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Interview Xenia França:アフロブラジレイロとしての誇り、ステレオタイプからの超克を込めたスピリチュアルな傑作を語る

シェニア・フランサの1作目『Xenia』は鮮烈だった。ロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズに端を発し、そこに追随するかのようにハイエイタス・カイヨーテやジ・インターネット、ムーンチャイルドらがジャズ×ネオソウルの再解釈を行っていた2010年代。ブラジルの北東部、アフリカ系ブラジル人=アフロブラジレイロの人口がブラジルで最も多く、その文化の中にもアフリカ系の影響が色濃く残っているバイーア州に生まれたシェニア・フランサは、そんなジャズ×ネオソウルの流れにアフロブラジレイロの音楽の要素を加え、世界のどこにもない「ブラジルでしか生まれえない」サウンドを創造した。それが2017年にリリースされた『Xenia』だった。

アントニオ・ロウレイロやペドロ・マルチンスらがアメリカのコンテンポラリージャズに呼応したサウンドを作っていた流れと、ブラジル北東部のアフロブラジレイロたちが民間信仰であるカンドンブレに由来する音楽を現代的な要素と組み合わせて、新たなブラジル音楽を創出している流れが交差していたのがシェニア・フランサであり、ロウレンソ・ヘベッチスだったわけだ。

『Xenia』でプロデューサーを務めたギタリストで作曲家のロウレンソ・ヘベッチスは2016年の自身のデビュー作『O Corpo de Dentro』で、マリア・シュナイダー系譜の現代的なジャズ・ラージアンサンブルに、レチエレス・レイチ系譜のアフロブラジレイロのリズムを融合させ、その中にJディラ由来のネオソウル×ジャズのリズムや、カート・ローゼンウィンケル、アイザイア・シャーキーなど、様々なギタリストの影響をも盛り込んでいた。『Xenia』にはそこでのチャレンジが活かされていた。

しかし、『Xenia』はネオソウル×現代ジャズ×カンドンブレだけが特徴ではない。そこにブギーコズミックファンクの質感も加わり、スタイルが特定できないハイブリッドなサウンドが鳴っている。それを可能にしたのがもうひとりのプロデューサーのピポ・ペゴラーロだった。サンパウロを中心に活動する気鋭のプロデューサーであるピポは、シンセサイザーやエレクトロニクスの扱いに長けていて、シネマティックで空間的なサウンドやプロダクションをシェニアの音楽にもたらした。

しかも『Xenia』にはアフロブラジレイロとしての彼女のリアリティを歌詞に込めていたのも大きかった。そこにはフェミニズム、人種問題、環境問題など、様々な視点が反映されていて、サウンドにも歌詞にもシェニアの哲学や美意識が表現されていたのだ。そうしてこのアルバムはラテングラミーにもノミネートされ、彼女の知名度は飛躍的に向上することになった。

ただ、『Xenia』はあくまで序章に過ぎなかった。2作目『Em Nome da Estrela』は前作をはるかに超えた傑作だ。

『Xenia』ではネオソウル/R&B的な形式が目立っていたが、『Em Nome da Estrela』はまるで即興的に作られているのかと思えるほどに、曲のフォームが固定されていない。流れるように進みながら物語が描かれる楽曲のサウンドはエレクトロニックでスピリチュアルで、前作のネオソウル感はかなり後退している。これに関しては前作で控えめだったピポがかなり貢献している。ピポの2020年作『Antropocosmico』でのシンセを駆使したコズミックなサウンドが本作にも引き継がれ、その響きや質感を活かしながら流動的で瞑想的なストーリーを作り上げている。加えてそこにはロウレンソが手掛けたA Timeline『Oroboro』にも通じるプロダクション面の進化もある。フライング・ロータス周辺やハイエイタス・カイヨーテなどのフューチャリスティックなサウンドとの共通点も見られるが、それらとも異なる新たなサウンドが響いている。そうして生み出された『Em Nome da Estrela』で、彼女は全く別の次元に進化したと僕は考えている。

『Em Nome da Estrela』は前作以上に高い評価を得て、ブラジルの音楽サイトの年間ベストに選出されたり、Discogsのベスト・ニュー・アーティストにも選ばれた。

そんな『Em Nome da Estrela』の国内盤リリースに合わせ、シェニアのインタビューをここに掲載する。実はこれはアマロ・フレイタスやレチエレス・レイチ周辺への取材を続けていたところ、シェニア側から提案され、2022年にインタビューを行ったものだ。そんな良好な関係性もあり、ここでは作品だけでなく、彼女の思想や哲学にいたる内面にも深く話が及んだ。一万字にも及ぶシェニア・フランサの言葉をじっくりと読み込んでいただきたい。

取材・執筆・編集:柳樂光隆江利川侑介
取材・通訳・編集:島田愛加

◉シェニア・フランサの影響源

――これまでに聴いてきて自分にとって重要だと思うアーティストを教えてください。

 私に影響を与え、今でも影響を与え続けるアーティストはブラジル音楽だけでも膨大なリストがあります。私はブラジルのバイーア州に生まれです。私はバイーアの音楽から測り知れないことを学び、それが私のアイデンティティを形成しています。

 幼い頃はチンバラーダカルリーニョス・ブラウンのようなバイーア特有のサウンドから強い影響を受けました。最近はチンバラーダのアルバム『Andei Road』やカルリーニョス・ブラウンの『Alfagamabetizado』を改めてよく聴いています。自分の作品を作る際に、これらのアルバムを参照にする必要があると感じたからです。ジルベルト・ジルのアルバムも細部まで非常に豊かな表現があります。オルケストラ・フンピレズや、その創始者であるレチエレス・レイチも、私が音楽を作り上げる上で大きな影響を与えてくれました。

バイーアの音楽以外も沢山聴いてきました。ジャズであればハービー・ハンコックウェイン・ショーターエスペランサ・スポルディングエリカ・バドゥ、ポップスであれば幼い頃からマイケル・ジャクソンを聴いていました。マイケルは私にとって偉大なアイドルです。

あとはジャヴァンミルトン・ナシメントカエターノ・ヴェローゾなど、現代的なブラジル音楽の表現をするアーティストもいます。

このように、これまで聴いてきた音楽がミキサーの中で合わさって私の音楽性に影響を与えました。

◉アフロブラジレイロ音楽との関係

――バイーア州のカマサリ(Camaçari)出身とのことですが、アフロブラジレイロの音楽には子供のころから親しんでたのでしょうか?

 はい。とても自然な形で触れてきました。私が生まれたカマサリはアフリカのディアスポラが非常に強いバイーア州に位置します。

ブラジルはバイーアから始まった歴史があります。ポルトガル人がブラジルに到着してから、彼らの奴隷としてアフリカ人がバイーアの港に連れてこられました。バイーアは時を経た現在でも、その影響が残る場所です。そして、バイーアではアフリカの様々な表現が混ざり合い、文化が生まれました。そのためバイーアはアフリカ国外で最もアフリカを感じる場所と言われていて、「小さなアフリカ」という通称があるほどです。また、広大なアフリカほどは広くないので、様々な民族系統の言葉や文化が凝縮されたことで、独自の表現が生まれました。おそらく、その中でも最もアイデンティティが表れたのは音楽だと思いますが、ダンスや料理にも強く表れています。それらの全ては1つの所に繋がっています。

 音楽は何もない所から生まれませんから。バイーアで主に信仰されるアフロブラジル宗教であるカンドンブレの演奏は、テヘイロ(カンドンブレの儀式を行う場所)を越えてバイーアのポピュラー音楽の中でも表現されるようになりました。アシェーやカーニバルの音楽もそのように展開されていきました。

最初の質問でレチエレス・レイチの名前を挙げましたが、彼はそれまで添え物とされていたアフロブラジル音楽の要素を前面に持ってきた人です。アフロブラジル音楽とジャズと融合させたのも重要なことでした。

 私はサンパウロに引っ越すまで、そういったアフロブラジル音楽を聴いてきました。アフロブラジル音楽は私に流れる血、私の骨の中、頭の中にある自然なものです。私は自分のアイデンティティからなる祖先の文化、タンボール(カンドンブレで使われるアタバキを含む太鼓のこと)の音に敬意を示し、私の音楽に取り入れています。そのために特に何か研究をしたわけではないんです。なぜならそれらは私が生まれた場所が私に与えてくれたものだったからです。つまり、非常に自然なプロセスなんです。

◉1stアルバム『Xenia』のこと

――2017年にリリースしたアルバム『Xenia』のコンセプトを聞かせてください。

最初に言えることは、このアルバムは自然な形で「私」を表現したものということです。

私は17歳でサンパウロに渡り、青年期の半分をそこで過ごしました。沢山の音楽プロジェクトに参加し、アフリカ由来の音楽を追求するアラーフィア(Aláfia)というバンドでヴォーカルを務めました。

 ソロのアルバムを作ろうと思った時、私は自分が育ったバイーア特有のアフロブラジル音楽を引用したいと考えました。先ほどもお話しした、テヘイロから聴こえる3つのタンボール(フン、フンピ、レ)の音です。

その他にもキューバへ行ったときに出会った音楽なども含まれます。キューバとバイーアの音楽文化は似た部分が沢山あります。例えばキューバのバタはカンドンブレのタンボールと同じく3種類の太鼓から成り立っています。ブラジルのカンドンブレのリズム 「イジェシャー」はキューバの「ルンバ」のクラーベに共通するところがあるように、これらの音楽には同じ柱があります。私はそこからヒントを得ました。私はあくまで歌手で、研究者ではないので、自分の耳で聴いたものを記憶し、それらを混ぜ合せ、私にとって意味のある音楽になるように仲間と共に作り上げたんです。そこにはマイケル・ジャクソンオロドゥンハービー・ハンコックなど様々な要素も含まれています。そうそう、マイケルは90年代にオロドゥンとビデオクリップで共演もしていますね。

1枚目『Xenia』も2枚目『Em Nome Da Estrela』も、主にスタジオの中で制作したもので、研究室で錬金術を試すようなプロセスでした。ほぼ全ての曲は予めアレンジが決まっていなくて、私とロウレンソ・ヘベッチスピポ・ペゴラーロの3人で楽しみながら、楽曲の良さを引き出せるように制作に没頭しました。1枚目よりも2枚目のアルバムの方がよりそれがより深く追及され、シンセサイザーが多く登場し、シンセサイザーとタンボールの対話も増えました。『Em Nome Da Estrela』では仕掛けを作ったり、間奏にもこだわったり、ハーモニーもより豊かになったと思います。

――『Xenia』では全体的にR&Bやネオソウルなどのアフリカンアメリカンの音楽の要素がかなりありますが、そこにアフロブラジレイロ由来のリズムを組み合わせるアイデアがとても新鮮でした。このアイデアのインスピレーションになったものはありますか?

 制作にあたって特別参考にした作品はありませんでした。スタジオで偶然生まれたものだと思います。

 共同制作者のロウレンソ・ヘベッチスはバークリーに留学していたので、知識が豊富で、様々な音楽を吸収しています。彼のアルバム『O Corpo de Dentro』を初めて聴いた時、私はすぐにプロデューサーになってほしいと考えました。ロウレンソは非常に繊細なミュージシャンで、シンプルなメロディに豊かなハーモニーをつけることができます。

1枚目のアルバムを制作する時からロウレンソとピポを呼んだ理由は、正反対の2人は全く新しいアイデアを生み出すことが出来るからです。ロウレンソとピポは2人ともギタリストですが、アルバムではあまりギターを使わずに素晴らしいアレンジのアイデアを提供してくれました。

ピポ・ペゴラーロはアカデミックと言うよりも、実践で音楽を覚えた都会っ子。大都市サンパウロで様々な音楽経験を積んだ人です。ピポがギターを手にした時、(ロウレンソよりも)よりポップなサウンドを作ってくれるのと、映画的・宇宙的な空間を作り出すのが上手いんです。なので、この正反対の2人のコンビネーションは全く上手くいかないか、すごく上手くいくかのどちらかだと思っていました(笑) 結果的に上手くいったんですけどね。

 2枚目のアルバム『Em Nome Da Estrela』を作成する前、ノヴォス・バイアーノスへのオマージュとして制作されるコンピレーション・アルバムで「A menina dança」を歌うことになったんです。ベイビー・コンスエロが歌ったとても有名な曲で、沢山のアーティストがカバーしていますから、依頼されたとき戸惑いました。ちょうどパンデミックに突入し、ロックダウンが始まろうとしていた頃です。一週間以内に曲を仕上げる必要があったので、ロウレンソとピポを呼んでスタジオで制作したら私たちらしい凄くかっこいいアレンジができました。その時に、2枚目のアルバムを作る時だと感じました。どちらのアルバムも、大好きな2人と共に実験的なプロセスを経て、私自身のアイデンティティをアーティストとして表現した結果出来上がったものです。私たちは楽曲をリスペクトしながら、それぞれの音楽的感性を使ってその時に必要な音、表現したい音を選びました。楽曲が何を伝えたいかを第一に優先する考えは3人とも共通していて、制作中もよく考え、次の日にはまた違うことを試したり。とにかく実験的なプロセスでした。

◉「Pra Que Me Chamas?」とアフリカンディアスポラ

――『Xenia』に収録されている「Pra Que Me Chamas?」はあなたにとって重要な曲だと思いました。この曲で歌っていることについて説明してもらえますか?

 この曲には興味深いエピソードがあるんですが、元になったのはキューバでの出来事です。

 私はアラーフィアのメンバーとして15日間キューバのハバナに滞在しました。キューバの文化はブラジルと似た部分がありますが、政治的な理由があるので、ブラジルにはあまり情報が入ってこないんです。だから、キューバをより深く知るために、滞在中はホテルに泊まらず、ホームステイをしながら、キューバの人たちが普段食べている食事を摂り、近隣を歩いて回り、現地の生活を感じるようにしました。

日曜日、アラーフィアのメンバーの何人かと一緒にルンバを観ました。そこで、ルンバとはリズムの一種ではなく、太鼓に合わせて歌う(キューバの民間信仰)サンテリーアの儀式に通じる文化表現であることを目にしました。バイーアのイレ・アイエオロドゥンも同じく、太鼓の上に歌があったことで、ルンバが私の目に留まったんです。音楽に合わせてダンスが行われていた光景を見て、私はとにかく感動しました。このルンバはカジェホン・デ・ハメル(Callejon de Hamel)という小さな裏通りで開催されています。ここはスクラップを使ったアートが有名な場所です。偶然にもブラジルのリオデジャネイロにも「セラロンの階段」という似たストーリーをもつ名所があります。また、キューバのカジェホン・デ・ハメルはサンテーリアオリシャ(神)であるエレグアへのオマージュでもあります。ブラジルのカンドンブレではエシューと呼ばれる同じオリシャがいます。

ルンバを観た後、カジェホン・デ・ハメル通りを歩いていたら、壁に洋服を貼って作られた人のアートがあって、その下に「Pa' que tu me llama si tu no me conoce?」(私の事を知らないのに、なぜ私を呼ぶのですか?)と書かれていました。私はその言葉に強いインパクトを受けました。

ブラジルに帰国してからキューバに一緒に行ったルーカス・シリーロ(Lucas Cirillo)が私の家に遊びに来て、新しく作った曲を聴かせてくれました。曲は未完成で、リフレインが必要だと感じた時、カジェホン・デ・ハメルで見たあのフレーズを思い出したんです。そのフレーズとメロディがかみ合うように調整しながら曲を完成させました。

メロディ自体はシンプルですが、歌詞では500年前に奴隷だった人々の子孫が未だに人種差別に苦しみ、ふさわしい社会的地位にいないことを議論しています。人種差別が残る中では、ディアスポラの文化的表現だけでなく、アフロ系を象徴するヘアスタイルでさえも、私たちの意思を表す重要なものなんです。そのため、楽曲の中にはいくつかの重要なポイントにヨルバ語(Ajayô、Aruandaなど)を使いました。ヨルバ語はバイーアでは文化として定着し、決まり文句のように使われます。私はこの曲で「自分がしたいように表現すること」を伝え、「一歩踏み出すこと」の重要さを伝えたかったんです。ブラジルはまだ一部の人が特権者になりたいがために、他の人に場所を譲らないことがあります。でも、ブラジルは文化的に豊かな国なので、誰もが入れるキャパシティーがまだあるはず。

でも、このリフレインは私からの議論ではありません。これは人間と神々を繋ぐオリシャであるエシューから私たちへの問いかけなんです。

――「Pra Que Me Chamas?」のビデオを見ました。『Cartas da prisão de Nelson Mandela』ジャミーラ・ヒベイロ (Djamila Ribeiro)『Quem tem medo do feminismo negro』ラザロ・ハモス (Lazaro Ramos)『Na Minha Pele』などの人種差別をテーマにしている本が出てくることにも象徴的ですが、ブラジルに限らないすべてのアフリカン・ディアスポラに対してのメッセージがこの曲にはあると感じたのですが、どうですか?

 そうですね。全ての芸術の背景には様々なコンセプトがあると思います。ビデオを制作した時、私は自分のアイデンティティを世界に向けて発信したいと思いました。おそらく世界で多くの人が、ブラジルが今でも人種差別と闘っていることを知らないのではないかと感じていたからです。

 2022年になっても、アフリカ系ブラジル人は生活に必要な最低限の条件を求めている状態です。義務教育、大学への進学状況、健康格差などブラジルの社会構造は多くの部分が不十分です。社会的弱者は主にアフリカ系ブラジル人です。昔からある問題ですが、早急に解決しなければいけない問題です。私は黒人の歌手、アーティストとして、これらを「現在進行形で起こっていること」として発信したいと考えました。

私が子供のころ、未来は空飛ぶクルマに乗って…と想像していましたが、実際はこのアルバムを制作した2017年に、白いドレスを着てカンドンブレを信仰する人達が街で罵倒を浴びるようなことが起こっているんです。また、白人は黒人が白いドレスを着てテヘイロに向かうことを人種民主主義として扱おうとしますが、それはごまかしであることを誰もが知っています。

 そして、これは私自身のストーリーでもあります。そして、私はアーティストなので、現状を伝える権利があると思ってます。私たちアーティストの活動を見て、全ての人々、特に若い世代が、自分の存在を再確認し、誇りを持って前に進める機会になればと考えています。

日本人には1文字にも沢山の意味がある漢字があるように、私たちには「サンコファ」というハートの形をしたシンボルがあります。そこには「現在を知り、未来を見るために過去を知ることは恥ずかしい事ではない」というメッセージが込められています。

 ブラジルでもアメリカ合衆国のアフロフューチャリズムに関するアイデアが話題になっています。アフロフューチャリズムの第一人者サン・ラなどがそうですね。ですが、私たちにはブラジル人独自のアイデンティティがあります。ブラジルは沢山の人々によって発展した豊かな文化があります。

 私がジャミーラ・ヒベイロラザロ・ハモスの本をシナリオに加えたのは、本は人間が作り出した1つの表現であり、人々を繋ぐ重要な役割を果たしていると考えるからです。私はこの時、ニーナ・シモンのような存在になる必要があると感じていました。私はこれまで受けた全てのインタビューで彼女について語ってきました。ニーナ・シモンは1960年に「時代を反映させることはアーティストの責務である」と話し、それが私の使命に近いと感じています。

◉人種差別とフェミニズム

――ビデオにジャミーラ・ヒベイロの著書『Quem tem medo do feminismo negro』が出てました。あなたのいくつかの曲の歌詞を聴けば、フェミニズム的な考えが音楽にも反映されているのが感じられます。黒人女性が自信を持つことや自立すること、自分の意思を持つことなどを歌いたいのかなと思ったのですが、いかがですか?

ジャミーラのような代表的な人物が登場することで、そのイメージが強くなったと思います。私自身も、フェミニズム黒人フェミニズムの違いについて考えています。のちによく知られるようになった「インターセクショナリティ」(交差性)という性別、人種、社会的立場などによって異なる概念についてです。

なので、この楽曲自体にはフェミニズムについて語られていませんが、ジャミーラの本をビデオクリップに登場させたのは、私と同じテヘイロに通い、現在そして未来でも間違いなく重要人物とされる彼女へのオマージュです。また、彼女は数少ない黒人女性の著名人でもあります。ブラジル音楽界、特にポップス界では黒人女性で大喝采を浴びた人は少ないんです。そのため、楽曲で直接的にフェミニズムが書かれていなくても、ビデオクリップにこの現状を含ませたかったんです。

このビデオはルーペを使って楽曲の意図を拡大させるような役割を果たしているような感じでしょうか。人間がオリシャに変わったり、風のエネルギーが布になって現れたり、別の次元が表現されています。つまり、ビデオは私のアイデアが拡張したものです。

 私のポジションからみたフェミニズムですが、私は黒人女性ですから、強く擁護します。私自身が感じていることは、私以外の女性たちも苦闘してきたことだと思うからです。

1枚目のアルバムは私たちが生きる上で社会的にどんな苦難があるかというのをリストアップしています。例えば「Teresa Guerreira」というアントニオ・カルロス&ジョカフィの曲が収録されています。これは夫の暴力から逃げたテレーザが自分の道を進む経験を描いたものです。ここでは直接的に女性の強さを表現しています。

――なるほど。

 ただ、2枚目のアルバム『Em Nome Da Estrela』では私の中に逆の動きがあって、私は自分の内に秘められた世界を理解しようとするようになりました。そして、自分自身を見つめ直し、黒人に対するステレオタイプを壊せないかと試みました。なぜなら、人々はどんなときも私たちを「黒人」というフィルターを通して見るからです。でも、私はひとりの人間です。そのため、2枚目のアルバムでは私が誰であるか、そして私が何であるかを明確にしたいと思ったんです。

 それに加え、パンデミックの間に感じた事も影響しています。ネットフリックスでミシェル・オバマのドキュメンタリー『マイ・ストーリー』を観ました。彼女が子供たちとのディスカッションに参加した時に1人の少女から「どうやったらあなたのようになれますか?」と質問を受けました。そこでミシェルは「あなたは自分の現実を自分で切り開かなければなりません」と答えました。アメリカ合衆国における人種差別の問題は、今すぐに解決するものではありません。自分は「黒人」ということ以上にひとりの偉大な人間であること、自分には沢山の可能性があることを信じて前に進まなければならないことを彼女は少女には伝えました。この場面は私に強いインパクトを与えました。私が表現している事は、「私」というひとりの人間がやっていることですから。

1枚目のアルバムは政治的で、2枚目のアルバムは観想的で創造的。コンセプトはどちらかというと正反対ですが、どちらも山を登るような前向きさを持っています。

◉アフロフューチャリズムではなくスピリチュアリズム

――さきほどアフロフューチャリズムという言葉が出ました。『Xenia』収録の「Nave」のビデオから僕はアフロフューチャリズム的な表現を感じました。『Em Nome Da Estrela』にもアフロフューチャリズム的な要素はある気がしますが、いかがですか?

私は特別、アフロフューチャリズムについて深く研究したことはないんです。

アメリカ合衆国のアーティストがアフロフューチャリズムの再解釈するようなことも起こっていますが、ブラジルではアフロフューチャリズムのムーブメントは過ぎ去りつつあります。ブラジルでもこのテーマは非常に強く、新しいものが出てくる度に「アフロフューチャリズム」という名前が容易に付けられるという事が起こっていました。ただ、私の作品はアフロフューチャリズムを押し付けるものではないと思っています。

例えば私のアルバムに出てくるシンセサイザーの音は、サン・ラではなく私が長い間愛聴しているハービー・ハンコック『Head Hunters』をリリースした頃のサウンドに近いものです。偶然にも私はこのインタビューを受ける直前までサン・ラを聴いていました。なぜならサン・ラのオマージュ・プロジェクトに招待されたんです。でも、私はこのアルバムを制作した当時、サン・ラを聴いていません。いくつかの共通点はあるかもしれませんが、私がこれまで深く研究してきたものではないんです。私は自分の作品がステレオタイプにとらわれないことを願っています。

もしブラジル独自のアフロフューチャリズムが存在するとしたら、その第一人者はカルリーニョス・ブラウンだと思います。彼のアルバム『Alfagamabetizado』(1996)の1曲目ではロボットがラテン語を話します。まだインターネットが充分ではなかった時期に、未来的なサウンドを取り入れたブラジル音楽だったと思います。彼のディスコグラフィーからはブラジル・バイーア特有のアフロフューチャリズムに通じるものが見えてくると思います。

 近年、ブラジルではアフロフューチャリズムを商業的に使うケースも増えています。それもあって、おそらく多くの人が私をアフロフューチャリズムの箱に入れたいと思っていることを感じてます。でも、私は制限のないオープンな人間なんですよね。

1枚目のアルバムを制作した時、その評価は私が思っていない方向に進んでいきました。それもあって、私は2枚目のアルバムでは1枚目に似ているものを作らないようにしたんです。制作中は、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出されていたこともあり、私たちは1日スタジオにこもり、より深いものを作り上げるよう専念することができました。

アルバムのジャケットは瞑想をしていた時に頭の中に現われたものです。瞑想には科学的な効果があります。おそらくですが、私とアフロフューチャリズムと通じるものがあるのは、私が小さい頃から目に見えないものや神秘的なものに興味があったことが関係しているかもしれません。楽曲を制作する時に、それはツールになります。私はずっと音楽を通してスピリチュアリティを身近に感じていましたから。私にとって音楽は精神の解放、スピリチュアルなものです。それはカンドンブレに由来するスピリチュアリティだけでなく、音楽がもつスピリチュアリティです。

例えば、私は占星術を愛好していて、自分の星座であるうお座と結びついています。私はアフロフューチャリズムを知らない小さい頃からスピリチュアリティ、音楽、科学と非常に強く繋がっていたんです。私がアフロフューチャリズムと通じると言われることがあるのは、私自身の本質からきているものかもしれないですね。私の家はクリスタルが沢山あり、お香が焚かれています。家では音楽を聴かずに科学の本を読んでいる事の方が多いし、形而上学にも興味を持っています。他にも私たちが寝ている時に見る夢や植物同士のコミュニケーションなど、様々なインスピレーションを音楽、特に歌詞に取り入れています。これらは全てうお座の特性かもしれません。

――アフロフューチャリズムからの影響ではなく、あなた自身の経験から出てきたものだと。

そうですね。私は子供の頃、自分の影にも怖がるほどに臆病な子だったんです。私が恐怖心を失くして自分に向き合うことができたのは大人になってからで、そのプロセスを助けてくれたのは音楽でした。もちろん私自身の経験も関係しています。例えばアヤワスカを使い、無意識の自分と向き合う経験をしたことの影響もあるかもしれません。

――サウンドの話に戻りますが、全体的にシンセサイザーやエレクトリック・ピアノのコズミックな音が印象的です。そこにアフロブラジレイロの打楽器を組み合わせるアイデアは前作以上にチャレンジングで新鮮だと思いました。このアイデアのインスピレーションになったものはありますか?

 1枚目のアルバムが基盤になっているんですが、お話しした通り私たちは1枚目と似ているものを繰り返し作ることは避けたかったんです。私の作品は実験的な空間が沢山あります。ロウレンソ、ピポがいるおかげで「これやってみよう!」と積極的になることができるんです。その後にうまくいかなかったところは外したり、違うところに入れてみたり。例えばアルバムに収録されている「Já é」は36トラックのキーボードを使って道筋を作りながらアレンジを行いました。そのため、2枚目のアルバムは私自身のアイデンティティ、私のサウンドを深く追求しています。

――「Já é」で共演しているヒコ・ダラサン (Rico Dalasam) について、なぜ彼を起用したのか聞かせてください。

 私は自分の世界観が好きなので、1枚目のアルバムはホベルタ・エストレーラ・ダグアの詞の朗読以外にゲストの参加がなく、今回のアルバムもゲストを呼ぶつもりはありませんでした。ですが、この曲は私がスーパーで買い物をしているときにドラムのビートと共に頭の中に現われたもので、ラップを入れたいと思ったんです。

 現在、ブラジルには才能あふれるラッパーが沢山いるので、何人ものアーティストの名前が候補にあがりました。ですが、曲を聴いている間に、「Já é」にはヒコのストーリーと通じるものがあると感じたんです。彼は2017年に著作権問題をめぐってインターネット上で批判されましたが、2021年に素晴らしいアルバムをリリースして完全復活した不死鳥のような人です。

歌詞は「自分自身のエネルギーを自分のために使う」という内容です。自分の周囲の人々や社会のシステムが、自分のなりたい姿を邪魔していても負けないでほしいと言うメッセージが込められています。ヒコに連絡し、私はこの曲のアイデアを話しました。はじめのうちは楽曲の細かい所にこだわりすぎて完成までに時間がかかっていました。ヒコもなかなか良いアイデアが出せずに煮詰まっていたところ、あとで録音する予定だったドラムを先に録音してみることにしました。いつも一緒に演奏しているドラマーのダニを呼んでドラムのパートを録音しヒコに送ったところ、彼は素晴らしいラップを書いてくれました。やはりラッパーはビートにのせて歌詞を書くんですね。ヒコは私が求めていたものを完璧に表現してくれました。私はヒコの考え方が大好きで、彼の表現の仕方に魅了されています。彼は間違いなくブラジルを代表するラッパーの1人です。

◉おまけ

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