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「仕事が嫌だ病」から回復した私の特効薬

こんにちは、pieni(ピエニ)です。
私はつい最近まで「嫌だ」と思いながらも頑張ってやっていたことがあります。
それは何かというと「仕事」。
「仕事はやらなきゃいけないもの」という重たい思い込みが私を覆っていました。
しかしあるきっかけで、39年の生涯で培ってきた仕事に対する信念に風穴を開けてくれる一文に出会い変化が訪れました。
それはいったい何だったのか。pieniの「仕事が嫌だ病」の特効薬となった体験をお伝えします。

仕事=苦しいものという思い込み

今から約18年ほど前、大学卒業間近の私は「あぁこのままずっと大学にいたい...勉強していたほうがいい。働きたくない」そんな想いに襲われていました。
しかし「大学は4年間で卒業すること」「就職すること」この2つの親との約束を必ず守らなくちゃという気持ちがあり、焦りつつも単位の修得と就職活動を頑張った記憶があります。最近まで単位が一つ足りなくて卒業できなーいという悪夢を見続けるほど、私にとっては強力な約束でした...(笑)。

就職後は同期のメンバーと初めは楽しく過ごしていましたが、だんだん仕事の責任が大きくなってくると「嫌だできない、逃げたい」そんな気持ちが大きくなり、メンタルを崩すという状態で辞めることに。
このパターンをほかの仕事でも繰り返し、組織でする仕事は向いていないかもとフリーランスとして仕事をすることにしましたが、そこでもまた「仕事嫌だ病」が顔を出してきたのです。

やっとこの辺りで、なぜ仕事が嫌だと思うんだろう…自分が好きだと思う仕事をしているのに嫌になるのはなんでだろう…それについて考え始めました。

そして、「高校や大学を卒業したら、次のステップは就職して仕事をすることだ。そして自分や家族の生活費を稼ぐことが社会人としてあるべき姿なのだ」と感じていたことに気がつきました。

この考え方は一概には間違いだとは言えないかもしれません。心の底からこの考え方を大切にしていたら、自分の中で不協和は起きなかったかもしれません。

しかし私の中には「仕事は苦しいもの。楽しくもないのに大人になったら仕方なくやらなければいけないもの。生活費を稼ぐために我慢してするもの。社会との接点を持つためにやらなければいけないもの」こんな「〜しなければいけない」という思い込み(私にとっての信念)があったため、仕事=我慢してする嫌なものになっていたことに気が付きました。

しかし、そのことに気がつきながらも39年間の人生で培ってきた仕事への信念を書き換えられないまま取りくむ日々が続いていました。

私たちは生きるために生まれてきた

ある日、記事執筆のヒントを探すため、フィンランドの湖水地方サイマー在住でsaimaaLifeの設立者、Mari Pennanen(マリ ペンナネン)さんのインタビュー記事「フィンランドから届いたメッセージ。ありのままの自分で生きていくために必要な「ナチュラル・ウェルビーイング」とは」をじっくりと読む機会がありました。

頭と体と心をそれぞれに合った方法で調整し、自分自身のバランスをとる生きかた「ナチュラル・ウェルビーイング」について話された内容の記事です。心に響くポイントがいくつもありましたが、その中でも特に下記の文章に目が留まりました。

“私たちは働くために生まれてきたのではなく、生きるために生まれてきた、ということに気づき始めました。
人生=仕事ではなくて、人生を構成する1要素として仕事があり、休息がある。
何もしなくてもいい、そういう時間があってもいいのです。”

この一文を見たときに、心の奥底から「はっと」しました。

手放せなかった「仕事はしなければならないもの」という重たい考え方の脳みそに刺激が走り、ゲシュタルト崩壊がおこった瞬間でした。

「え?なんて?もっかい言って」と何回もその文章を声に出して読んでやっと理解し始める。
「え、そうなの?人生=仕事でなくていいの?天職と呼ばれるような自分が楽しめる仕事を一生懸命探し出す必要もないの?働くことが中心でなくって、生きるための一要素として仕事があるの?」

これはまさに新しい光が、まるで木漏れ日のように幾筋も差し込むような希望を見つけた瞬間でした。

そこから自分への新しい問いかけが始まりました。

「生きるために生まれてきた」そう考えた場合、私は何のためにどう生きるために生まれてきたのだろう?

そもそも生きるってどういうこと?衣、食、住が揃ってないと生きていけないよね。そのためにはお金がいるよね、そのためには働かなきゃいけない。
でも、今までの私のように嫌だと思いながら働くって、それって本当に自分を生きていることになるのかな?
では、本当に生きるってどんな状態なの?

それを考えるために「生きている!」と感じた記憶を引き出してみました。

私は、とことん自分に向き合って答えを出したり、好きなことを熱意をもって誰かに話しているときや、誰かがこれが好きなんだ!とキラキラ表情を輝かして話しているのを聞くのが好き。
そういったことに触れると心がじんわり熱くなったり、自分自身も燃えてくる。

アートや、作品にこめられた意味を知って感じて、そうきたか!これを創った人にはその作品に込められた世界がそんなふうに映っていたのね!と感嘆のため息を漏らす瞬間に価値を感じている。
つまり深く感動したり心が熱くなるような体験をするときが生きていると感じているとき。

でも反対に森の中で過ごしたり、焚火の音や水の音を聞いて心が落ち着いた凪ぎの状態になっているときもとても心地いい。

私には心がじんわり燃えているときと、静かに凪いでいる状態になっているときが生きるということにとても重要なのかもしれない。

もしかすると、感動や心が熱くなることを体験するために働いて、ゆっくり心を落ち着かせるために休む、そのようにバランスをとることが大切なのかもしれない。
このように考え始めました。

変化する仕事への向き合い方

実はこれ、つい1か月前くらいの出来事でした。
そこから、少しずつ仕事への向き合い方が変化しはじめています。

「今やっている仕事は誰のどのような心に響くだろう。相手にとっても私にとっても心が動くモノになっているかな?」
そんな風に考えてみることを少しずつ心がけてみると、仕事への活力が湧いてくる。
不思議と体力や胆力もついてきて疲れることが減り、以前よりも活発になってきました。

「大人になったら働かなきゃならない。働くことが当たり前だからやらなきゃならない」
そんなガチガチの氷の塊のような思い込みが、じんわりと溶けてきた気がしています。

しかし、感動ばかり追いかけてフルスロットルでは燃え尽きてしまう可能性もあるので、生きるためのバランスが重要だというのも分かってきました。

これからの課題は

①自分や家族にとってもバランスのいい働き方と休み方を身につけること。
②ほんとうに心地いいマイタイム(自分のための時間)を見つけてその時間をとること。
③遊びみたいに楽しくて、でもそのことで誰かが喜んでくれる。ありがとうって言ってもらえて、そこにお互いの感動が生まれてお金がもらえる。それが積み重なって私や私の家族も幸せになるお金の使い方ができ、経済的にも余裕が生まれること。

そんなことを目標に「生きること」を楽しみたいと思っています。

仕事が嫌だ病をお持ちの方へ

つい1か月前までの私と同じように、仕事が嫌だ病がすぐに発症してしまう方へ。
お気に入りのカフェでも、お風呂に入ってリラックスしながらでも、自分が安心できる場所で、なぜ嫌なのかな?を考えたり、何のために働くのかな?どんなふうに生きると自分は幸せかな?なんてことを、すこし考えてみてはどうでしょう?
答えがすぐに見つからなくてもいいと思います。でも、考えることで嫌だ病からの回復の兆しが見えてくるかもしれません。
仕事は自分の人生を豊かに彩る一部として楽しめるようになりたいですね。

Text by  pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)


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