成人式(二十歳の集い)がダルい
そういえば、2年経つのか(前書き)
僕の勤務校は私立の中高一貫校なので、中学や高校単体の学校に比べれば、卒業生の担任をするのは稀である。
だから、10年くらい前に初めて卒業生を出したときは感慨深かった。
翻って、今もそうかと言えば、そんなことはない。
僕の勤務校は、最近トレンドになっている「チーム担任制」とか「全員担任制」と呼ばれる制度を取っている。これは生徒・保護者へ/から の依存や癒着の度合いがかなり低くなるので、僕は大変気に入っている。
(話は逸れますが)この制度にすると、訳の分からん愚痴みたいな問い合わせも減るし、行事でどこのクラスが勝とうとどうでもいいし、「担任ガチャ」もないし、とてもいいです。
生徒のことを間近で見る機会は減るけど、僕はそんなにべったりしたくありません。多分、向こうもそうだと思う。
さて、話が戻りますが、卒業してしばらく経ったころにやってくるのが「成人式」(※現在は18歳成人なので、自治体によって”二十歳の集い”などと呼ばれます)があります。
これが非常に煩わしい。1月は大学受験や、勤務校の中学受験、さらに部活の大会などで非常に忙しい時期で、そんなことに顔を出すくらいなら、僕は家で一人で、または家族と過ごしたい。
久々に会って悪い気分にはなりませんが、一瞬の喜びとすぐに消費されるSNSにアップするための写真、そして最近は呑む人も減った飲み会、、、そういうのが苦手なんです。
人付き合いが得意な性格なら、文学なんかやりません。笑
教員を15年もやっていると、こんな冷めた人間になってしまうのですが、流石に若い頃、特に初めて卒業生を出したころは違いました。
久々に読み返して、自分の心が置いてしまったことを突き付けられる文章です。
あの頃は今とは違う次元の”仕事”を楽しんでいたんだなあ。
成人式への誘いをもらった(本文)
先週のことだが、一昨年の卒業生が成人式の文集用のコメントをもらいに来た。
中学に来てしばらく経つと、高3の担任をしていたのが嘘のように感じるが、そうかあいつらも成人なのかと、嬉しいような切ないような気持ちになる。
気づけばここに来てから6年が過ぎ、卒業生はハタチになってしまい、自分はといえば、見た目は若いがとっくに「アラサー」になっている。
光陰如矢。嗚呼無常。
(※現在は既にアラフォーです。今思えばアラサーはまだまだ若者だった)
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