人を見つめる朝顔ー京大古文「建礼門院右京大夫集」よりその2〜チンパンジーside
前回の続きです。
前回の記事はこちら。
恋人を失った作者が
「人をも、花はげにさこそ思ひけめ」
とつぶやきます。
ここは、
「朝顔を何はかなしと思ひけむ
人をも花はさこそ見るらめ」の引き歌で、
「朝顔をはかないものと思った人間のことを、
朝顔の花はそのようにはかないものと
見ていたのだろうよ」
という、
恋人を失い、世のはかなさを嘆く
作者のつらい心情が描かれる場面です。
擬人法の中でも、
作者と朝顔との関係を客観的、メタ的に見る視点。
それによって、
より「はかなし」という宿命が強調され、
作者のつらい心情が際立って
表現されているのではないかと感じたことを
前回の記事で述べましたが、
それに加えてもう一つ、
なぜこの歌が気になってしまったのか、
語りたい点があります。
進化心理学研究の第一人者、
長谷川眞理子さんの論文から引用します。
高校の教科書にも載っている文章のようですね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ninchishinkeikagaku/18/3%2B4/18_108/_pdf
「朝顔を何はかなしと思ひけむ
人をも花はさこそ見るらめ」
「朝顔をどうしてはかないものと
思っていたのだろう」という
この上の句がついていることで、
人を見ている朝顔の方は、きっと
「人間ってはかないものだなあ」だけではなく、
「人間って僕たち朝顔のことを、
はかないって思って見てるよね」
とも思っているように感じたのです。
これが、長谷川さんの論文の
「心の入れ子構造」と
共通しているように思えたのです。
「私があなたの気持ちを理解している
ということを、あなたは理解している、
ということを私は理解している」
この心の入れ子構造ー
人間に最も近いであろう
チンパンジーですら持っていない、
人間しか持っていない心の特徴が
朝顔に見えたことで、
朝顔が俄然、人間味をもって見えてくる。
もう、ただの擬人法ではなく、
「朝顔人間」ぐらいの勢いで
見つめられているように感じてしまいました。
なぜかほかの単なる擬人法よりも
魅力的に感じた朝顔の歌。
これから朝顔を見る度に、
見つめられているような気がするかも。
そして、僕が枯らしてしまった枝豆も…
「『人間っておれたち枝豆のことを
大切にしたいんだろうけど、
ずぼらだから枯らしてしまって
申し訳ないと思ってるんだろうね。
ホントだらしない口だけのやつ。』
ということを枝豆が思っている」
ということを、僕が思っている、
ということを、枝豆も分かっているわけですかね…。
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