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Interview Orkestra Rumpilezz:about "Moacir de Todos os Santos" & Letieres Leite - レチエレス・レイチによるアフロブラジル音楽の革新

イギリスのシャバカ・ハッチングスやアメリカのクリスチャン・スコットといったジャズ・ミュージシャンたちが“ディアスポラ”について話をしていたことがある。

“ディアスポラとは「移民」「植民」を意味する思想用語。かつては主にユダヤ人・ギリシャ人・アルメニア人の歴史的離散に限定して使用されていたが、現在ではより広義に移民コミュニティ一般を指し示すようになった。現在、民族としての出身国や地域を離れて生活を送る集団であれば、ディアスポラと呼ばれることが多い。

※artscape Japanより引用

 奴隷として連れてこられたアフリカ人の末裔であり、現在のイギリスやアメリカを生きるシャバカやクリスチャンは、ロンドンもしくはニューオーリンズからカリブ海を経て西アフリカへと、自らの祖先に思いを馳せるようにルーツを遡るような音楽を構想し、演奏する。ゴスペルやセカンドライン、カリプソやレゲエ、アフロビート、サンテリアやブードゥーのエッセンスを現代に響かせる。だからこそ自らの音楽を”アフリカン・ディアスポラ”の音楽として語りもする。そんな音楽を作るアーティストはアメリカ、イギリスのみならず世界中で同時多発的に現れてきている。

 ブラジルもまたアフリカから多くの奴隷が連れてこられた国だ。サトウキビやコーヒー、鉱物資源の世界的な産地なだけに奴隷の数は判明しているだけでも480万人と言われており、これはアメリカの39万人を遥かに凌ぎ、世界最大と言われている。だからこそブラジルではサンバやボサノヴァが発明されたともいえる。カンドンブレ(Candomblé。アフロブラジル系宗教の代表的宗派。奴隷制の時代に奴隷としてブラジルに連れてこられたアフリカ人たちの信仰と、19世紀末まで国教であったカトリックをはじめとする他宗教とのシンクレティズムによって生まれたとされる)をはじめとするアフロブラジル系の人々による音楽が礎になり、豊かなリズムが生まれ、ブラジルという音楽大国を生んだのだ。

ただ、日本でブラジル音楽を聴いていると、アフロブラジル系ミュージシャンによるアフロブラジル音楽の情報には意外と出会いづらい印象がある。もちろんジルベルト・ジルやミルトン・ナシメント、カルリーニョス・ブラウンのような存在は日本でも人気はあるが、シャバカやクリスチャンが言うようなブラジル版“アフリカン・ディアスポラ”的文脈での情報は少なく、僕はうまく捉えきれていなかった。

そんな時に出会ったジャズ・ピアニストのアマーロ・フレイタス(Amaro Freitas)は、まさにそんなベクトルで音楽をやっていて、僕は衝撃を受けた。アメリカのジャズの要素を取り入れつつ、アフロブラジルのリズムを巧みに演奏していた。アマーロは自身の音楽を“アフリカン・ディアスポラ”の音楽だと捉えていた。そのアマーロが自身の最大の影響源であり、アフロブラジル音楽と西欧的な音楽とを融合させた先人として名前を出していたのがモアシール・サントス(Moacir Santos)だった。アフロブラジルのリズムと洗練されたジャズ・ビッグバンドを組み合わせたモアシールの音楽はブラジル音楽史における特異点でもあった。

そして、そのモアシール・サントスの功績を受け継ぎ発展させたのがサックス奏者で作編曲家のレチエレス・レイチ(Letieres Leite)と、彼が結成したアフリカン・ブラジリアン・ラージ・アンサンブルのオルケストラ・フンピレズ(Orkestra Rumpilezz)だった。彼らの関係をアメリカのジャズに置き換えれば、モアシールをギル・エヴァンスとすると、レチエレスはボブ・ブルックマイヤーもしくはマリア・シュナイダーといったところだろうか。

モアシールが生み出したものをリズム、ハーモニー、即興などのあらゆる点で進化させたのがレチエレスだ。リズムもハーモニーも洗練されているし、同時に高度になっているのだが、それらとメロディーや即興がより密接に結びついている。こんな音楽は世界でもレチエレスしかやっていないと断言できる。そもそもラージ・アンサンブルとしてもハイレベルだ。

そのレチエレスは2021年に新型コロナ・ウィルスにより61歳の若さでこの世を去ってしまったが、亡くなる前に自身のキャリアにおける傑作を完成させていた。それが『Moacir de Todos os Santos』(‘22)。自身の活動における最大の影響源でもあるモアシール・サントスの代表作にしてブラジル音楽史における名盤『Coisas』(’65) のカヴァー集だ。モアシールの音楽を丁寧かつ大胆に再構築したこのアルバムにはレチエレスとオルケストラ・フンピレズの真髄が詰まっている。

ここでは本作を制作したレーベルであるホシナンチ(Rocinante)の運営者であり詩人や音楽家としても活動するシルヴィオ・フラーガ(Sylvio Fraga)、レチエレスがフンピレズとは別に率いていたクインテットのメンバーであるマルセロ・ガルテール(Marcelo Galter/piano)、そしてオルケストラ・フンピレズのメンバーにして、レチエレスの弟子でもあるチアゴ・ヌネス(Tiago Nunes/perc)、ホーニー・スコット(Rowney Scott/sax)が作品のことだけでなく、モアシールやレチエレス、そして、アフロブラジル音楽のことまで語ってくれている。

レチエレスの追悼記事ともいえるが、同時に最良のアフロブラジル音楽の入門記事にもなっているように思う。

※”アフリカ系ブラジル人”の表記に関しては、インタビューを受けてくれたミュージシャンたちの言葉をそのまま使い、”アフロブラジレイロ”とする。

取材・編集:柳樂光隆 江利川侑介 通訳:島田愛加
インタビュー: 2022年5月17日 Zoom


◉アフロブラジル×ジャズ・アンサンブルの先駆者モアシール・サントス

――ブラジルの音楽にとってモアシール・サントスはどんな存在なんでしょうか?

 シルヴィオ「モアシール・サントスは様々な意味でブラジル音楽に革命的な行為をもたらしました。まず彼はブラジル北東部出身の黒人のマエストロ(指揮者)です。それはキャリアの出発点として非常に珍しいことです。彼は故郷の表現を自身の楽曲やオーケストレーションに持ち込みました。それはブラジル音楽にブラジリダージ(ブラジル人気質、特性)を注入するものです。」

マルセロ「モアシールはブラジル音楽史の中で並外れた存在です。彼は文化的表現を音楽に取り入れるムーブメントのパイオニアでもあります。なぜ彼がパイオニアかというと、当時、多くの曲はサンバとボサノヴァの影響を受けていました。モアシールはそこに多様性をもたらしました。北東部の音楽で最も有名なものは、踊るための音楽フォホーでしたが、モアシールはもっと中身の濃い、祖先と繋がることができるような楽曲を作ったのです。彼は黒人アーティストですから。

そこには祖先と世界の文化を自身の音楽で繋げるという願いも込められているでしょう。モアシールはハーモニーを熱心に勉強し、クラシックにも夢中でした。また彼は一部の偉大なボサノヴァ・アーティスト達の良き師でもありました。ドリ・カイミジョアン・ドナートバーデン・パウエルなどはモアシールに師事しました。そう、バーデンはトラディショナルな和声とリズムをミックスしながら固定観念のないアフロブラジル音楽をもたらした新奇なタイプですね。また、伝統的なハーモニーと打楽器的な要素を織り交ぜて卓越した音楽を作りました。」

――モアシール以前に黒人で成功した/知名度のあるミュージシャンはいますか?

シルヴィオ「何人かいますね。それはピシンギーニャから始まったと言えるでしょう。ピシンギーニャは作曲家、編曲家としても非常に重要です。黒人のマエストロを時系列で言えば、ピシンギーニャモアシールパウロ・モウラレチエレス・レイチ。全て重要な作編曲家です。しかも全員サックスを演奏しますね。」

マルセロ「例えば、作曲家ならアビガイル・モウラ(Abigail Moura。オルケストラ・アフロ・ブラジレイラ Orquestra Afro-Brasileira を率いた)もいます。他にも、ブラジル音楽史で言えば黒人のアーティストを連想しないわけにはいきません。彼らはブラジル音楽の主な創造者であり、彼らこそブラジル音楽の核を作った人たちなのですから。ドリヴァル・カイミジャクソン・ド・パンデイロなども挙げられます。ジョニー・アルフもそうですね。」

◉モアシール・サントスの名盤『Coisas』

――モアシール・サントス『Coisas』の革新性について聞かせてください。

マルセロ「モアシールの『Coisas』は革新的で、新しさにあふれていました。例えば、楽器の編成。シンプルかつ、まとまりのあるオーケストレーション、そして時に室内楽的です。管楽器とパーカッションを組み合わせた編成や、まだあまり知られていなかった北東部のリズムなどを持ち込みました。そして、ミュージシャンに即興のためのスペースをもたらし、この音楽に創造的な方法でアプローチしました。」

――モアシール・サントスのハーモニー面での特徴はどうですか?

マルセロ「私の視点でみたモアシールのハーモニーと他の音楽の違いをお話しましょう。ブラジル音楽は非常にハーモニーが洗練された音楽です。事実として、ボサノヴァはアメリカのジャズ・スタンダートや歌謡曲の影響を受けました。彼はこういったアメリカの音楽、主にデューク・エリントンなどからインスピレーションを受けているのは確かですが、モアシールはリズムからより多くの影響を受けていると感じます。

そしてハーモニー的には、よりモード(旋法)なものを扱う傾向があります。モアシールのハーモニーは、ヨーロッパ的な和声進行を元に作られているものではありません。ブラジル音楽の偉大な編曲家たちはモードを元にしたハーモニーを使う方向へ歩んでいました。更に、彼らはグルーヴを重要視しますね。」

――そういったモードの音楽はどこから影響を受けていると思いますか?

 マルセロ「すぐ思い浮かぶのは、偉大な模範となったマイルス・デイヴィス『Kind of Blue』など。モードを使った響きから、ハーモニー構造が作られています。ですが、ジャズ以前のもっと土着的な音楽、つまりフォルクローレや労働者の歌、文化的運動の曲など和声進行の決まりがベースにされていないような音楽からも影響を受けています。」

――『Coisas』のようなアフロブラジル音楽を取り入れたアンサンブルはモアシール以前にも行われていたのでしょうか?

シルヴィオ「モアシール以前のアフロブラジル音楽ですが、レチエレスは”全てのブラジル音楽はアフロブラジレイロによるもの”と話していました。アフリカ人たちが奴隷としてブラジルに連れてこられてから、彼らはカンドンブレテヘイロ(Terreiro。儀式を行う場所、教会)で演奏をしながら、ブラジルに浸透していき、全てのブラジル・ポピュラー音楽の真髄となりました。これは非常に重要なことです。ピシンギーニャモアシールパウロ・モウラレチエレスといったアフリカ系ブラジル人のアレンジャーたちは、既に存在していたアフロブラジル音楽を、アメリカからやってきた音楽やヨーロッパから伝わったクラシックと共にオーケストラやビッグバンドに取り入れたのです。」

――モアシール・サントスはハンス・ヨアヒム・コーホイター(Hans-Joachim Koellreutter)に教わっていたそうです。彼はアントニオ・カルロス・ジョビンの先生でもありました。コーホイターが果たした功績について聞かせてください。

ホーニー「コーホイターは音楽学校の設立においても重要な人物です。彼はエスニックな側面について教えていた人ではなく、(西洋音楽的な)ハーモニーや対旋律の面でブラジル音楽に大きな影響を与えた人です。ですから、モアシールもコーホイターからハーモニーに関しての影響は受けていると思います。

◉現代アフロブラジル音楽のマエストロ レチエレス・レイチ

――では、ここからはレチエレス・レイチについて聞かせてください。ブラジルの音楽史において彼はどんな存在でしょうか?

 ホーニー「これは私一人が考えていることではありませんが、レチエレスが存在したことは、音楽、いや、地球において革命的な出来事だったのではないでしょうか。まず一つ目に、彼はブラジル音楽のルーツの重要さを人々に意識させました。彼は長い間、ブラジル音楽の起源やフォーマット、構造について研究することに献身し、それを我々に伝えました。私はバイーアの音楽やアフロブラジル音楽を30年以上演奏していますが、昔のミュージシャンは、そういった意識を持たずに演奏していたと思います。ブラジル音楽シーンの核となるプロフェッショナルの音楽家や作編曲家にその意識をもたらしたことは革新的なことでした。

もしあなたが彼について調べるなら、彼が他の人とは違った響きを作り出したことはおわかりいただけるでしょう。マリア・ベターニア(2019年の『MANGUEIRA: A MENINA DOS MEUS OLHOS』で編曲にレチエレスを起用)のような偉大なアーティストたちも、レチエレスが表現していたことの重要さに注目していました。もちろん、演奏者だけでなく聴衆にも大きな印象を与えたのは言うまでもありません。」

マルセロ「そこに少し付け加えさせてもらうとしたら、レチエレスはブラジル音楽が作り上げられていく過程で最も重要な存在だったアフロブラジル系アーティストたちの存在を保証することを常に模索していました。彼はいつもインタビューで”全てのブラジル音楽はアフロブラジレイロによるもの”と話していたことは、非常に大切なことだと思います。私たちのアイデンティティの主となる部分、つまり本質になっているのは黒人からの影響です。彼はそこに関して非常に鋭敏で、そこに貢献できるように様々な場所で動いていました。
例えば、彼は木管楽器が入った室内楽のコンサートでアフロブラジル音楽の伝統がベースとなる曲を聴ける日を夢見ていました。私もそういった(アフロブラジル音楽の)要素のあるピアノソロ作品を作曲するようにと、いつも奮い立たされていました。彼の音楽は制限がなく、例外も作らず、新たな道を開きました。私たちの音楽において常に後回しにされていたリズムの価値を見直すことは正にそうです。」

――レチエレスが設立したオルケストラ・フンピレズの特徴を教えてください。

ホーニー「私はフンピレズが設立されて暫くしてからメンバーとなりましたが、レチエレスが長い間、今のフンピレズの編成である打楽器と管楽器のグループを作りたいと考えていたと聞きました。楽曲は、彼がヨーロッパに在住している頃に、アフリカに祖先をもつ音楽の重要性にフォーカスしたグループを結成するために書き上げたものです。
彼はブラジルに戻ってから、偉大なアーティストたちのサポートを始めました。なかでもイヴェッチ・サンガロのグループでは長期に渡り活躍しました。その間、他のバンドなどに参加しながらサルヴァドールのミュージシャンたちと意見を交わしてはアイデアを温めていました。
ある日、まだイヴェッチのバンドに所属している頃でしたが、レチエレスは親しい友人ミュージシャンたちを集め、既に作曲していた自身の楽曲を実際に演奏してみることにしました。つまり、フンピレズは彼が長い期間をかけて構想していたプロジェクトであり、彼はこの構想を開花させる機会を待ちわびていたというわけです。
そこからミュージシャンは報酬なしに多くのリハーサルに参加するようになり、実験を繰り返していきました。そして、すぐに成果が出たので初アルバム『Letieres Leite & Orkestra Rumpilezz』(‘09)を録音しようとなったんです。」

ホーニー「レチエレスのオーケストレーションは彼唯一ものです。彼が使うヴォイシングは、あまり典型的なものではありません。彼はエルメート・パスコアルのように考えるんです。例えば、レチエレスが教えていた学校のオーケストラは、古典的なオーケストラの在り方というよりも、エルメートの音楽に影響を受けています。」

ホーニー「そのため、通常、同じ楽器のセクションが同じメロディーを演奏することが多いのに対し、レチエレスは異なる楽器のセクションを作って同じメロディーを演奏させたりします。最近はよく使われる方法ですが、レチエレスはそのようにオーケストラ全体に要素が散らばるような作曲/編曲法をはじめました。更に、そこにパーカッションのリズム表現を使用しています。こういった所に、フンピレズとモアシールのサウンドの違いを感じます。」 

――リズムの面での特徴を教えてください。

チアゴ「フンピレズのリズム面での特殊性は先祖から受け継がれた音楽です。全てバイーアのアフロブラジル音楽で使われる打楽器、つまりアフロブラジル宗教のカンドンブレで使われる3つのタンボール(Tambore 太鼓のこと)であるアタバキなどによるリズムの上に作られています。

(太鼓を見せながら)これは、Lé(レ)。3つからなるアタバキ・ファミリーの中で最も小さなものです。フンピレズの名前の由来になったものですね。フンピレズという名前は、カンドンブレの儀式で使われるアタバキという3つのタンボールであるフン(Rum)フンピ(Rumpi) 、レ(Lé)の名前に、Jazzの-zzを最後に付け加えた名前なんです。その名の通り、オーケストラは先祖からの遺産と、ジャズの即興的な要素をもっています。それまで誰もやっていなかったことです。」

チアゴ「レチエレスはこれらをベースに作曲し、そこにある宗教的な音楽を呼び起こします。常にパーカッションを前面に配置し、バイーアの音楽におけるパーカッションの重要さを示しています。フンピレズのステージでの立ち位置もそうです。前列にパーカッションがあり、それを囲むようにサックス、トロンボーン、トランペットのセクション、そして後ろに低音楽器セクションとなっています。」

 ホーニー「フンピレズの全ての曲には即興の部分があります。私が思うに、即興はレチエレスの人生における基礎となる要素なのです。パーカッションの中にもソロなどの即興的な部分が入っています。中でも、最も低い音を出すタンボールのフンは非常に自由で即興的に演奏ができます。

全てのフンピレズの曲には管楽器の即興や、パーカッションの即興があります。こういったジャズ的な即興要素はフンピレズの基盤です。それらに多くのスペースを設けます。曲ごとに2、3人のソリストがいるのは、レチエレスのキャリアにおけるジャズ的な音楽形成方法も関係しているでしょう。彼は即興のためにスペースを作る事がとても好きでしたし、この広大で力強いリズムを持つ楽曲の上で即興することは、挑戦でもありました。更に、レチエレスの精妙なハーモニーは、私たちのようなソロをよく担当するミュージシャンにとって大きな挑戦でした。」

シルヴィオ「リズムについて付け加えたいことがあります。レチエレスによるアフロブラジル音楽のリズムを高く評価したことは、反人種差別運動、脱植民地化主義を訴えるムーブメントに繋がるものでもあります。わかりやすい例で言うと、かつてブラジルでパーカッショニストは、ギタリストやピアニスト、トランぺッターなど他のバンドのメンバーよりも少ない報酬しか与えられないということがありました。レチエレスは、ここに関しても奮闘したのです。」

チアゴ「そうなんですよ!私はホニーニョ(ホーニー・スコットのこと)よりもフンピレズのメンバーとしての歴が浅い者ですが、レチエレスの重要さについて話さなければならないことがあります。私の世代にとってレチエレスはキーパーソンなんです。私の世代のミュージシャンが国外に目を向けていたのに対して、レチエレスは、自分たちの国の文化を見つめるよう私たちに投げかけてくれた人です。私の人生はレチエレスに出会って変わったんです。」

―― 一方でハーモニー面はどうですか?

マルセロ「先ほどもお話ししましたが、レチエレスのハーモニーを聴くと、パーカッシブなフレーズのかたまりから生じる流れを大切にしていると感じます。susコードのようなメジャーかマイナーか判断できないようなものを好んだり。これらはリズムの効果を失わず、ヴォイシングのバランスに耳が届くようにする方法です。時々、彼は和声進行を作る時にギターを使っていましたが、それは彼らしい方法で本当に素晴らしかったです。和音の種類や西洋的な和声進行にとらわれず、非常にオープンに考えていました。」

 ――どんなところから影響を受けて、それを作り上げたと思いますか?

 シルヴィオ「もちろんこのアイデアはゼロから生まれた訳ではなく、計り知れない程の人々から影響をうけていると思いますが、ある時、彼が独自の作曲法として発明したということもあるでしょう。」

マルセロ「そうですね。彼は作曲をする際、最も低い音から書き始めていました。その低音のフレーズ自体はハーモニーが決定されたものではありません。その上に違う段を加えていきます。この最初に書かれた低音楽器の旋律の美しさを崩さずに、その上に他の楽器の旋律を重ねていくことは、音楽的に非常に難しい作業です。レチエレスはハーモニーよりも、その旋律たちのリズムを重視して作曲していたと思います。」

◉モアシール・サントスへのトリビュート・アルバム『Moacir de Todos os Santos』

――では、次はフンピレズの『Moacir de Todos os Santos』について聞かせてください。これはどんな構想から生まれたアルバムなのでしょうか。

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