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おがの発「大人の学校」宇佐川拓郎さんが広げるトルネード。自分とつながる幸せとは?

最近、「大人の学校」という場所が生まれはじめています。その背景には、人生100年時代に入り、大人も学び直して成長し続けていくという流れがあります。

でも「大人の」学校ってなんでしょう?

北欧ではフォルケホイスコーレと呼ばれる成人教育学校があります。そこでは、共同生活をしながら生徒同士の対話を中心に人生を見つめ直すことができます。

今回は、デンマークのフォルケホイスコーレで学び、埼玉県秩父郡小鹿野町で地域おこし協力隊として活躍される宇佐川拓郎さんにお話を聞きました。

2020年より大人の学校を企画し2021年10月から第一期プログラムがスタート。おがの発「大人の学校」はどんな場なのでしょうか?そこには宇佐川さんの原体験からはじまる無垢な想いがありました。

宇佐川 拓郎(うさがわ たくろう)氏
おがの発「大人の学校」 代表
北海道札幌市出身。東京の大学で学び小学校教育を5年間務める。
日本の教育に違和感を感じデンマークのフォルケホイスコーレに半年間留学。
その後、埼玉県秩父郡小鹿野町で地域おこし協力隊として従事し、2020年より大人の学校を立ち上げる。
その取り組みは、地産地創のまちづくりとして新聞各紙に取り上げられるなど地域をまきこみ拡大している。
YouTubeチャンネル「おがの発 大人の学校」で動画配信中。

デンマークで知った ユーモアと自分とつながる大切さ

宇佐川さんは当初小学校教員として働いたのですが、画一的な教育への違和感や、ボトムアップが難しい学校組織への違和感があったそうです。そして一念発起してデンマークのフォルケホイスコーレへ留学されました。

(宇佐川さん)
フォルケを知ったときのキャッチフレーズは「自由すぎる教育機関」でした。また、日本でフォルケをされている方々の記事では、民主主義の感覚を養う学舎ということも書かれていました。当時の学校のあり方から「民主的って何だろう」とも感じていて、自由さと民主的という二つのキャッチフレーズに惹かれました。

フォルケホイスコーレと言えば「対話」を重視する場所。毎週100人の生徒が体育館に集まり、困りごとや騒音、トイレにおけるジェンダー問題まで話し合ったそうです。ボトムアップで話し合い解決する文化を感じる一方で宇佐川さんが注目した点がありました。

(宇佐川さん)
対話の時に、常にコーヒーを持っていたりジョークを言ったり、シリアスになりすぎない工夫をいつもしていたんですよ。デンマークでも、対話だけだと関係がこじれることもあると思うんです。でも、民主的な物事の決め方では、ちゃんと対話もするけれども、ジョークも忘れず笑いも起きてる和やかな雰囲気であるという両方が満たされてるのが一番いいなって。それが発見でした。

デンマークの人は政治の話もするけれど、和やかな雰囲気のヒュッゲのときは切り替える気がします。そのヒュッゲ時のユーモアは、デンマーク人の持つスキルというよりは、ロウソクを囲んだり円卓でみんなでご飯を食べるといった家庭の文化だと感じました。リラックスするのが当たり前で、その感覚はどの人にも染みついているのかなって。

ヒュッゲというのは「ずっとその人が自分自身でいる」という状態なのかなと思います。取り繕わず常にリラックスしている。それには「自分自身とちゃんとつながっている」ということが大事な気がしました。


私には「フォルケといえば対話」という先入観がありました。しかし、宇佐川さんは対話の場にあるユーモアや、リラックスし自分自身とつながっている感覚を発見し日本に持ち帰ったのです。

取材中も「ちょっとコーヒー飲んでも大丈夫ですか?」と宇佐川さん。

「そうだいなー」という小鹿野町の人柄

デンマークに行く前、宇佐川さんは現在の拠点である埼玉県秩父郡小鹿野町と偶然引き合わされました。

(宇佐川さん)
埼玉の別の町に興味を持って移住センターに行ったら「小鹿野町で高校魅力化プロジェクトをやっている人がいる」と紹介を受けてその人に小鹿野町を案内してもらいました。すると教育関係や役場関係の人など多くの人と会わせてもらって。「僕は自由な教育を学びにデンマークに行くんです」と話をしたら皆さんが興味を持って聞いてくれたんですね。
だから「ここでなら理想とするような新しい何かできるかも」と感じてデンマークに行きました。なので「戻ったら小鹿野町で地域おこしをやろう」という気持ちはずっとありました。

フォルケに行く前から帰国後は地方で暮らしたかった宇佐川さん。東京では自分はサービスを受ける側だが地方なら自分たちの手で良くしていける。また、当時は教育の窮屈さを感じていたため、高校魅力化プロジェクトのように学校を出て地域の中で学ぶ形に魅力を感じたそうです。

そして帰国後、小鹿野町に移住しました。

(宇佐川さん)
小鹿野町は、皆さん秩父弁でよく「そうだいなーそうだいなー」って言うんですよ。標準語で言うと「そうだよね」だと思います。「それいいね」「それもいいよね」という感じで、話が丸く進むというか角を立てない。優しい、丸い人が多い気がします。

みんなが中心のトルネード。意図も境界も越えて


宇佐川さんの展開するおがの発「大人の学校」では、町の人が先生になって授業を作ります。

月1~2回×3~6か月の継続クラスや、1回ずつの振り返りクラス、「こんなことやってみたい!」という単発クラスまでさまざま。交流しながら絵画を学んだり、小鹿野の地層を知るフィールドワークや、休耕地での生きもの観察、市民農園でこれからの農業を考えたり。小鹿野だからこそ、住人だからこその授業ばかりです。

(宇佐川さん)
おがの発「大人の学校」では地域の人と一緒になって作ります。例えば自然栽培の農業をやってる人がいて、お互い共感して「いいねー」となったら「じゃあ一緒に作りましょう」と作っていきます。
プログラムは半年間ですが、最後に空き校舎を貸切ってみんなで発表しあって、見に来た人と「こうしたらもっと面白いんじゃないか」とワーワー言い合います。そこで「じゃあ次回はこういうプログラムにしようか」となって次の半年間のプログラムが動いていく。みんなで作っていくイメージです。

この間、地域の人に「これは絶対良い。トルネードのような取り組みになっていくでしょう」と言ってもらえたんです。トルネードは上にいくほど大きくなっていく。そんなふうに、時間をかければかけるほど大きくなっていき、そこに巻き込まれて興味や関心を持つ人が増えてくると感じました。それは僕の持つイメージと合ってるなと思って嬉しかったですね。

ただ、その時に自分だけが中心ではいたくないんです。全員が中心であってほしい。一人ひとりが中心のトルネードであってほしい。
プログラムをみんなで作るといった、渦巻き自体を作っていく仕組みを僕は模索してるんだと思います。

子供のときから「意図は無いほうがいい」と思ってる節があります。すごく真面目なのかなと思っていた役場の職員さんがいたんですが、そのかたが素のまま参加をしたら普段の表情と全然違った。意図しないところでも人の変化が生まれたり、渦巻きの違う展開が生まれたりしたらいいなと思います。

原体験は小学校の遊びから。大人こそ楽しく


フォルケのきっかけとなった民主主義、自由、みんなで作っていくというボトムアップ。宇佐川さんのお話には一貫した想いを感じます。それはご自身の体験から来たものでした。

(宇佐川さん)
小学校教員のとき、30人の子供達が教室という一つの狭い空間で5~6時間過ごしてる状態を変だなと思ってました。空間も全て仕切られて時間割で時間も仕切られて。そういう状態は、僕が子供の頃に感じた「自由さ」という子供の本性(ほんせい)とはギャップがあると思ったんです。

自分の小学校時代は学校で勉強した記憶があんまりないんです。すぐに思い出すのは、外で友達と遊んでた時間や、その遊びを自分たちで考えるということ。遊ぶときは外なので空間も仕切られてないし、遊んでるだけなので時間感覚も全くないんですよ。どんどん面白い遊びも思いつく。
夢中なんです。ワクワクしてるし、ただ楽しいという記憶しかないんですよね。親に「このままの自分でいたい」とよく言っていたのも覚えてますね。


しかし小鹿野町ではそれまで慣れ親しんだ子供教育ではなく、大人向けの学校をはじめられました。それはなぜなんでしょうか?

(宇佐川さん)
自分の中で子供も大人という線引きがなくなってきました。僕が子供のころ感じた「このままの自分でいたい」というのは、自由でリラックスした状態でいたいということです。僕はむしろ大人の方がそういうものを失っている場合が多いと感じます。

特に日本の会社や組織では、雰囲気や場の空気を察し過ぎてしまうことがある気がして。だから大人の学校では「子供の頃のような自由な精神をとりもどそうよ」と言いたいのかもしれないですね。

「実はこの学校は、宇佐川さん自身の遊び場を探求する取り組みでもあり『あーそーぼ!』と遊び仲間を探しておられるのでは?」
インタビュアーからの率直な問いかけに宇佐川さんはこう答えてくれました。

(宇佐川さん)
そうなんです!一番自分が楽しめる遊び場を作ろうとする、子供のときと変わらない気がします。「あーそーぼ」ということだと思いますね。急にすごく無垢な感じがしましたけど(笑)。

最初は「学校教育に影響をもたらせるんじゃないか」といった使命感や目的があったんですが、やればやるほど「それだけじゃないな」と感じました。シリアスにやっても面白くないし自分が楽しんでない。楽しくないと意味がない。それに尽きる気がします。

最後にご自身の考える「幸せ」についてお聞きしました。

(宇佐川さん)
まずは「自分自身とつながっている」ということ。それは人とも深くつながれているということだし、その延長には自然や歴史、文化ともつながってる状態になると思うんです。
つながっている状態とは、僕にとっては「楽しい」という感情が湧いている状態です。楽しいということは、前向きで、先に対して常に期待を持てている状態なのかなと思っています。

お話をうかがう前は「大人の学校」とは自己成長やスキルを身に着ける場だと思っていました。でも思い返してみれば、学校とは、友達や新しい世界といったワクワクに出会える楽しい場でもありました。

宇佐川さんの作る学校は、子供のように自分の心に素直に、ありのままでいられる場所。それは本当の意味で大人が思い出すべきことなのではないでしょうか。

決められた意図も境界もなく、予想外の変化も楽しみながらみんなで作っていく。そんな遊び場のような「大人の学校」で私も遊び仲間になってみたいと思いました。

Text by ひらふく(おとな教育の実践人事)



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