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わたしのバイト遍歴を紹介する~後編(+雇用保険のはなし)

前回こちらです

バイトやってたら生活できるし成長できるみたいな時期を過ぎて、この先どうすんの?みたいな状況ではありつつ決定から逃げながら派遣だったり家庭教師だったりで働いていました。
今回は正社員として就職し様々な社会経験をそれなりにしてきた後で、退職して地元に帰ってからの話です。


失業給付のこと

いわゆる「雇用保険」がいちばんありがたがられる場面だと思ってます
いつどこから聞いたかは忘れましたが、退職後にお金を貰いながら(厳密に言えば在職中にかけてきたお金なので「貰う」とは少し違うけど)仕事探しができるということを知って
前職は退職金も実質なかったので(投資信託?年金?的なやつになっていて、会社から管理が外れて私がちゃんと手続きしなかったので無くなってしまった)雇用保険だけが頼りでした
でも、貰える時期はざっくりいうと3~4か月くらい後になるので、その覚悟とお金が足りなかったです

※3~4か月というのは
・有休消化も含めて退職後、会社が給料を払い終わってから発行する書類がないと手続きが進められない
・1週間「働いちゃダメ」期間がある(その後くらいに受給の説明会がある)
・自己都合退職の場合はさらに3か月空けたあとで「認定日」があり、やっと受給できる
今変わっている部分もあるかもしれませんし、地域による違いについてはわかりません。ハローワークへ相談するのが確実です。

認定日のあとはわりとすぐ振り込まれますが、「求職活動」を決められた回数したと報告しないといけないのと、少しでも収入の発生する仕事をしたら報告しないといけません
わたしはわりとちゃんとバイトをしてたのでそれが面倒でした。

スシロー

地元で働くというのが初めてのことでしたが、車を運転できないわたしにとって立地はかなり重要でした、
バスや電車はシフトに合わせて来てくれるわけじゃないので、歩いて通える範囲内で“適当に”働けるところを探していました(頑張りたくなかったので)
探すほども無かったので、面接のつもりで行ったら即手続きさせられてたスシローで働くことになりました。
ちなみに5月の13,14あたりで休業になる職員サービスみたいなのはこの時からありました。まかないはないけど社割や優待券があり働きやすい方だと思います。
ホールスタッフだったので、これまである程度の経験があるしほとんど機械化されているので業務自体(案内・会計・清掃)はすごく難しいものではありませんでした
周りは高校生・大学生か主婦層のアルバイトの方々だったので、ゆるい雰囲気でやってました、狭い社会での人間関係は面倒そうでしたが、深く関わらないようにして過ごしていました
大変だったのは、めちゃくちゃたくさんの「音」を聞きながら働かないといけないこと
今まででいちばん広い場所での仕事で先述したように機械(呼び出し・注文を知らせるものなど)が多く、それぞれが何を示しているのか?自分が気にすべきものはどれか?判断できるまでにかなり時間がかかりました
しかも「無線機」を付けないといけなくて(最初は放棄してましたが)耳にうまく付けられないし腰の端末でエプロンは下がってくるし、何よりそこまで聞きとる余裕がない。
ありがたいことによくシフトに入っていた先輩が助けてくれたので、その人に頼りながらのんびり慣れていくことができました。

ちなみに雇用保険については、4時間以上なのか未満なのかで給付額等が変わってくるため、対象の期間のうちいつ、どこで何時間働いたのか、給料はいついくら入ったかを報告する必要がありました。
おそらく働くのであれば4時間(以上)の方がお得です。でも週5とかで入ると受給資格無くなるはずなので注意。

トライ(個別教室、オンライン)

細かい理由や経緯は覚えていませんが、やはり教育の仕事から離れられなかったのだと思います。
初めは教室内で1対1で教えるところで採用してもらい、その中で縁があってオンライン家庭教師を初めてからは、教室の生徒は持たずそちらだけになりました。
教室はバス停から結構歩いた先で帰りも夜になればバス無い状況だったので、どうやって通ってたのかよく覚えてません。我ながらタフ…
だから仕事ではあるけどボランティアまではいかなくても自分の為、リハビリというか社会参加みたいなイメージだったと思います。
オンラインについては別記事で書いていますが、その子以外にも2名ほど担当した生徒はいて、教室の方でも何名か生徒をもたせてもらいました
東京の入試はそこそこに指導経験がある自負でいましたが地元については調べながら、共通する部分もあれば違うところも…という感じ、また別で記事にしたいので書きすぎないようにします。
以前塾の会社にいたときは「講師」という立場ではなかったので、「勉強をさせる・教える」という色がより強いこと、一人ひとりと向き合えることは新鮮であり面白味もありました
どうしてもしょうがないというかメリットでもあるのはわかるんだけど、基本的には指定の教材になるのでその内容や構成を理解してうまく使いこなさないといけないのは塾屋のテクニックかなと考えます。
担当制(生徒1人に先生1人)なので先生同士の関わりはそんなに多くなかったけど、わたしのいた教室は社会人講師も多く「しっかりしている」つまり生徒と先生が友達や先輩後輩感覚でなくちゃんと先生っていう雰囲気でした。個性が印象的な方も居たのを覚えています。
お金的なことをいうと、担当生徒の授業とあわせてシフトに入るので生徒がいなければ入れない、逆に休みを取りたいときは授業スケジュールを変えるのが基本。となるので相当担当生徒が多くないと長時間勤務できない(それはそれで頭がきつい)ですが、教室運営のサポート(事務・雑用・受付・チューター)的な感じで授業前後に入ることもできます(教室長の裁量)

次回につづく…?

こうして振り返るといろいろな想いで書きすぎてしまうものですね…
ここまで書いて気付いたのですが、トライのあと、というか掛け持ちで今の会社に就職してます。
でもすぐに正社員にならずパートだった時期があります
これについても書きたいことがあるので、続くかもしれません…
読んでいただきありがとうございました!

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