【アーカイブ】もんどもんど哲学カフェ「ここで生きていく」
※もんどもんど哲学カフェ詳細。
※こちらは、当日の全体の様子のレポートです。mvchomaya個人での感想は「【よむ議事録06】もんどもんど哲学カフェ「ここで生きていく」」をご参照ください。
〈はじめに〉
この度のオープンミーティング概要
2024年9月19日(木)13:30〜16:00
能美市民センター別館 にて
参加者:12名
テーマ:「ここで生きていく」
進行役:中岡 成文 さん
テーマ「ここで生きていく」のきっかけ
能登地震からの復興に対して「もともと過疎地ではないか、復興して何になるのか、移住すればよい」と官僚が冷ややかであるという、ニュースの記事をもとに「災害や地域を維持するということに対して、参加者同士で語り合ってみましょう」という中岡さんからの提案を受け今回のテーマに。
ファシリテーターは中岡成文さん
当日は、地元名物「岩まん」をお土産に差し入れてくださいました。
今後のもんどもんど哲学カフェの取り組みし関しても、ファシリテーターの視点の大切さや、子育て世代の参加者は子供がいてもいいのでは?とのアドバイスもくださいました。
当日は、移住の方、江田島で生まれ育った方、子育て世代、商いされている方、 市政関係者の方、元職員の方、などなど。
江田島市内の方はもちろん、市外や県外(岡山)からも参加してくださいました!
ざっくりアーカイブ〜参加者から言葉〜
全体の流れ
まずはアイスブレイクを兼ねて、この度のテーマに対して思ったことを一言ずつ。その後、互いの発言からの連想や感想、疑問などをじわじわ話していきました。
様々な言葉や問いが飛び交う中でも、始めの方に『生きる=死ぬる』ことだという発言が飛び出し、死生観や死に関して話すことで『生きる』ことに焦点を当てていくような展開がみられました。
また、生きることに対して「水と食糧があれば生きられるよね」みたいな発言はあまり見られず、どこでどう生きるかという「覚悟」であったり、大切な人やもの、宗教・思想、コミュニティといった精神性や地域性、観念みたいなものとの向き合い方が主軸になった印象でした。
また、近所のお年寄りのある言葉「私は宗教が違うから(周りの人達に)心が開けんのんよ」が印象に残っているという話に参加者も感化され、土着文化や宗教とコミュニティの相関関係、などローカル色の強い話題も登りました。
以下、ざっくりアーカイブです。
『ここ』とは?
いろいろな『ここ』
→『ここ』=地球
→とりあえず『ここ』、家や親がいるから
→図書館、映画館のない街には住めない
→好きな人の故郷が『ここ』
→ずっと『ここ』にいるから町の変遷を見ることできる
『ここ』はどこまで?どこからが『あちら』になるの?
『こちら』と『あちら』繋がっている!?鏡写し
土地への愛着
→先祖や私のお墓がある場所が『ここ』
→生まれ育った場所を離れて暮らす人もいる。経緯は様々。その人たちにとっての『ここ』とは?
→『ここ』を失ってしまったら?『ここ』が指すのは果たして、場所やエリアに限ったことなのか?
→精神的な拠り所としての『ここ』、snsやバーチャルな世界の中に見出される『ここ』など。
『生きていく』とは?
生きること=死ぬこと→生まれて死ぬる、なすがまま
生きること=活かしていくこと
生きること=生かされている
地域性やコミュニティ、宗教、思想と紐づいている
時代によっては『お寺=地域のコミュニティ』なのでは?
「講」の文化→助け合い、地域で生きていくこと
参加者からの感想
様々な立場や世代が集い語らう場は貴重だと思う一方で、テーマが大きすぎた印象
対話は面白さと同時に難しさがあった
哲学的な問いには至らなかったが、地域の中ではまず、各々の話をする場が必要なのかもしれないと思った
思っていることを言葉にしてみると、何か違うな、と感じてしまった。
▼これまでのアーカイブ記事▼
【アーカイブ】オープンミーティングvol.3 「ちょっときいてよ!私の子育てモヤモヤ」
【よむ議事録03】オープンミーティングvol.02 ざわつく金曜日
【アーカイブ】オープンミーティングvol.2 数田祐一さんと語らう『哲学・思想Café』 の構想
【アーカイブ】オープンミーティングvol.1 「哲学対話、出会いのきっかけは?」