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コーヒーを飲みながら、ふと思い出すわたしにとっての「マイ記念日」

みなさんこんにちは!momoさんからバトンを受け取りました、あいすかです。

秋ですね。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、みなさんにとっての秋はどんなイメージですか?
夏が過ぎ去り、ちょっと寂しさを感じている人もいるかしら?
次はハロウィンだ!ってワクワクしている人もいるかしら?

まだまだ外出も思うようには行かない日々が続いています。
だからこそ、「心があったかくなった」「お腹を抱えて笑った」というようなエピソードを聞いたり思い出したりしてみたくなりました。

そこで、今回は、よむエラマのライターさんに、あなたにとっての「マイ記念日」について、シェアしてもらうことにしました。

ワクワク、くすくす、じーん、なるほど、そんな気持ちを一緒に感じてもらえたら嬉しいです。そして、みなさん一人ひとりのなかにある物語も思い出していただけたらと思います。

momoのマイ記念日「近くて遠い国、念願の韓国旅行が実現した日」

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2018年5月5日、とても感慨深い日になりました。
初めて1人で海外に行った日。
初めて韓国に行った日。
韓国で開催されるライブに初参加できた日。

いろんな特別が重なったとはいえ、その日がなぜそんなに感慨深いのか。
それは、韓国に行きたいと思い始めてから5年くらい経っていたからです。

(情けない話ですが、すごく近い国であっても旅行に割けるようなまとまったお金は常になかったので、なんだかんだと旅行を実現できていませんでした)

5年も経ったと気づいたとき、「わたしこのままだと一生行けないわ」と自分にツッコむことも多くなりました。

そんなことを思うようになったある日、好きなアーティストが韓国で2日間ライブを開催するという情報を知り、半強制的なきっかけを自分に与えることにしました。

お金のことは考えず「ライブのチケットが取れたら韓国に行く」と決めたのです。

この機会を逃すとまたズルズルとお金がなくて行けないという状態を続けるだろうと予想できたからです。

開催が発表されたのは開催日まで1ヶ月半もないタイミングでしたが、チケットが当たる確率を想像すると……
行けない可能性の方が高そうだなと正直感じていました。

結果は、初日のチケットが取れて韓国行きが決定。
第1希望は2日目でしたがチケットが取れたこと自体、ものすごく奇跡に思えました。
そして2018年5月5日〜7日で念願の韓国旅行を計画しました。

2018年5月5日は夢が叶った日。韓国に到着したとき、本当に来たんだなって胸がいっぱいになりました。

一生忘れない日です。

あいすかのマイ記念日「台風が直撃した9歳と10歳の誕生日」

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あれは忘れもしない、9歳と10歳のわたしのバースデイ。
当時から9月末は瀬戸内も台風がくる日が多く、わたしにとって自分の誕生日は晴天の記憶がありません。

特によく覚えているのが、小学生の時、9歳と10歳の誕生日の日は2年連続台風が直撃しました。

子どもの頃は親からあまりお菓子を買ってもらえず、おやつの習慣もなかったのですが、
私と弟の誕生日の日だけは、近所の美味しいケーキ屋さんから特注のケーキを注文してくれていました。
その日が楽しみで仕方なかったことを覚えています。

9月某日、9歳の誕生日、その日も母が大きめのかわいらしいイチゴのショートケーキをホールで用意してくれていました。
夕食後、家族そろってケーキにろうそくを立てて、
🎵ハッピバースディ トゥーユー🎵を歌ってもらい、
さあ、ろうそくを消すぞ!!という時に、、、

どどどどーーん!!と雷の音、、その直後になんと、停電。

キャー、という叫びをあげる私を横に、
母は「ろうそく消さないで!」と
ケーキを持ち上げ、そのろうそくを頼りに懐中電灯を探しに行きました。
(ケーキを持っていかなくても、ろうそくだけでも良かったのですが、、、。)

懐中電灯の明かりだけだと暗くて怖いので、ケーキのろうそくもそのままにしていたら、
ロウがケーキに流れていき、、。
30分くらいの停電の後、ロウだらけになった上の生クリームだけ取り、家族みんなでバースデイスポンジケーキを食べた記憶があります。

その翌年の同日も、嫌な予感は的中。
10歳の誕生日も朝から大雨でした。
夜になると雨はひどくなり、夕食を食べてケーキを出す時には嵐に。
「はやく、ろうそく立てて歌って、さっさとケーキを食べよう!」と父と母。
焦って歌をうたっていると、また停電。

言うまでもなく、昨年と同様のバースデーでした。
外は台風で、真っ暗で、ちょっと怖かったけど、
あったかかった。

そばに両親と弟がいて、「大丈夫、大丈夫!」って言いながら
ハッピーバースデイの歌をうたって、気持ちを盛り上げていたことを
昨日のように思い出します。

あれから数十年たっても、わたしにとって、子ども時代の忘れられないバースデイ記念日となっています。

石原侑美のマイ記念日「人生のバトンを受け取った日」

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大学受験を控えた高校3年生の秋、半分母のような、幼少期に長い時間一緒に過ごした祖母が亡くなりました。心臓が弱かった祖母にとって、80年超生きることができたのは奇跡のことでした。

両親が共働きだったこともあり、学校帰りに近所の祖母の家に寄って、友達と遊んだり、一緒に料理を作ったり、一緒にテレビを見たり、平日は夜寝る直前まで祖母の家で過ごす、そんな生活でした。

祖母はわたしのことを面白がってくれた身内の一人。

「ゆみちゃんは、えらい個性的やね〜」
「鋭い物の見方をするなぁ〜、ゆみちゃんは」

折目正しい船場言葉を話す祖母は、気位が高く、お茶とお花の先生をしていたこともあって、行儀や言葉遣いには厳しかったなぁ〜。
でも、基本的には孫には優しく、「おもろいのが一番」と時々変顔をしたり、毒舌を言ってみたり、大阪のシティガールのような気質を持った人でした。

わたしは、そんな祖母からたくさんの刺激と知識、そして愛情をたっぷり浴びて育ちました。
両親ともに働き詰めだった環境下で、祖母となんともない会話をしたり、わたしには想像が及ばない戦争の話を聞くことで、豊かな体験を与えてくれてたんだなぁと、祖母の存在をありがたく感じます。

そんな祖母が息を引き取った1週間後、大学の入試でした。

その入試というのは、今で言うAO入試みたいなもので、他の受験生とディスカッションをするという試験。
話すのが得意なわたしでも流石に緊張し、うまく考えがまとまらなくて、その入試の場自体もなんだか盛り上がらない、ハネない場でした。

そんな時、ふと、急に背中が軽くなったような、
まるで重いリュックを誰かが降ろしてくれたような、
そんな感覚。

その瞬間、不思議とわたしの手が上がりました。

「少しよろしいでしょうか?わたしが思うに、この筆者が本当に言いたかったことは・・・」

わたしのこの一言で、試験官の先生が「ほぉ、なるほどー!」と天を仰ぎ、それをきっかけに他の受験生が次々と発言していきました。

試験は見事に合格。

試験のあの日、わたしの背中にあった重いリュックを降ろしてくれたのは、間違いなく祖母だと確信しています。だって、受かった大学は西本願寺派の仏教の大学で、祖母が眠るのは同じく西本願寺派のお寺なのだから。

祖母が亡くなった1週間後の試験の日が、わたしの記念日。人生のバトンを受け取った日。受け取ったバトンは、今もわたしの胸の中にあります。

今年は祖母の生誕100年記念。命日と人生のバトン記念日には、近所の西本願寺派のお寺で手を合わせ、祖母に想いを馳せる日にしましょうか。

いけかよのマイ記念日「開業届に書いた独立記念日」

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今回のテーマで、ふと思えば自身の記念日的なものなんて、誕生日以外だとフリーランスとして独立した日くらいしか思い浮かびませんでした。

その日は、2018年1月1日。

わたしは、2017年の11月下旬に当時勤めていた会社から「12月末で去ってほしい」と事実上の解雇宣告を受け、そこで独立を決意したのですが、そこから焦ってお尻に火がついて色んな人に「独立するよーーー!仕事ちょうだい!!!」とふれてまわった結果、開業届を提出することにしました。そこに開業した日にちを書く欄があったので、仕切りやすいし覚えやすいし元旦でええか、と、めっちゃ軽い気持ちで2018年1月1日としたのです。

いまさら、その日の暦がどんなだったのか調べてみたんですけど

五行:相剋=相剋は干支の組み合わせが相反しており、物事が順調に進まない日とされている。
→えっそうなん

六曜:先勝=先勝は「先んずればすなわち勝つ」の意味。急用を行うには良い日とされている。また午前中は吉、午後は凶。
→んー。まあええってこと?でも多分元旦の午前中は寝てたと思う

十二直:執(とる)=万物の活動や育成を執行する日で、結婚やその他の祝い事には吉日。ただし、金銭の出し入れ、財産管理には凶。
→んー、まあいっか!

十方暮=十方暮は干と支が「相剋」の関係で組み合わさる日。甲申から癸巳の間の10日間で、天地の気が相剋するため何事もうまくいかないとされる日。
→えっ

十死日=十死日は受死日に次ぐ凶日。結婚、旅行、引越しともに避けた方が良い日。受死日と異なり、十死日はお葬式もやらない方が良いとされている。
→えっ

重日=重日は日の干支の「巳」と「亥」の日で陽または陰が重なる日。吉事を行えば吉事が重なり、凶事を行えば凶事が重なる。結婚は再婚につながることから凶とされている。
→うん、吉事を行った日ということで!!

という日でした。まあでも、元旦ということでしみじみと毎年「ああ、また1年やってこれたな」と、お正月気分とともにホロ酔いで喜びを感じられるという大事な日です。コロナのせいで今年も去年も、2年連続で田舎に帰れていないので、次こそは!

どさんこ大学生のマイ記念日「記念日をお祝いするのが好きになった日」

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小学生の時、「今日は何の日?」を調べることにハマっていました。
調べると、偉人の誕生日や誕生花、世界の、日本の大切な日がたくさん出てきて、毎日提出の家庭学習用ノートに問題を解くのではなく、記念日を書いて提出し、怒られたことも…

現在、そんな私は、誕生日、何かの日を祝うことがとても好きです。
そのきっかけは、小学3年生の母の日でした。

テレビっ子だった私は、母の日特集の番組を見て、母にビックリさせたいと企んでいました。それまで1人で買い物に行ったことはなく、お小遣いも持っていませんでした。ですが、なぜか私はホンモノのお花を買ってプレゼントすると決心しました。

たまたまおじいちゃんにもらった小銭があることに気が付き、その小銭を集めてお花を買いに行くことに!遊びに行ってくるね、と言ってニヤニヤしながらスーパーへ歩きました。当時の私にとっては、花を買うまでの道のりは冒険で、プレゼントを渡すことをミッションのように楽しんでいました。
お花を買ったことを内緒にするために、その後友達と遊びに行きました。買えたことが嬉しすぎるあまり、一輪だけ買えたカーネーションを大切に持ちながら遊んでしまい、そのお花が折れていることに気づきませんでした。

そのカーネーションと手紙を持って、家に帰ったと同時に母のところまで走って、渡しに行きました。「いつもありがとう。」と言って渡すと、母は…
「えええー!」と悲鳴をあげて大号泣。
「でも、カーネーションこんにちはしてるけどね…」と言ってさらに大爆笑!

もともと、オーバーリアクションの母ですが、思わぬハプニングも含めて大きな反応で喜びを表してくれたことは、当時の私にとってビックリするほど嬉しいことでした。その時に、人が喜ぶことが自分にとっても幸せなことだと感じたんです。
大切な人を喜ばせるには…?
誕生日や記念日が人を喜ばせることができるピッタリな日だと感じた私は、それから誕生日、何かの日は忘れず、必ず、作戦を立てるようにしています。

きっと、母が大きな反応で喜んでくれていなかったら、そこまで記念日を祝うことに楽しさを見出すことはできなかったと思います。誰かの記念日が自分にとっての記念日になったのは母のおかげです。

おわりに

今回、エラマライターさんの【マイ記念日】を読んで、みなさんそれぞれの感じ方、行動、全てが愛おしく思えました。

記念日って、誕生日や卒業式っていうイベントをカレンダーに記入していくようなものではなくて、思い出だすたびに重ねた年月だけ醸成されているような、そんな感じがします。

旅行へいくときのようなワクワク感、あの日の暦を念入りに調べあげた時のナルホド感、家族の存在に感謝し、家族を想ってジーンとしたり、誕生日のたびになぜか天候を一番に気にしてしまったり(笑)。

エラマライターさんの記念日は、思い出しながら、現在にもつながっている、そんな日のエピソードが満載でした。

ライターのみなさん、ありがとう!!読んでくださったみなさま、ありがとう。

今日ははじめて、私、あいすかが記事の編集を担当した、大切なマイ記念日です。

Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)

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