見出し画像

男とか女とか

昔、母が「世の中には男と女しかいないのだから、仲よく生きていかないとね」といったのをいまも覚えているんだが、最近わたしも学んで、世の中には男も女もなくて性別を超えて人間がいるだけだ、ということを知った。

性別にこだわっていたときは、わたしはあまり男友だちがいなかった。兄と弟に挟まれて育ったのに、わたしはずっと男のひとが怖かった。すきになったひと以外の男のひととはあまり接触したくなかった。家には怒鳴る父がいたので、父権制に辟易していて、男の男っぽさがきらいだった。兄と弟はやさしかったけど、彼らはいつも男ではなくただの兄弟だったし、それこそが性別を超越した存在なのにあまり影響を受けなかった。

そんなわけで、この年になるまでわたしはかなり性差別をしてきたと思う。同性の友人が圧倒的に多かった。地下鉄などで席が空いたりしたら、女のひとの隣がいいし、何か訊くときも女性に訊くことが多かったと思う。

英国にきたとき、男性が女性っぽくていいなと思った。男性が子育てをふつうにしている。いいおとながチョコバーをたべながら歩いている。にこっと笑う。男なのに泣いている。
日本っぽい日本男児としての矜持がないから、みんなへなへなして見えた。
それは1995年あたりの感想だから、いまは日本も日本男児の矜持とかないと思うけど……。

としをとって、男友だちができるようになったのはおもしろい。まだちょっと差別しているけど、ほんの針の先ほどの差別で、それもそのうち消えると思う。消えたら、もっとおもしろくなるだろうな。

ただ、相手がこっちを女と認識して意識的にか無意識的にか、悪意があったりなかったり、不愉快な差別をしてくるひともいるから、同じような認識のひととを選ぶのは大切だ。
男も女もない、人間の、なんていうか、魂だけを感知して接することができるような友情関係が世の中には存在する。

もっと早く知りたかったけど、まあこのとしにならなくちゃわからないことだったんだろうと思う。
わかってよかった。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?