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記憶を辿り、私はもう一度、旅をする。

 このnoteを始めたのは、2020年5月のこと。なかなか旅に出られないから、旅を振り返る記事を書いてみよう、写真も載せて。
 離れた場所に住む学生時代の友人と久しぶりにオンラインで話したことがきっかけで生まれたnoteも、短い投稿を含めると100記事近くなっていた。書き続けて感じたこと、ちょっと不思議な心の動きを、今回綴ってみようと思う。

書いて思い出せたこと

 人の記憶は当てにならない。一緒にnoteを作っているMihokoとNorikoと一緒に旅したイギリスで、ウィンザーという街を訪ねた帰りに、駅のトイレに閉じ込められた。この記憶は強烈に残っているのに、覚えていたのは事実とちょっと違う。一緒にいたのはMihokoだけだと思っていたが、実際はNorikoと3人だったし、助けてくれたのはMihokoではなくNorikoだった(恩人を間違えていてゴメン)。

 コインを入れて使用するトイレで、小銭をケチったせいで鍵がかかってしまって、中から開けられなくなった。もし一人だったらと思うとゾッとする。ところが私にとっては一大事だったのに、二人は全然覚えていないという。

▼その旅のことはこちら

 三人で一緒に行った旅では、それぞれの記憶の断片を、パズルのようにつなぎ合わせた。覚えているポイントが微妙に違うのも面白い。私と違ってきちんと記録を残しているNorikoの日記にも随分助けられた。そうやって旅の出来事を書きながら、ふと思った。もしnoteを始めなかったら、この記憶は、思い出は、誰にも知られることなく終わったのだろう。
 友人同士の私たちでも、お互いの文章を読み、写真を見て、「知らなかった」「覚えていない」と話すことも多い。自分でも思い出さないままだったかもしれない。

旅はまだ、終わらない

 綴られなかった物語。という言葉がふと頭に浮かんだ。もし、旅に出られない日々が来なかったら、書くことはなかったかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたら、次のような言葉に出会った。ドイツに住み、日本語とドイツ語で創作し、世界各地を旅してきた作家の多和田葉子さんの言葉だ。

この旅について書くことでもう一度旅の行程を心の中で辿り、書くことによってもう一度ドイツに到着してから、ドイツの日常についても書くようになった。インタビューに答えながら分かってきたことは、旅はその旅について書き終わるまで完結しないということだった。

『言葉と歩く日記』(多和田葉子)

 私の旅は、まだ終わっていなかった。写真を眺め、地図を広げ、思い出のかけらをつなぎ合わせ、書くことで、私はもう一度、旅をしている。

 「心の中の世界地図」という表現も気に入った。多和田さんは心の中の世界地図を広げ、線を引き、言葉を書き込む。

 この本は、企画について学ぶ講座で出会った仲間に選んでもらったものだ。「その人のための一冊」を選ぶ企画を始めたKさんとFさんの二人が、今年の初めに届けてくれた本。読みながら、言葉と旅について思いを巡らせた。読み終わってからも、ページをめくると、また違ったところに目が止まる。

 世界を旅してきた多和田さんは、いま何を思うのだろう。ネットで探してみたら、インタビュー記事を見つけた。「本を読めば、必ず何かをつかみ取れるはずです」と多和田さんは語る。

文学は重要だからで読むものではなく、読まなければ生き延びられないから、読むもの。視点を変え、視野を広げることで、悩みから解放され呼吸ができるようになる。それは文学ならではの体験だと思います。

SPECIAL INTERVIEW 多和田葉子さん(早稲田大学)

 記事のタイトルがいい。「生き延びるために読むものが、 文学」。多和田さんの存在は知っていたけれど、著書を読むのは初めてだった。今度、小説も読んでみようと思う。 

 この本を選んでくれたFさんの言葉が、届いた本のブックカバーに添えられていた。「生きのびるために、生きる言葉を」。挟まれていた岩波新書のしおりにも「生きのびるための岩波新書」とある。いま目にすると、胸に迫る言葉だ。

もう一度、「風の歌」を聴く

 私は文学部出身なのだが、「文学って、社会に出てから役に立たない」と思っている節があった。でも、最近になって思った。やっぱり文学部でよかったんじゃないか。Norikoが別のところで「大学で学んだことも、あっという間に古びてしまう時代だ」と書いていたけれど、知識や技術はどんどん新しいものに取って変わられる。でも文学には、古かろうが新しかろうが、人の心を動かす何かがある。

 昨年末に読んでいたのが、村上春樹さんと柴田元幸さんの対話をまとめた『本当の翻訳の話をしよう』。この本の中で、村上さんがデビュー作『風の歌を聴け』の書き出しの数ページを英語で書いていた、という話が紹介されている。

 ずっと昔に読んだきりだった『風の歌を聴け』を、もう一度開いてみた。冒頭にこんな一文があったことをすっかり忘れていた。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

『風の歌を聴け』(村上春樹)

 描かれているのはスマホもない時代のことだけれど、今読んでも心を揺さぶるものがある。時を経て、再び言葉と出会う。その時々で違う世界が見えてくるから、本はなかなか手放せない。

今しか書けないことがあり、今だから書けることもある

 旅の本といえば、沢木耕太郎さんの『深夜特急』を思い出す。ユーラシアをバスで行く壮大な旅に憧れ、世界の広さに思いを馳せた。沢木さんがこの本を書いたのは、旅を終えて随分経ってからで、書き終わるまでには十五年以上かかったという。

 ただ沢木さんはメモや手紙を残していたので、それを頼りに書くことができたそうだ。私も旅に出る前は、沢木さんに倣って、日記を書くぞ、メモを取るぞ、と意気込んでノートを用意していくのだが、記録を残す余裕がなく終わってしまうことが多い。ひどい時には最初の数ページで記述が止まっている。

 記憶が薄れないうちに、感動が続いている間に、書いておけばよかった。そう思うけれど、思い出がゆっくり熟成された今だから、書けることもあるのではないか、とも思う。 

 この「今だから書けること」も、もしかしたら、「今しか書けない」ことなのかもしれない。

言葉と旅をする

 多和田さんの『言葉と歩く日記』の中に、ビールが出てくるドイツ語の慣用句が紹介されていた。この本を届けてくれたKさんから、「ある言語に特有の言い回し」というものがあるが、ギリシャにもそんな言葉があるのか問いかけられた。私のギリシャ語の知識は、初心者向けの会話本を読んだくらいなので思い浮かばなかったが、偶然見たテレビ番組で紹介されていたフィンランド語の表現が興味深かった。

 フィンランド語には雪に関わる言葉がたくさんあるという。降ったばかりの雪、積もって固くなった雪、それぞれに呼び方が違う。さすがに雪深い土地だと感心していたら、太宰治の『津軽』の冒頭にもこんな文章が置かれていた。

津軽の雪
  こな雪
  つぶ雪
  わた雪
  みず雪
  かた雪
  ざらめ雪
  こおり雪
   (東奥年鑑より)

『津軽』(太宰治)

 私がほとんど雪の降らない地域の出身だから、雪にまつわる言葉に縁がなかっただけで、日本でも雪の多い土地には多様な表現があるようだ。 

 Kさんからの宿題というわけではないけれど、ギリシャ語に何か面白い言い回しはないだろうかとギリシャ語の本を探して、こんな記述を見つけた。

 ギリシャ人にとって重要な意味をもつ言葉に、έχω Κεφι[エホケフィ]という表現があるという。「Κεφι(ケフィ)」は、「いい気分」の意。調べると「新鮮な、意気揚々とした、快活な、生きのいい、元気な」というような意味もあるらしい。
 「エホケフィ」は、「私はケフィを持っている」という意味で、ふつうは「なにかをする気分かどうか」「気分が乗っているかどうか」というニュアンスで使われるが、この言葉の裏にはもっと深い意味が隠されているという。

ギリシャ人にとってケフィのあるなしはとても重要なことなのです。この言葉は、仕事や労働から離れて、身も心もゆったりとくつろぐことを意味しています。しかもこのくつろぎの中には、明日また働く活力を養うための休息などは入り込む余地がありません。ただただ今この時を満喫するためにのみΚεφι(ケフィ)は存在するのです。そういう気分に浸れることが何よりも大事なのです。

『語学王 現代ギリシャ語』(福田千津子)

 「明日働くための休息などは入り込む余地がないくつろぎ」という考え方が面白い。最近の私は、今を存分に満喫していただろうか。予測できない未来を思い、どうにもならない過去を振り返り、今に向き合っていないのではないか。

 以前の私にとって、読書とは小説を読むことだった。ところが必要に迫られて、仕事に関する本ばかり読むようになった。さらには、働き方や暮らし方についての本が増え、楽しむための読書から少し遠ざかっていた。中原中也の詩の一節を思い出した。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちてゐた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(はふ)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

『月夜の浜辺』(中原中也)

 役立てようと思ったわけでもないが、捨てられずに拾ったボタン。何かを役立てようとか、明日のためにこうしようとか、そういうところから離れて、もっと今を大事に、今に向き合い、今を楽しむことに専念してもいいのではないか。

 そう思っていたら、多和田さんの『言葉と歩く日記』を教えてくれたFさんが書いていた。「役に立つことではないかもしれないけれど、この本に登場する表現を見聞きした時の喜びや、言葉を通した楽しみを知ることの方が、意味があって、尊いことのように感じる」と。

 何を書きたいのかよく分からなくなってきたけれど、こうやって、いろいろなところに思考が広がっていくのも、noteを書き始めて体験する面白いことの一つだ。書いては思い出し、思い出しては書いていく。とりとめのないものになるけれど、それもまた書き留めておかないと、いずれ忘れてしまうのだろう。

心は遠く旅に出る

 このnoteの中で、何度「憧れ」という言葉を書いただろう。ギリシャ神話の世界に憧れ、イギリスの紅茶に憧れ、本や映画の舞台に、本場の味に、憧れて、旅に出た。

 辞書によると、「憧れる」とは、「あくがる」から転じたもので、「さまよい出る」「物事に心が奪われる」の意。
 「あくがる」を調べてみると、「本来いるべきところを離れて浮れ出る」「(何かにさそわれて)魂が肉体から離れる」「物事に心を奪われて落ちつかない」といった意味がある。

 なるほど、憧れが、人を旅に連れ出すのだろう。私の旅の多くが、憧れから始まっている。

 今もまだ遠くに行けない日々が続き、気持ちが沈むようなことも起きる。旅のnoteを始めたきっかけに、私自身、何かほっとするものを読みたいという気持ちもあった。続けるうちに、旅について書くことを、少し悩んだ時期もある。そんな時、村上春樹さんの造語「小確幸(しょうかっこう)」(小さいけれど確かな幸せ)という言葉に導かれ、小さなしあわせにも目を向けるようになった。

 そんな私たちのnoteを、初めてファンだと言ってくれた人がいた。うれしくてうれしくて、早速二人に知らせて、何度も読み返した。取り上げてもらった記事は、前日に大幅に書き換えたものだった。やっぱり書き直してよかった。

▼その記事はこちら

 自分が楽しく書けて、一緒に作る二人が面白がってくれて、毎回読んでくれる友人もいる。さらにその先まで届いているのは、ご褒美みたいなものだと思う。読んでくれた一人ひとりに、感謝の思いを伝えたい。できればこのnoteを読んだ人の心が、少しあたたかくなったらいいな。そんなことを思いながら、これからも書き続けていきたい。

 私には、まだ終わっていない旅がある。そしてまた、憧れが私の心を、旅に連れ出すだろう。

Special thanks:Yama to Kawa
(Text:Shoko , Photos:Mihoko) ©︎elia

■紹介した本
言葉と歩く日記』(多和田葉子著・岩波新書)
本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春樹著 、柴田元幸著・新潮文庫)
風の歌を聴け』(村上春樹著・講談社文庫)
深夜特急1―香港・マカオ―』(沢木耕太郎著・新潮文庫)
津軽』(太宰治著・新潮文庫)
『語学王 現代ギリシャ語』(福田千津子著・三修社)
『中原中也詩集』(河上徹太郎編・角川文庫)
※一部の書籍は、現在販売されていないようです

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