聴かせ合ったのことですが、例えばどんなアルバムを聴いていたのですか?
当時のプレイリストが残っているので、見てみましょうか。あの時よく聴いていたのはファティマの『Still Dreaming』(2016)です。あとケンドリック・ラマーも聴きました。ですがこれは沢山ある中の一部です。シェニアはアリス・コルトレーンも好きでしたね。ただし、これらを元に作ったという意識はありません。あくまでも参考として聴きましたが、制作はもっと自由な雰囲気で行われました。もう1つお話すると、シェニアはマイケル・ジャクソンの大ファンなんですよ。彼女はマイケルのB面楽曲のエンディングのアレンジまでしっかり覚えているほどなんです。
◉シェニア・フランサ『Em Nome da Estrela』のこと
――2作目の『Em Nome da Estrela』(2022)についても、ピポ・ペゴラーロと共にプロデューサー、コンポーザー、アレンジャーとして、どんなことを行ったのか聞かせてください。
私たちは1枚目のアルバムの出来に満足し、シェニアは沢山のショーを行いました。彼女は2枚目のアルバムの制作を考えたときに、この3人で作り上げた音楽的表現を続けることにしたのです。私たちは再会し、参考になる音源を聴き始めました。
同じ頃、シェニアにノヴォス・バイアーノスのコンピレーション・アルバム『Replay – Acabou Chorare』(2020)に参加するよう誘いがあり、面白そうだと思い受けました。依頼された「Menina Dança」のオリジナルはシェニアが歌う楽曲とは違う雰囲気があります。あまり時間がなかったので、私たちは同じプロセスでスタジオにこもり、私たちらしいアレンジが出来るように試行錯誤をしました。ミキシングをし、ほぼ完成となる頃、3月の半ばにブラジルにも緊急事態宣言が出されました。当時、どれぐらいパンデミックが続くのか、誰もわかりませんでした。私たちは制作を止めたくなかったのでzoomを使ってミーティングを続けました。こういった背景もあり、1枚目のアルバムとは違い、別々にレコーディングを行うプロセスが増えました。ブラジルの状況は悪く、良くなり始めてもスタジオにミュージシャンたちを集めてセッションをするような雰囲気ではありませんでした。
また1枚目のアルバムは自分たちの音楽歴が詰まっています。それぞれが生まれてから聴いてきた全ての音楽が参考となり生まれたものでした。2枚目はどうしたかと言うと、1枚目で私たちはオリジナリティあるサウンドが作れましたので、それが土台となりました。
――2枚目のアルバム制作の際にインスピレーションになったものはありますか?
私たちは制作の初期段階で何枚かのアルバムを一緒に聴きました。例えばフライング・ロータスやジョティ(ジョージア・アン・マルドロウ)の『Mama, You Can Bet!』(2020)など。ですが、制作が軌道に乗ってきた頃にはこれらの楽曲を聴き返すことはなくなります。参考として楽曲を一緒に聴いたり共有したりすることは、それらに執着し土台とするのではなく、あくまでも私たちが意見交換するためのきっかけとなっています。自分たちの方向性を重視しているので。
――プロダクション、ミックスにおいてはどんなことをやったのでしょうか?
私はアルバムにおいて「音」は非常に重要なものと常に考えています。コンセプトを正確に表現できるような音作りにこだわっています。
レコーディング・エンジニアなどの技術者を私はアーティストと考えます。技術者とアーティストは共存関係にあり、技術者の目線は、アーティストと同じでなければなりません。アルバムの結果を左右することになります。今、録音方法はいくらでもありますが、自分が求めている方法をみつけなければなりません。これは私がアルバムを制作する際に気を付けていることです。
本作のミックスは1枚目のアルバムの大部分を担当したラッセル・エレヴァードにお願いしました。彼が担当したディアンジェロやRHファクター、エリカ・バドゥの作品に魅了され、私たちは彼の手掛けるサウンドが必要だったのです。お会いしたことはありませんでしたが、1枚目のアルバム制作の際、依頼をしてみました。私たちの音源を送ったところ、とても気に入ってくれて、ミックスを担当してもらうことになりました。彼はサウンドを奏でるメンバーです。
――今後の活動について教えてもらえますか?
『O Corpo de Dentro』をリリースした後、シェニアのアルバムに携わり、音楽プロデューサーとしての活動が増えました。また、私が好きなことの1つであるコラボレーションも行ってきました。
そして今、自分の新しい作品を作りたいと考えています。私は明確な意図があってこそ、制作に意味があると考えるタイプなので、この期間は何を作りたいか自問自答してきました。それを充分に理解するまでに時間がかかりましたが、やっとプロジェクトが鮮明になってきて、レチエレスが教えてくれたクラーヴェへの考え方を別の方法で解釈したいと考えています。前作の続きのようでもありますが、また別の新しいもので、1枚目のアルバムよりも多様になると思いますね。そして、シェニアのアルバム制作のプロセスや、アフロブラジレイロのリズムとの更なる接近が新たなアイディアとなり、次回の録音やプロデュースに影響すると思います。『O Corpo de Dentro』は作り手の立場でしたが、2枚目はプロデューサーとしての目線も兼ねて、両方の視点から作品を制作できると思います。皆さんに披露できる日が楽しみです。
![](https://assets.st-note.com/img/1697308353183-cbuIt5L433.jpg?width=800)
ここから先は
面白かったら投げ銭をいただけるとうれしいです。